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ぼやけた世界を愛でる|ココカリ心理学コラム

老眼が進行している。

幼少期から視力はずっと1.5で、見えないCはほぼなかった。中年期に入り、修士論文研究の参考文献を読み漁っている頃から、視界の文字たちが滲み始め、通勤電車で本を読んで乗り物酔いするまでに至った。最近では手元を見る時には老眼鏡(桃色フレームで肌に馴染むデザインが気に入っている)をかけるのだが、その度に世界はこんなにも輪郭がはっきりしているのかと驚かされる。

シャープな世界は素敵なのだろうか。

たしかに物事は白黒ついているほうが判りやすい。敵と味方、正義と不義など、180度反対の二極化構造は捉えやすい。しかし迫り来る多様性社会とは、いうなれば曖昧模糊で良しという社会である。絶対解が存在しないゆえ、判断軸は自分自身である。今以上に、自身の価値観、アイデンティティが重要になってくる。見るべきものは外ではなくて内である。

老眼とは「そんなにパキッとみなくていいよ」という森羅万象からのサインなのかもしれない。外を見る感覚器の眼はぼやけてきたけど、自分の内面をみる心眼はクリアであり続けたいものだと願う。

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