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スピン 2023年冬季号


待たせたね。
年末にようやく迎えにいきました。


気づいたらもう6冊目に突入なのね。はやい。

今月号はいろいろと特別でした。

驚く出会いから、
喜びにあふれた出会いまで。

渡辺祐真さん、谷崎由依さんに、
それからそれから、田村隆一さん。

渡辺祐真スケザネさんは、ハヤカワ新書から
" 源氏物語の人! " の認識でした。

が、スピンを読みながら表紙を眺めてラインナップ作家陣を見ていたある時に、
「は!この方は!!!」となった次第でした。

そこから意識して注目して読めば、
詩歌の魅力を教わり、興味が広がってきた今。

高原英理さん『詩歌探偵フラヌール』についての紹介からの「おわあ」の話がたのしかった。

詩人・萩原朔太郎の「猫」の詩から飛び出してきた言葉だそう。

町を歩くのは詩を鑑賞する態度によく似ていると思った。ちょうど高原英理『詩歌探偵フラヌール』を読んでいたからだろう。タイトルの通り、詩歌をフラヌール(歩く)作品だ。もっと正確に言うなら、詩歌を味わうことはフラヌールするようなものだと、実践してみせてくれる作品と言えるかもしれない。

「小説は好きだけど、詩の読み方が分からない」という人にぜひ読んでほしい。詩を鑑賞するための伴走者ならぬ、最高の「伴歩者」になってくれる。

詩とは、別に恭しいものではない。
ただ、我々は日々の生活を営んでいると、どうしても言葉が硬直化してしまう。
決まりきった表現に頼ったり、一つの表現でいろいろなことを説明してしまったり(「やばい」とか)、言葉はただの道具と化してしまう。
でも、素晴らしい詩に出会うと、新鮮な風が吹き込む。春風が植物を芽吹かせるように、言葉が息を吹き返す。実際、朔太郎のこの詩を味わった人と味わっていない人とでは、猫の声に当てる言葉の選択肢が変わるのだ。

詩歌の楽園 地獄の詩歌
第三回 散歩をするように詩歌を読む


それにね、
『キンコンキン』がかわいくてかわいくて。
何回も頭の中で反芻しては、にんまりしちゃって、言葉にだしてもにたにたしちゃって。

音の弾む感じがたのしくって。

「意味がわかるなどというのは、とくに詩を読む場合にはたいしたことではないのです。」

阿部公彦 『詩的思考のめざめ』


もっと言葉を自由に味わい、あそび心も失わずにいたい。

そして詩歌の冒険に出て、高いところから見渡せる景色、見たことのない景色にこれから出会いたいな。そんなことを考えた。

まずは、
『詩歌探偵フラヌール』を手に取ろう。


って、Amazonページのぞいていたら


「世の中がこうやって詩歌に溢れたら、もっと自由に生きられるんじゃないか。」
           ーー梅﨑実奈(紀伊國屋書店新宿本店)

帯の推薦文の方は、、、!

どこかでみた。
しかもちょっと前、、、どこだどこだ。

ここだーーーー!!!

もうねっ、どんどん枝分かれして出会えるこの出会いがすごくうれしい。

知れば知るほど、
出会えば出会うほど、
こういったうれしい再会みたいなのがね。

一方的に知り合い認定しちゃうものですから、
記憶に残っていて、
思わぬところでパッと目が合うの。
プチ有名人に出会えた気分を味わう。
、、、この現象は何というのでしょうか。

修学旅行先が沖縄と知ったら、沖縄ニュースがいろいろ目にするわ飛び込んでくるわの現象と似ているかな?



さて、
今度は谷崎由依さん。

昨年、海外文芸作品を紹介するイベントをオンラインで聴いた際に出会えた方でした。
自分の中でホットな話題のうちのお一人でしたので、ここスピンで再会できたことがうれしくて。

" 絶版本書店 手に入りにくいけどすごい本 "
がテーマの書評にて、
『神々自身』
( アイザック・アシモフ著 / 小尾芙佐訳 / 早川書房 ) の紹介をされていました。


わ、小尾芙佐さん!それに早川書房!!
と、重なるちいさな喜びがわたしを待っていました。

この喜びは、
オンラインイベントで出会えたうれしい情報や、読みたくなった本、楽しみで仕方ない本に出会えた件とつながっているので、また別のページで書きたい。

『神々自身』で描かれたデュアのことについて書かれていた。

彼らはバーバパパとか
「あおくんときいろちゃん」みたいな不定形の存在で、希薄になったり密になったりしながら、太陽光を食べて生きる___

この例えにクスッと微笑ましくなったり、

第二部にはいとも魅力的な並行パラ宇宙がひろがっている。一九七二年の作品だが、第二部はいま読んでもすごく新鮮で、こんな世界はいまだほかのどこでもお目にかかったことはない。

群れるのが大好きな娘たちみたいな感性子の集団にあって、デュアはひとり何かを考えている。ほかの感性子たちが生殖のために昼間の太陽光を貪る傍らで、デュアは夕暮れの " 表圏 " ____はかなく淡くなりゆくひかりの圏域を好み、寒さのなか敢えて体を希薄にする。

たとえば集団自殺へと向かうレミングの群れのなかで、ひとり立ち止まってしまう個体。デュアはそのようなもので、能天気に暮らしながらも何か違うなと感じていた十四歳のわたしにまっすぐ入ってきた。以来彼女はわたしのたったひとりの友人となった。デュアはわたしだったし彼女がいる限りわたしは大丈夫だと思えた。デュアがデュアのようである限り。

十四歳の〜には、自分にも似たような経験があったなぁと思い出したり、

とりわけ文章も感性も素敵で、
なによりこの文章だけでわたしにとってもデュアがとても大切な存在に。

作品を読む前にこんな気持ちが生まれ、
わたしも、はやくデュアに会いたい!と。
手に入りにくい本なので時間はかかるかもしれないけど、いつかの出会いをたのしみにしよう。

そして、うれしい発見だったのがこちら。


写真フォルダの検索で、
" 言葉 " と入力するとでてくる写真の楽しさに浮かれ、ヘラヘラ見直していた時のこと。

バッと目が合ったの。
わ、そうだこれ、読みたいと思って写真におさめていたやつだ!と当時の記憶もバッと思い出す。

蔦屋書店で働いていたときのこと。
これは、11/1の本の日に合わせて企画されていた【コンシェルジュ文庫】のなかの一冊だ。
懐かしい!!!

そうそう、これこれ。
2020年の第2回目のものだ。

書店員時代の大事なものは大体残しているから、どっかにあるだろうと探して見つけました。
思いのほか見つけるのに時間がかかり、
予想していなかった《study》と書かれた封筒に納めてありました。
んーー、そうか、当時は読んだことのない本を読むこと、知ることがstudyだと思っていたんだね。
今ならちがうジャンルのくくりにしまってあげるかな。
んーー、《encounter》" 出会い " の箱をあらたに作ろう。あたらしいものに出会いたい、知らない世界に出会いたい、そんな気持ちで手にするこの冊子はとびきり素敵なブックガイドですからね。

しっかり " 未来 " のわたしに届きました。
ありがとうございます。

それでね、今度はこの『地下鉄道』を紹介されていた文学コンシェルジュの河出真美さん。

リサーチしてみると、、、


、、、わぁ。

『オリンピア』
( デニス・ボック 著 / 越前敏弥 訳 / 北烏山編集室 ) が、紹介されている。

この北烏山編集室は、
前に述べたオンラインイベントでのゲスト出版社として参加されていて、このオリンピアは最初の出版物。イベントで本書を知り、気になっていた本でした。

この着地にまいった。
これまでのことや、出会えたものたちが
こうして自分のところに帰ってくる感覚。

予想もしていないところで出会いや偶然の発見があり、人生なにが起きるかわからないね。

好きなものを好きということ。
アンテナを張り巡らすこと。
人に出会うこと。

これからも大事にしていきたい。
そしてあわよくばいろいろなものを引き寄せられる人、また会いたいと思われる魅力的な人になりたい。



最後は、田村隆一さんについて。

ドキっとした出会いではなく、
じわじわ離れなくなる感覚を味わった方です。

スケザネさんのページから、
詩歌への興味が生まれ、詩歌への入り口に立てたかもしれない、これから出会えるであろうものへの喜びにあふれた余韻で本書を閉じた先にふたたび出会う表紙の言葉。

きみが話してぼくが聞く。
ぼくが書いてきみが読む。
繰り返すたびに倍々ゲームで中身が大きくなる。
おもしろい。でもねえ、田村隆一さんが言うんだ、言葉なんかおぼえるんじやなかつた、って。

池澤夏樹さんによる表紙の言葉だ。
この、、、

" 言葉なんか覚えるんじやなかつた "

この言葉の力がすごくて、
どうしてか惹かれて惹かれて仕方なくなる。

調べる。知っていく情報。
するする紐解かれ見えていく田村隆一さん。

もらったもの、受け取ったものがなんだかすごくて言葉にできない今。。。

ザッとまとめていこう。

詩人・随筆家・翻訳家

wikipedia

1947年、鮎川信夫、北村太郎らと『荒地』を創刊する。

1950年より翻訳を開始する。処女訳書はアガサ・クリスティ『三幕の殺人』。その版元であった早川書房に1953年より1957年まで勤務、編集と翻訳にあたる。当時の部下だった福島正実、都筑道夫らの回顧文では「有能だが、あまり仕事をしない、風流人」として描かれている。退社後は他の出版社とも仕事をし、数多くの推理小説や絵本を紹介した。

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1963年、『言葉のない世界』で高村光太郎賞を受賞する。
1978年、『詩集1946~76』(最初の全詩集)によって第5回無限賞を受賞する。
1985年、『奴隷の歓び』で読売文学賞を受賞する。
1993年、『ハミングバード』で現代詩人賞を受賞する。

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晩年は萩原朔太郎賞の選考委員を務め、

wikipedia

「戦後最大の詩人」とよばれた、田村隆一。鮎川信夫、北村太郎らと戦後現代詩の牙城となった詩誌『荒地』に参加した田村は、1998年、みずから「最後の詩集」と予告した『1999』を刊行し、永眠する-ジョン・ダンの詩句「死よおごる勿れ」を、絶筆に。

アート・ドキュメンタリー「Edge」


経歴にある職業だけで、すでに驚かされる。
ひときわ驚いていたのが、
早川書房に勤務、編集と翻訳にあたるの部分。

びっくりしすぎて声すら出せませんでした。
いまだに驚きの渦中。。


言葉なんかおぼえるんじゃなかつた
言葉のない世界
意味が意味にならない世界に生きてたら
どんなによかつたか
あなたが美しい言葉に復讐されても
そいつは ぼくとは無関係だ
きみが静かな意味に血を流したところで
そいつも無関係だ
あなたのやさしい眼のなかにある涙
きみの沈黙の舌からおちてくる痛苦
ぼくたちの世界にもし言葉がなかつたら
ぼくはただそれを眺めて立ち去るだろう
あなたの涙に 果実の核ほどの意味があるか
きみの一滴の血に この世界の夕暮れの
ふるえるような夕焼けのひびきがあるか
言葉なんかおぼえるんじゃなかつた
日本語とほんのすこしの外国語をおぼえたおかげで
ぼくはあなたの涙のなかに立ちどまる
ぼくはきみの血のなかにたつたひとりで帰つてくる

「帰途」
詩集 言葉のない世界


" 言葉なんかおぼえるんじゃなかつた "
のつづきがすごかった。。
この感覚はとても言葉にできません。




スピンは紙の良さをあらためて堪能できるような手触りの良さだけでなく、活字で味わう心地よさをふたたび体感させてくれる、疲れた日常から離れられるだいすきな文芸誌です。

定期購読して実際手にして、
いろいろな書き手さんの言葉に出会えて
ちいさな好きが積み重なっている。

スピンを読んでいる時、
わたしは学生時代の現代文教科書をなんでか感覚として思い出しちゃうの。
判型や文字のあの間隔、行間とか、紙の余白具合とか、数ページの間につぎつぎに新しい出会いがあって、静かでありながらもたしかな存在感を感じられる文章ばかりで、それが自分の好みとかの枠を越えて多種多様な感じで、、、

んーーー、新学期がはじまってあたらしい教科書を持ち帰って、2学年上のお姉ちゃんの現代文教科書をパラパラめくって感じていたあのときの感触だ!
そう、スッキリ!
そうそう、ちょっと背伸びして味わえるあの特別感、高揚感、優越感。そうよ、スピンはこの気持ちをふたたび思い出させてくれるんだ。

日常に「読書」の「栞」を____

歳を重ねた今、
せわしなく過ぎてしまう日常を抱えるようになった今、
この言葉の持つあたたかさに気づけるようになった。
忘れないようにしたい、
いつまでも自分にかけたい言葉だ。

リアルタイムでスピンを手にでき、
一緒に時を重ねられるのがうれしい。

2026年を迎える頃には、
どんな人になっているかな。
どんな出会いが生まれているのかな。
どんな人と交流しているかな。
そんな希望を持ちながら、これからもたのしみにスピンを読んでいこう。








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