見出し画像

慈しみが連れて来る景色【映画『ロマンスドール』】

これは純愛の物話だ。
PG-12だろうがダッチワイフの話だろうが、関係ない。
誰が何と言おうと、ピュア・ラブストーリーだ。

監督・脚本 タナダユキ
主演 高橋一生、蒼井優

簡単なあらすじ
ラブドール職人である哲雄(高橋一生)は一目惚れした園子(蒼井優)と結婚。職業を明かせないまま幸せな新婚生活を送るが、二人はいつしかすれ違うように。哲雄には”嘘”があり、園子には”秘密”があった。

※予告編を観てわかる程度の内容には触れますが、結末がわかるようなネタバレはありません。

「夫婦」って、なんだろう。「愛する」って、なんだろう。
そんなことを思いながら読んでほしいし、そのあとは映画を観てほしい。

出会い方こそあまり一般的ではない形だったかもしれないが、二人は一目で惹かれ合い、恋に落ち、結ばれて夫婦になる。それは恋愛結婚の定型で、所謂「よくある」やつだ。でも望んで手に入れたはずの幸せは、それが日常になってしまうと、人は簡単に大事なものを見失うーーうん、それも、「よくある」やつ。大事なものに、危機が訪れてからようやく気付き、それから二人は……って、なんだよ「よくある」感じで終わりかよ、と思った。一瞬、より少し長めに、思った。製作の皆さんに謝りたい。いや、想定内、というか手のひらでコロコロされてたんでしょうか。監督の手の中で。終わりなわけあるか。そこからが始まりだ

夫婦の在り方、愛の探し方、好きの伝え方。たったひとつの、慈しみ方。そう、慈しみなんだと、思った。後半、あるひとつの、哲雄にとって重要な意味を持つドールへ向き合う哲雄の視線は、紛れもない「慈しみ」だった。上記のリンク先、予告編を見ていただくとわかるが、劇中哲雄はこう言う。

「永遠に続くものはない。永遠に手に入らないものが、あるばかりだ」

永遠を叶えるために、哲雄はドールに没頭する。
ほんとうの愛とはなんだろう。あなたには本当に「なくしたくないもの」があるだろうか。永遠を作り出すために、哲雄はただただ、慈しむのだ。

「どうせやるならいいものを」

師匠である相川(きたろう)と合言葉のようにそう言って、より美しく、よりリアルに、魂が宿るように、と、取り憑かれたみたいに仕事に没頭してきた哲雄の、その手腕が発揮されるとき。手腕だけではダメだっただろう、そこに哲雄の「魂」があったからこそ、辿り着いた。哲雄の「魂」が、これ以上ないくらいに慈しんだんだ。魂が宿るのは、その結果だ。その結果は、さぁ、どうだ。

先ほど主役二人の恋愛と結婚について「よくあるやつ」と繰り返したけれど、そんな「よくある」二人の見つけた愛の行く末は、哲雄だからこその、園子だからこその、優しく、不器用で切ない、温度があり触ることができるような、全っ然「よくあるやつ」じゃない、ここにしかない、結末だった。この物語だからこその、結末。

誰かを慈しむことができるのは、誰かにこれ以上ないくらい想われているからだと思う。ほんとうの愛を一身に受ければ、同じだけ、いやそれ以上、返せるものなのかもしれない。

ラブドールというちょっと尖った性の題材を扱っているからといって、決して奇を衒ったり、無駄にいやらしいことをしない。これはただシンプルに、好きな人に愛されて、好きな人を愛する物語だ


余談だが、個人的にこの10年ほどの推し俳優スタメンである高橋一生と、個人的推し女優ナンバーワンである蒼井優のラブシーンは、淡い白熱灯の光がおそろしく似合う、あたたかい、最高のラブシーンだった。ああ、でも、淡い、ではなく、白く、なるところもあった。これは監督の意図だろうか。そんな気がする。どちらにしても「やさしい」と「うつくしい」が両立する世界。監督に盛大な拍手。
目の前の相手を愛しいと思う、目、声、仕草。どれをとってもぴったりと、過不足のない、哲雄と園子の愛のかたち。主演二人に盛大な拍手。

嗚咽するような感動じゃなくて、わからないけど、たぶん、これは園子から哲雄への、哲雄から園子への、溢れる愛がスクリーンを超えて私に届いた結果なんだと思うけど、終盤はなぜか、ずっと、静かに泣いていた。スクリーンに映し出される愛に静かに心が揺さぶられて、泣いていた。


#映画  #邦画 #レビュー #ロマンスドール #タナダユキ #高橋一生 #蒼井優 #コンテンツ会議 #映画感想文

子供の就寝後にリビングで書くことの多い私ですが、本当はカフェなんかに籠って美味しいコーヒーを飲みながら執筆したいのです。いただいたサポートは、そんなときのカフェ代にさせていただきます。粛々と書く…!