歯医者さんが好きな理由
私は歯医者さんが好きだ。
子どもを出産してからは歯医者さんへ行く時間なんてなくなってしまったけれど、子どもが小学校に入学したらやっと歯医者さんに行く時間が取れるようになった。
何年ぶりかに歯医者さんに行ったときの感動は忘れられない。
まずね、寝っ転がってぼんやりしているだけでいい、というスタイルそのものに、ジーンとするわけです。家事や子育てに追われて自分の時間なんてほとんど持てずにいたので、「何もしない」ということが最高の贅沢に思える。
診察台に横たわった瞬間、「え、いいの? 本当に寝ていていいの? バチ当たらない?」と本気で感動しました。
目の上にタオルが置かれるわけですが、このタオルがまたいいんですよね。外の世界から切り離された感覚になり、湯船につかったみたいに「あ~極楽」とつぶやきたくなる。(書いていて思うのですが、ほんと当時の私は、家事育児優先で自分のことは後回しでした。。)
でまあ、検査なりクリーニングなりが始まるわけですが、クリニック内に流れているジブリかなにかのオルゴール音楽を聞きながら目を閉じていると、座禅をくんでいる時みたいなちょっと非日常的な気分に満たされます。で、なぜか私は必ずここで「地球」を思い浮かべるのです。
宇宙の中に地球があって、その地球の上には、戦争をしている国もあるだろう。飢えに苦しんでいる国もあるだろう。サバンナでは、シマウマがライオンに追いかけられているかもしれない。それなのに私ったら、地球の上の日本という平和な国で、診察台の上に寝そべっているだけ。そして、私の口の中の小さな小さな細菌くんたちが今、歯科衛生士さんの手によってやっつけられようとしている。
細菌だって昔は目に見えなかった。こうして口の中をケアしてもらえるのも、科学技術が発達した現代に生まれることができたおかげ。とはいえ、貧しい国の人たちは歯医者さんに行くこともできないだろうし、そもそもそういう国の人たちは、細菌と闘う技術だって持ち合わせていないかもしれない。
そんな地球の上で、そんな地球の片隅で、口の中の小さな歯たちを丁寧にケアしてもらえている私。ああ、なんという贅沢。なんというありがたさ。
断っておくと、普段の私はあまりこういうことを考えたりはしない。お寺で修行したりしている身ではないので、日々目の前の「日常」に追われるだけの俗人である。考えることと言えば、「今日の夕食なににしよう」とか、もしくはせいぜい「自分の得意分野はなんだろう」とか、そういう生活とか人生とかに根ざしたこと、ざっくり言うと「自分が得すること」くらいしか日頃の私は考えていない。ありがたいと思う習慣があれば幸せになれるというから、なるべくそう思う場面を増やそうと心がけてはいるけれど、それだって努力してそうしているだけだ。
それなのに、なぜか歯医者さんで横になっている時だけは、「ああ、ありがたい」という気持ちが自然とこみ上げてくる。これはなぜなのか。
まず目を閉じていること、これは大きいと思う。あとはさっきも書いたけれども目の上のタオル。この存在も大きいと思う。あのほどよい重量感、なにげに気持ちよくて五感がゆるむような感覚になる。
そして後は「ヒマ」なせいなんだと思う。何の用事にも追われず、ただただ時間が過ぎるのを待つ、こういうモードになること自体あまりないので、ヒマすぎて、意識が宇宙に飛んだり地球に飛んだりするのではないかと思う。
さらにもって大事なお気に入りポイントは、話さなくていいこと。これに尽きます。
人とじっくり語り合ったりすることは嫌いではないのだけれど、美容院とかタクシーとかで軽快に雑談する、というのが私は本当に苦手で、そういう場所では、話さなくてすむものならずっと無言でいたいと思ってしまう。でもそうすると、美容院とかタクシーだとなんだか気まずくて。結果として、話しても疲れる、黙っていても疲れる、要するに疲れる、となってしまう。ところが歯医者さんでは、話さなくていいではないですか!
でも適度に人とはふれあえる。この絶妙な距離感が心地よくて。
しかも、こんなにいい思いをたくさんさせてもらえて、その上歯まできれいにしてもらえるなんて。
だから私は歯医者さんが好きだ。子どもの頃は大嫌いだった歯医者さん、その歯医者さんが大人になると、自分にとってこんなにもリゾート感あふれる場所になるなんて思いもしませんでした。
もちろんたまに痛い思いをすることはあるけれども、それを補ってもあまりある魅力が歯医者さんにはあると感じます。
手帳を見たとき、明日が歯医者だと分かるとなにげにウキウキっとなる私。それくらい歯医者さんが好き。
ちなみにとある日の歯医者さんで、たまたまママ友が待合室にいるのを見かけたことがあります。時々ランチをしたりもするわりと仲のよいママ友。そのママ友は治療が終わってお会計待ちの状態でしたが、ほっぺたを押さえたまま「痛かったわあ。痛いって手を上げたらさらに痛くなるの。いやんなる。歯医者の日は憂うつでさ」とため息をついていた。
「診察台の上で地球を思ってごらん。感謝の気持ちがわき上がるから」とはもちろん言いません。「だよねえ、歯医者通いってめんどくさいよねえ」と同じようにため息をついてみせる私。こういう演技をせずに素直に口を開けているだけでいいから、歯医者さんが好きなのです。