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女優になりたかったあの頃

このnoteなら話せる気がして、自分の過去の話をしようと思います





将来の夢が欲しかった中学生

中学生の頃、授業で、将来の夢を画用紙に書いて1人1人写真を撮ることになった


私には将来の夢なんてなかった




だからとりあえず
「人の役に立つ仕事に就く」
と書いておいた



ずっと将来の夢を持ってみたかった



そしてその時が来た中学3年生
私が初めて手にした将来の夢は「女優になること」だった


はじめはウキウキしていた
やっと将来の夢を持てた!
女優になった時のことを想像するだけでワクワクがとまらない!



やがて現実的なことを考え始める
人前が苦手な自分にできるわけがない
そもそも東京に住んでいないしチャンスがない
どうしてこんな無謀な夢を持ってしまったのだろう



夢を持ち続けた高校生

高校3年間
勉強に励み部活をし、何か身に付けなければと英語スピーチコンテストに出場したり、英検、漢検を取得したりした
体育祭の実況放送にもチャレンジしてみた

何も無い自分に何か実績や自信が欲しくてできることをしていった



何かしらはやってみたけど、夢に近づきたくても具体的な一歩は何にも踏み出せないまま時が過ぎた


こんなでかすぎる夢を持ってしまった自分を恨んだ
家でふとした時に何度も泣いていた


動き出した高校3年生

高校3年生の時、初めてオーディションを受けた

受かったような受からなかったような
芸能事務所に入れるとかじゃなく、その事務所のスクール生になれる権利が与えられたような気がするけどさすがに料金が高すぎてやめた


お芝居を学べる大学に通いたくて、数時間かけ1人である芸術大学のオープンキャンパスに行ってみた
とても楽しかった


三者面談で思い切ってそのことを話してみたら、担任の男性体育教師と母は快く思わず棘しかない言葉を浴びせてきて、今でも思い出したくないくらい嫌な時間だった


まあ私は飽き性だから、いつか夢が変わってしまった時、芸大だと将来の選択肢が狭くなって困ると言い聞かせ、普通の四年制大学に通うことにした


映画づくりを知った大学1年生

大学に入り、私は迷うことなく映画部に入った

映画を制作する部活で、本格的なカメラや機材があって自ら監督や脚本、演者、編集までを行う

自主映画という存在があることを初めて知り、初めて映画創りの一員になった


初めて人前で役を演じ、映画の中に自分がいた


初めて尽くしで本当に楽しい時間だった


俳優養成所に通い続けた大学2年生

1年間、映画部を休部することにした

理由は大学の授業と並行して、夜間制の俳優養成所に1年間通うことになったから

4コマ目まで大学の授業を受け、電車に乗り、週に3回授業を受けに通い続けた


私、本当によくやったと思う
高校生の頃思うように一歩踏み出せず諦めようとしてもがき苦しんでいたあの自分が、大学生になり映画部で少し経験を積み、やっぱり夢に向き合いたくなり行動に起こしお芝居を学ぶ機会を得た


もちろんお金はかかったけれど、同じ夢を追う人たちが身近にいるという環境はとても居心地が良かった


でも途中から自分には才能がない、売れないことを実感し始める
これが現実だと思い知らされる
苦しかったけれど現実を知れてよかった


スクール内の小さなオーディションを受けた後、講師から「個性がない」と面と向かって言われた時はめちゃくちゃ傷ついてトイレに駆け込んで泣いた



夢を諦めた大学3年生

養成所は1年間と決められていたのでそのまま卒業した

優秀者には大きなオーディション参加の権利があったらしいけれど、私はもちろん該当しなかった


ちょうどその頃新型コロナウイルスが蔓延し始めた頃だった


大学はオンライン授業となり、家でひたすらオーディションやワークショップについて検索する日々

東京で募集していたとあるお芝居のワークショップを見つけ、毎週末、大阪から東京に通う日々が3週続いた

コロナ禍だったので夜行バスはガラガラだった

行きと帰りの夜行バス運転手さんがまさかの同じおじちゃんだった


夏になり、オンラインで受けていたオーディションに受かった

念願だった、やっと役をもらえる喜び


なのにコロナ禍の閉塞感もあってかメンタルが日に日に沈んでいき、どうしようもなく苦しい日々が続いてしまった


実はその時、他のオーディションにも受かっていて、同時に2つの作品のことを考えなければならなくなっていて、心のキャパがいっぱいいっぱいになっていたのだと思う



私はどちらの作品もお断りすることにしてしまった



燃え尽き症候群のようになっていたのかもしれない




そうして、あっけなく私の夢は終わった




ごく普通の大学4年生

大学3年生の秋頃から自然とかなりゆっくり就職活動を進めていった

大学4年生になり、4月5月は主にオンラインで企業説明会や面接を受けた

たった1社だけ受かり、就活を終えた


とにかくはやく就活を終えたかったのと、この苦しみからいち早く逃れたかった


私は何かに選ばれたり、評価されるのが苦手なのかもしれない



社会人の今

ごく普通の社会人になった

もう役者への未練はない


当時同じ養成所に通っていた同期の子たちの何人かは芸能事務所に入って、バラエティ番組の再現ドラマやCM、映画や舞台に出演している


養成所にいた時の自分は本気で役者になろうと思っていたし、周りに負けないくらいに強い気持ちでそう思っていると思っていた


でも、もう未練はない

その程度の気持ちだったのかもしれない


夢を諦めた頃の私は他の子に芸能の仕事が決まっているのを見て悔しかったけれど、いつしか素直に凄いなあと思うようになっていった


凄いなあと思えた時、私はもう本当に夢を諦めたんだなと自覚した



それが、ちょっと悲しかった




でも将来の夢ってそんなものなのかもしれない


初恋は実らないとよく言うように、将来の夢もそう叶えられるものではない



だけど人生で一度だけでも将来の夢を持てたことは嬉しかった

結果的にうまくはいかなかったけれど、一歩踏み出して夢への道のりを経験できて良かった


まじでやらない後悔より、やって後悔すべしです!!


もしあの頃何もしないままだったら、やらなかった後悔が付き纏って今でも苦しみの中にいたかもしれない


一歩踏み出すのは怖いけれど、その先に待っているのはかけがえのない大切な時間だらけでした


あの頃の私にありがとうと言いたいです



おわりに

さっき、過去のフジテレビヤングシナリオ大賞作品「踊り場にて」が今Tverで配信されているのを知り、すぐに観ました

脚本は生方美久さん
ドラマ「silent」「いちばんすきな花」も書かれた方



夢を諦めた女性が主人公のお話

そして、その「諦める」の本当の意味についても描かれていました


「諦める」は「明らかにする」


もう夢は叶わないと明らかになった=諦めた




気がつけば有り得ないほど大号泣してしまい、そして私も主人公と同じように夢を諦めた人間であることを改めて自覚しました


夢は必ず叶うとは言えない

でも、夢を追いかけたことで得られるものは本当にたくさんある





私はこのように、元々夢がなくて夢がほしいと望んだのに夢が出来たらその夢を恨みつつ、叶えようとし、叶わず諦めた人生を送ってきました



 でもまだまだ人生は続く!



何かしたくなったらとりあえずやってみて、それが上手くいくのかどんどん明らかにして、どんどん諦めていこうと前向きに思えました




夢を諦めたことがある人には「踊り場にて」ぜひ観てみてほしいです

もしこの文章を読んでくださっている時期にTverの視聴期間が終わっていたら、FODで観れると思うのでぜひ






めっちゃ長かったのに最後まで読んでくださり、あなたの大切な時間をいただき、本当にありがとうございました😭💐

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