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憂ない! ムスリムたちが教えてくれたこと

2017年〜2020年の3年間を、家族と共にアラブ首長国連邦ドバイで暮らした。

ドバイで暮らしたというと、華やかなイメージがあるらしく、
ザ・マダムな毎日を送ったと想像されることが多いのだけど、
雑草型海外在住組のわが家の実態は、やっぱり雑草なわけで笑

本当のマダムだったら絶対に乗らない、公共交通機関を駆使し、
本当のマダムだったら絶対に行かないマーケット(市場)に出かけ、ローカル(と言ってもそのほとんどは出稼ぎ)の八百屋や魚屋のにいちゃん相手に値引き交渉に励み、通ううち顔馴染みになり、彼らとのお喋りを楽しんでいた。

いろいろな国に住んだけど、暑(熱)すぎるし、全てが人工的すぎるし、お酒買えないし、基本なんでも高すぎるし、で、ドバイだけは離れても戻りたいと思うことはないだろうなと思っていた私が、今思い出して胸がキュンとするのは、世界一高いブルジュ・ハリーファや、ラグジュアリーホテルのおランチではなく、本国に家族を残し、逞しくも明るく働く、おっちゃんやにいちゃん達とのやり取りだ。

前回の記事にも少し書いたけれど、ドバイでの娘たち(お姉ちゃんをみて、結局 私も行きたいと次女のこまるも途中からインターナショナルスクールに転校した)の学校とのやり取りは、日本人の常識を逸脱することばかり、日本人の常識で常識的に関わっていたら、物事は一向に進まず、先方に都合良く丸め込まれるのがオチで、子どもを守りたい一心で、(頼みのオットは年中海外出張中で戦力にならず)バイリンガルでもない私が、校長室に直談判に駆け込んだり、アドミのトップを相手に戦ったりと、振り返ると自分でも本当に良くやったと労いたくなるほど、母親の私にとっても、常に心が休まらない過酷な日々だった。

あちらの論理で押し切られそうになって心がささくれ立った時、馴染みの店に出かけ、チャイなんぞ入れてもらって、なんのことはないお喋りをすることでどれだけ気分転換できたかわからない。

彼らの多くは本国に家族を残し、単身ドバイで働く出稼ぎ労働者だ。
仲良くなって彼らの話を聞くと、ワンルームを数人で共有し、一つのベッドに時間差で寝るような、日本人からするとちょっと考えられない劣悪な環境で生活していたりするのだが、彼らはそれに対し嘆くでも文句を言うでもなく、多くの人はとても陽気だ。年に一度の故郷への帰省と家族との再会を何よりも楽しみにしていて、そのために元気に一所懸命(これも所謂日本人が頭に浮かべる一所懸命とはかなり違うのだけど笑)働いている。

愛する家族と遠く離れ、劣悪な環境の中、恐らく非常に低賃金で働かされる彼らは、何をモチベーションに、何を心の支えに毎日を暮らしているのか?

長らく疑問を抱いていたが、ドバイでの暮らしが長くなるにつれ、その根底に信教があることがわかってきた。

彼らのほとんどはイスラム教徒だ。

日本人にはあまり馴染みがなく、私もドバイに住むまでは、メディアの影響もあり、恐ろしい過激派や女性抑圧のイメージが強かったけれど、どうやら、それは
プロパガンダである側面も大きいらしいと言うことを理解するに至った。

超ざっくり言ってしまうと、イスラム教というのは、アッラーを唯一絶対神とする一神教で、ムスリムにとって、この命はアッラーが与えたもうた尊きものなので、例え、極貧で悲惨な生活を余儀なくされようとも、「アッラーはなぜ、今生私に
この境遇をお与えになったかのか?」と考えることはあっても、それを恨んだり、お金持ちを妬んだりと言う発想がない。(そんな発想をすること自体が信仰に背くことになる)
アッラーは常に、信徒の行動も、心のうちも全てを見ているので、とにかく命が尽きるその日まで、粛々と与えられた生を全うすることが全て。

「やりたいことがわからない」と悩む人が大勢いて、自己啓発本が飛ぶように売れる日本とは雲泥の差である。

彼らが心穏やかに陽気に己の人生を受け入れているように見える理由はこれだったのかと知った時、深く納得すると共に、信教が心に、そして人生に与えるパワーとはこれほどまでに大きいのかと驚いた。

一億総中流と言われ、努力次第でどこまでも可能性を見出せると信じ、それゆえ、自分を追い詰め、今、ここにある当たり前に飽き足らず、感謝を見失いがちな、私たち日本人。

もちろん単純に比較などできないが、日々の幸福度が、その人の人生を形作るのだよなぁと考えると、心の幸福度の高さは、総じて彼らに軍配が上がりそうな気がして、複雑な気持ちになるのだった。




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