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人の目は力になるか負担か|臨床心理士への随録 心理学

私、サッカーが趣味でして。小中高は部活で大学はサークル、社会人では26歳まで区の2部リーグに参加し、子育て期間はお休みして、30半ばから地域のシニアサッカーで復帰しました。一度でいいから大観衆のスタジアムでやってみたかったな。150万部のベストセラー「心を整える。」で有名な長谷部誠選手の手記を読んで、社会的促進と社会的抑制について書きたくなりました。

100%の力でプレーしているつもりでも、まったく足りていないと感じる試合が何度となくありました。例えば、最後のところで届いたはずの足がボールに届かないとか、体を寄せきれないなど、今までだったらできていたことができない。これは観客の声援の有無が影響していたと思います。サポーターの見えない力が、僕ら選手をあと押しし、100%以上の力を引き出してくれていたんです。無観客試合では、明らかに何か欠けているものがあるという違和感がずっとありました。

社会的促進と、社会的抑制

社会的促進とは、観察者(オーディエンス)と共行動者(プレイヤー)が存在することにより、個人の遂行が促進される現象をいいます。社会的抑制はその逆で、個人の遂行が抑制される現象です。

例えばアスリートが観客の前で最高のパフォーマンスを繰り広げるのは社会的促進、人前に出慣れてない人がプレゼンで噛んでしまうのは社会的抑制ですね。人の目がプラスに働くこと、マイナスに働くこと、みなさん両方とも経験があると思います。さて、この違いを生む要因は何なのでしょうか。

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オールポートは実験研究より、単純課題は社会的促進が起こり、複雑課題には社会的抑制が起こると唱えました。

ザイアンスはこの研究を受けて、行動理論に基づいた説明を試みました。動物には「覚醒水準が高まっているとき、優生反応が強く現れる」という行動特性があります。覚醒水準とは、意識の明瞭さであり、行動理論で言えばその行動に対する動因の強さです。優性反応とは、その課題状況における支配的な反応傾向のことであり、例えば練習中にいつもミスする箇所があれば、その練習における優性反応は「その箇所でミスすること」であり、ミスしをしない練習での優性反応は「最後までミスをしないこと」となります。

単純だったり得意だったりする(習熟している)作業は「うまくできる」ことが優性反応なので、他者の存在によって覚醒水準が高まったときは益々「うまくできる」ようになる。複雑だったり不得意な(未熟な)作業は「ミスする」ことがことが優性反応なので、覚醒水準が高まったときは更に「ミスする」のだと。

しかし、習熟している作業でも、意識の矛先が散漫している状態だったり、みんなの前でいいカッコしようとすると、うまくできないことがあります。サンダースは課題と他者の両方に注意を払わねばならない注意葛藤の存在を示唆し、コットレルは評価懸念との関連を指摘しました。

新行動主義の心理学者ハルは、ワトソンの「動物の行動は全てS(刺激)-R(反応)で説明できる」に対して、SとRの間にO(生体)が存在すると提言しました。個体差あるでしょ、と。社会的促進と抑制もこれに似て、観察者と共行動者の間に干渉要因(環境や意識や体調など)があると考えるのが自然です。単純作業だから社会的促進という数学的公式では導けないのです。

うまくやろうと考えないことです。周りが見てるうんぬんではなく、目の前のことだけに注意を向けて取り組むこと。やれるだけしっかりやろうという心意気が大切かと。心を整えることで付随的に観衆が後押しの力になるでしょう。


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心理屋として世のため人のため自分のために生きる1976年生まれ男。メンタルヘルスに関わる日々の所感を心理学に絡めて書き留めています。臨床心理士、キャリアコンサルタント、産業カウンセラー。公認心理師は2022年取得予定。