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なぜスプーンは曲がるのか



まれにみる衝撃的な『腑に落ちた感』を味わったこの著書について、改めて記したいと思います。

足立育朗さんの著作【波動の法則】の中には、
“意志は愛、意識は調和”という言葉が何度も出てきます。

それが人間、自然、宇宙すべての存在物の
本質である、と著者は述べています。

例えば“意志は愛”というのは
意志を出すこと=エネルギーを出すこと
という意味で捉えるとわかります。

意志の質はその方向性や深さで
感じることができます。

じゃあ“意識は調和”ってなんなんだろう?
なんとなくわかったつもりでいたけれど
まだまだ体感に落とせず曖昧な認識でした。

そして読み進めるうちに
スプーン曲げの話が出てきます。

そもそもスプーン曲げとは
一体どういう類のものなんでしょうか?
マジックの一種?

わたしはスプーン曲げをしたことがないので
「曲げるのにはコツがあるんだろうな」くらいのことしか思ったことはありませんでした。

しかしこの後に記されていたのは
衝撃の事例。

スプーン曲げの本質は、
曲げようとしている側が【調和】の意識で在りながら同時にスプーンが曲がることを受け入れてくれたとき
初めて曲がるという現象が起こるのだ、と。

手で曲げる、力で曲げると言うのは
人間の一方的な傲慢さであり
そういう意識で無理矢理曲げようとしても曲がらない。

人間と同じように“意志”と“意識”がある
スプーンに頼んで曲がってもらっているのであって
人間が曲げているのではないのだ、と。

読んだ瞬間
目からウロコでした。
目が醒めたような感覚が
わたしの身体を駆け抜けました。

わたしたち人間は
万物の長に君臨しているが故なのか、
物質に“意志”や“意識”があるなんて       いちいち思ってなどいません。

道具を使うとき、物質に働きかけるとき、
人間側の意志や意識だけで
どうにかしていると思いがちです。

しかし“曲げようとする人間”と
“曲がろうとするスプーン”
両者が調和して初めてスプーンが曲がる。

それに気が付いた時
いかに普段の生活で
調和から外れた意識でいたのかということを
まざまざと思い知らされたのです。

人間の傲慢さや身勝手さが
こんなところに出ているなんて
本当に衝撃でした。

自然や動物との触れ合いや人間同士の交流だけではなく、言葉のコミュニケーションがない物や道具とも同じように【情報のやりとりしているという前提意識】は、わたしのこれまでの在り方をひっくり返しました。

普段いかに一方的な意識の中で
抵抗のエネルギーを生みながら
行動をおこしていたのかということが
よくわかります。

目の前の人を大切にするとか
物を大切に扱うとか
道具は使い方次第だとか
日々当たり前のように見聞きする言葉の
言わんとする本質の要は
調和の意識で在ることだったのだと
スプーン曲げの事例を読んで
深く納得出来たように感じています。

【スプーンは人間の力で曲げているのではなく
スプーンに曲がってもらっている。】

視野が狭く傲慢に身勝手になりがちなとき
この言葉を思い出すと
身が引き締まる思いがします。


この体感からの気付きは
変容の大事なきっかけになりそうです。


『なぜスプーンは曲がるのか』


このシンプルな問いの中には
宇宙の真理が隠されています。



※足立育朗さんの【波動の法則】には
もっと科学的根拠が詳しく書かれてあります。
ここにはわたしの主観的な気付きのみを
感覚的な部分で書いています。





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最初はこのサムネイル画像にしてたんだけど、やっぱり落ち着かなくて変えました(笑)

お気に入りのクッションにスプーンを置いて撮影し、グラデーション加工して作りました。が、ポップアートが過ぎました。また別の機会があれば使おうと思います❤︎


ちなみに現在のサムネイル画像は、空をバックにスプーンを撮影し、グラデーション加工しました。やっぱり空は安定の落ち着きをくれる。さっきのよりは調和の中でスプーンが曲げれそう(笑)


そして余談ですが、フォローしてる方の記事が流れてくるタイムラインを遡って見ていたら【フォーク】(ソングの方)という文字を見つけました。なぜ突然この記事を載せたくなったのか、分かったような気がしました(笑)知らぬ間に、影響を受けているものです❤︎







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