見出し画像

亀って神の使いだと思うわけ

最近の愛亀は、暴れない、怒らない、脱走しないで、都内私立幼稚園に通う未就学児みたいに、お行儀が良いです。

暴れん坊将軍も、それはそれで可愛いですが、行く先が心配で眠れなくなるので、だんだんと、飼い主の精神力を、サイゼリヤのプロシュート並みに削ぎ落していきます。

ソフビみたいな赤ちゃんの愛亀も大好きだけど、少しずつ自我が生まれてきて、ハッキリと意志を持つようになった、今の愛亀も大好き。でも、成長に伴って、心配ごとが増えたり、変化に戸惑ったりする。

最近、どんよりした毎日を送っていました。亀とは関係ありません。

今日はnoteが書けそうだぞ!と思っても、仕事が終わって家に着いて、ひとりになると、何も手に付かず、ただひたすらに、YouTubeでドキュメント番組を流しながら、頭では違うことを考えて、風呂も入らず汚い身体で眠りにつく。を繰り返していました。

朝起きて、ランニングして、シャワー浴びて、仕事して、仕事から帰ってきてから自炊して、半身浴して、本読んで寝るなんて、数週間前の、そこそこ丁寧な暮らしは一体どこへ。

せっかくの休日。図書館で本を読もうって決めていたのに、ずっと横になったまま、晴れた空を眺めていた。

ほんの些細な傷口を、開いて開いて、アジの開きになるくらい、自分で開く癖がある。

干されてるから、その鯵にはもうアニサキスいませんって言ってるのに、「これはアニサキスに違いない」「干してもアニサキスなんて、集えしこの世の不運よ」「アイム不運の女神」「ステートゥオブバッドラック」て感じで、今マンハッタンのここです。

そうなると、根拠のない幻影に苦しめられるみたいでどうしようもないし、この世界でこんなに苦しいのは自分だけのような気がしてくるし、逃げ道がない気もしてくるし、何しても意味がない神は、もちろんのこと降りてきているし、もうどうでもいいモードに突入しているし。五体満足で、そこそこ普通に生きていけるくせに、実に贅沢だ。

「希死念慮を飼いならす」という表現をしている人がいた。希死念慮を抱いてしまうほどのショックを経験した人の心から、その片鱗は消えない。不安や恐怖に呼応して、姿を現しては、消えていくを繰り返す。

「その希死念慮に名前を付けて、飼いならすことにした」て、斜め上を行くすごい発想だと思う。わたしも、小林稔侍と名付けて、この得体のしれないモヤッとボールを、飼いならすことにした。

ピルを止めたり、想定外の出費が重なったり、冬布団が湿気を吸って臭かったり、知らない固定電話から1日3回も電話が掛かってきたり、髪の毛が激しくプリンだったり、愛想笑いが増えたり。ひとつひとつは、取るに足らないけど、寄せ集まった小林稔侍が、ずっとわたしに不幸の呪文をかけている(気がする)。

でも、そんな飼い主を、救ってくれたのは、やっぱり亀、亀、亀。

公園の池に亀がいるという情報を、美容師からゲットした。まさか、お外亀が見れるなんてと、次の休日に勇んで馳せ参じる計画を立てた。

でも、野生化した亀は、かなり警戒心が強くて、人間の気配を感じると、すぐに逃げてしまう。近くで見れない可能性の方が高いから、期待しない方がいいとアドバイス。

待ちに待った休日。逸る気持ちを抑えて、池に到着。子供たちが、鯉にパンくずをあげている。鯉すごい、鯉のビチビチすごい、鯉のビチビチ争奪戦すごい。

お目当ての亀……いた。

画像1
甲羅干してますけども
画像2
足ビョーンですけども
画像3
そりゃおりますけども

待って、亀寄ってきたけど。

画像4
画像5
まだ干してますけどもね

念願のお外亀、しかも、愛亀では感じられない、アカミミガメの人懐っこさに触れて、飼い主、号泣。ビチビチ鯉軍団の隣で、アラサー、号泣。

水面から顔を出して、こっちを見つめてくれる子いれば、近くの石に登ろうとする子もいた。愛亀もしかり、飼い主、亀には亀に見える説が濃厚になってきた。

手ぶらでごめんねって言いながら、その日は、亀たちとたくさんお喋りして帰ってきた。

そして、ベッドから起き上がれず、気付けば夕方になっていた、暗黒の日曜日。

なんとか落ち着きを取り戻して、そんなに小林稔侍に憑りつかれてるなら、今、わたしは何がしたい?小林稔侍より怖いものはないんだから、なんでもできる。そう自問自答したとき「あの亀たちに会いたい」って思った。

愛亀が食べなかったレプトミン(水亀用フード)をリュックに詰めて、ボロボロに泣いてブクブクに浮腫んだ顔のまま、家を飛び出した。時刻は、18時半。気温も下がっているし、こんな遅い時間に、もう亀たちは見れないかもしれない。

薄暗い公園に到着。休日の昼間は、たくさんの家族連れで賑わうも、すでに無人と化した公園。前回と同じ場所にいくと、なんと、まだ亀たちは近くを泳いでいて、前と同じように、こちらに寄ってきてくれた。

小粒でごめんねと思いながら、レプトミンをあげる。愛亀は見向きもしないレプトミンを、迫りくる鯉ビチビチの脅威を振り払いながら、必死で食べる亀たち。

彼らは健気だ。きっと、飼い主との別れも経験している。なかには、甲羅が変形している子もいる。決して満足にご飯も食べられない。でも、生きるか死ぬかなんて選ばずに、ただ、生きることだけを考えて、今日も、生きている。その命は、健気で、尊い。

そんな健気さに触れるたび、自分の命も、同じように尊いと思える瞬間がある。また来週も、この子たちと会うために、小林稔侍には負けられない。

公園を後にして、家に着いたら、贅沢な愛亀はエビ食べたそうに、こちらを見ていた。やっと貰えたエビをくわえて、狭い水槽を猛スピードで走り回る。きみはきみで、最高だ。

オブジェと化す


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?