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崇拝という麻薬

経済社会が織り成す世界が問題視されている。そのため希望を求めるように様々な思想に人々が右往左往している。

1、農業
現状を打破する目的を持つ人が多く、それを唯一と考え、物々交換が至上だという発想。

とても重要である。食の安全や自給自足のために必須である。

しかし、着ている服、履いている長靴、使用している道具、それらは経済社会があるからそれなりの値段で購入出来るということを忘れてはいけない。その活動をするためには、現在の経済が必須なのだ。流通もそうだ。交通もそうだ。狭域な活動では、不作などの飢饉があった場合、支え合うことは出来ない。

あたかも経済が悪の根源であるような思想になりがちな農業至上主義は、実はそれだけで世界を救うことは難しい。

2、スピリチュアル
心地良い精神世界を表現する。悪などは精神を向上させれば消えてしまうというような発想がある。

宗教によく似ているが、そのほとんどはビジネスである。傾倒してくれる人を探し配信を伸ばすためだったり、コンテンツやグッズの購入に誘導する。

それこそ、経済の中でも最下のビジネスと言える。
俺は、正直に言って詐欺と同じだと思っている。取引に対してほとんど実態がないからだ。技術はといえば、優れた誘導する体系的な講釈だけだ。

これに傾倒しても、持っているお金が減ることはあっても増えることはない。

3、経済のリセット
どうにもこうにも、一旦仕切り直したい人々。そうすることで、一旦全ての格差を無くしてしまおうという発想である。

かくして、この発想には無理がある。現、社会構造の中で特権を持つ人間達が仕切っている世界を仕切り直す訳がない。そして、これを信じる人々は、残念なことに行動するのではなく待ち侘びている。切望している。

崇高な誰かが、実行してくれると思っている。
そんな訳あるかい。
シンプルに考えて、そんな訳あると思うのはどういう感覚なのだろうか。

4、政治と宗教
今の世の中の最も悪の根源といえば、これだ。
核心から言えば、「全てが利権である。」ということだろう。
人々は感覚的にそれを察知していて不満や非難をしている。

その不満や非難の出所を、農業やスピリチュアルや経済リセットなどを蔓延させて、ずらしているのだ。つまり、それらに人々が傾倒するようになったのは偶然も含めて誘導されたからだ。

2020だったかのアメリカの大統領選だけでも分かるだろう。
どのように人々は誘導されたか、今なら冷静になって俯瞰し分かるのではないだろうか。あの騒動の最中は、誰も何がどうなっているのか説明出来ず、多くの人が本当にあの茶番を信じた。

農業やスピリチュアルや経済リセットなどを、崇高なもののように見せられ崇拝する信者にされてしまったことで、核心がブレブレで見えなくなり、更には異なる思想をばら撒かれ分断されてしまう。愚かなことだ。

それこそが、世界中の全ての利権から目を逸らすための作戦だった。
コロナは、その一役であり、それ以外の機能も果たしているだろう。
(それはまた別な話にした方が良いだろう。)

感覚的に察知したにも関わらず、核心をずらされてしまったのだ。

だから、崇高、崇拝、偶像、そういった何かに傾倒することは視野を狭める結果になる。

そういう観点から、人間というものを見れば、どうでもよいことを難しくされて核心が目の前にあるのに、探せないようにされていると分かる。

だからTVなんて要らないし、現在の教育や、現代の常識を持ち出し、蔑んでくるような人間を取り合ってはいけない。

崇拝をやめたとき、初めて強くなる。
何故ならそれは、麻薬のようなものであり、マヤカシなのだから。