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褒めれば褒めるほど、モチベーションは下がる??

こんにちは!
社交的な人見知りです。

私の母はとても厳しい人で、
あまり「褒める」ということはしてくれませんでした。
そして、母に褒められて「嬉しい」と感じることもあまりありませんでした。

部活で国体選手に選ばれた時も「なんだ、1位じゃないの」
テストで100点を取った時も「ふーん凄いじゃない。次も頑張りなさい」

もちろん母が喜んで褒めてくれることもあったと思いますが、全然覚えていません。でもきっと、私自身は嬉しくなかっただろうなと想像します。

褒めるということは?

皆さんは普段、どんな風に褒めていますか?

「よく出来たね!」
「凄いじゃない!」
「偉いね!」

こんな風に声をかけることはありませんか?

最初に言っておきたいのは、「褒めることが悪い」ではないということ。

褒められればもちろん嬉しいこともありますし、
褒めるべきことがあれば、もちろん伝えるべきです。

ただ、「褒める」という行為がどういうことを指すのか、
一度考えてみていただきたいのです。

褒めるという行為は、
評価する者にとって好ましい結果が起きた時に伝えることです。

例えば、自分の子どもが
『テストでいい点を取った時』『お手伝いをした時』『親切な行動をした時』などです。
上司であれば、自分の部下が
『売上目標を達成した時』『業績に貢献した時』『お茶を淹れた時』笑

基本的に、褒めるという行為は、目上の者から目下の者に行う行為です。
つまり、上下関係の言葉なんです。
上司を褒める、ってあまり一般的じゃないですよね笑

それから、褒める基準も、評価者次第です。
テストで「いい点」って何点からが「いい点」?

100点の時しか褒めない?
80点以上なら?
ではもし、79点だったら?

私は母に対して、こう思ってました。
「いい点を取らないといい子じゃない。」
「100点以外は褒めてもらえない。」
「褒めてもらっても次もいい点じゃないと許されない」

テストのたびに、母に結果を見せるのが億劫で仕方がなかったです。
いい点でも悪い点でも、母のさじ加減次第だからです。


褒めるのではなく認める

私はただ認めてほしかったのです。

結果ではなく、過程を見てほしかった。
結果がどうであれ、私自身を認めてほしかったのです。

例えば
「今回テスト勉強頑張ってたもんね!」
「どんな風に勉強してたの?」
結果に関わらず、過程を見てくれていたり、私のふるまいに興味を持ってくれてたら。。。


実は認めるには3つの種類があります。

存在承認 / 行動承認 /結果承認

褒めるとは、最後の結果承認にあたります。
結果について認めるということです。
ですが、これだけを行ってしまうと、相手のモチベーションが下がってしまう可能性があります。
なぜなら、「褒められないならやらない」「結果はよかったけれど、あの人は納得しないかもしれない」と、外因的要素が強いからです。

そして、
存在承認とは、相手の存在自体を認めること。
例えば、挨拶をする、目を合わせる、名前を呼ぶ、興味を持つなど。
普段の当たり前のコミュニケーションで行われていることばかりです。

行動承認とは、相手の行動した事実や、意欲について認めること。
例えばチャレンジしたこと、やろうと思った気持ちや、プロセスについて認めることなど。
結果はダメだったかもしれないけど、挑戦したこと自体は素晴らしいよ!!
ということです。

存在承認と行動承認をすると、相手のモチベーションや自己肯定感が高まり、前向きな行動へとつながっていきます。
結果が伴わなくても、またチャレンジしよう!と思えたりするのは、
自分の中の内因的要素の力です。


たくさん見つけよう!褒めポイント!

結果だけを見ては、
「よくやったね!」と、1つしか褒められません。

ですが、普段からコミュニケーションを重ねていると
「こういうのが得意なんだね」
「よくチャレンジしたね!」
「頑張ったから、結果もついてきたね!」

と、たくさん褒めポイントが見えてきます。

ぜひ、何か相手を褒める時には、結果が出た時だけではなく、
普段からよく観察し、褒めるところをたくさん見つけてあげてください!


モチベーションが上がる、褒め方のバリエーションを増やしましょう^^



ではまた。




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