いろんな苦しみがあったから一人でも多くの人の力になれたらなと思って。
苦しみの濃度や頻度は人それぞれ違う。
だから、私が通ってきた苦しみを苦しみと感じない人もいるだろう。
でも私にとっては苦しみだったし、今もいろいろ悩んでいないと言えばうそになる。
学校や家族の事、自分自身のストイックさが要因で招いてしまった心の不調の数々。
当時はつらかったけど、それがあるからたくさん学んだこともあったし、
同じような苦しみの中にいる人に、少しでも光になれたら
光はあるんだという希望になれたらと思っている。
暗闇の中にいる時は側にある光、未来にある光に自分で気づくことはとても難しく、
ずっと出口の見えない暗闇にいる感じがするのは自分が分かっている。
そんな時に誰かが、何かがきっかけとなって光を指してくれたら視点が変わる。
いかに自分以外の誰かが気にかけてくれることが救いになるかを実感したからこそ、今度は自分がそちら側の人間になることを目指していきたい。
そんなこんないろんな想いがあってマイペースにnoteを綴っている。
いろいろ悩んできたし、今も悩みはあるけど
浅いながらもいろんな人生の旅をしてきて思うことは
「休んでいい」
ということ。
何度でも言いたい。「休んでいい」「休んでください、自分の心と体をそんなにボロ雑巾のようにしないでほしい」
頑張ることが美徳な風潮。でも頑張ることが全て悪とは思わない。
それができるキャパがあるならやったらいいと思う。
ただ、自分のキャパを超えてまで、擦り切れるまで命を削って何かを成すことは本当に美しいのだろうか。
この人生はきっと、誰もが楽しく幸せな気持ちを味わいたくてできているはず。
いつかの幸せのために、今をそんなに苦しみにまみれさせることは本当に幸せなのだろうか。
流れるように進学をし就職をし、それは本当に自分が心から望む人生なのだろうか。
誰が決めたかもわからない型に自分を無理やり押し込めて窮屈さに目をつむり続ける人生。
そこから抜け出すのはとても怖い。
抜け出した型破りなロールモデルは圧倒的に少ないから。
でもきっと、自分の心や体をだましだまし生きてもいつか限界が来る。
何のために生きてきたのかという空虚感と疲労感、絶望感。
私は中学生の頃からひしひしとそれを抱えていたが、子どもであることと勇気がなく怖がりだったという自分の性格が理由で、ずっと大人が喜ぶように生きてきたし、自分の感覚に蓋をしてきた。
でも毎日悲しかった。
高校になるともっと世界が暗く見えた。毎日泣いていたし、身体も動かなくなっていった。本当に文字通り「動かなかった」。
今の私がもし過去に帰ることができたなら、「学校休みな」と言ってあげたい。
暗く冷たい子ども時代で、青春の思い出はない。
あの時、もっと心がワクワクキラキラときめく生き方をしたかった、
あの時の自分にそういう生き方をする勇気をあげたかったと今でもふとした時に思う。
でも過去には戻れないから、私は大人になってから少しずつ自分が本当はどんな風に生きたかったのかを探り、動いてみて、でも頑張りすぎてまた少し体調を崩しているけど、今の自分は「休んでいい」という許可を自分に出せている。
だからこうしてのんびりと執筆をしているわけなのと、自分の心と体をボロボロにしてしまってる悲しい人の心に少しでも寄り添えたらなという願いを込めて書いている。
あなたは逃げてない。
あなたは休んでいい。
休息をするから心と体は動けるんだ。
自分のペースで生きることを恥じないでほしい。
こんなにも人間がいるのだから、いろんなタイプがいて当然。
苦しみでいっぱいの人生よりも、自分が自分に生まれてきてよかったと思える物語を今から一緒に紡いでいこう。
私も日々模索中。
でもきっと大丈夫、自分の事を心から信じてあげたい。
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