侵攻してきたロシア兵に向かって、ひまわりの種を渡そうとするウクライナの女性の動画を観た。…
新型コロナウイルス感染症が蔓延しこれまでに世界中で600万人近い死者を出し、いまでも世界中…
平成29年(2017年)、極早生みかんが採れはじめた頃、敏雄は聖隷三方原病院のベットの上に居た…
平成22年(2010年)の新緑の季節だった。 敏雄は里帰りしていた。 先祖の墓参りと、その墓仕…
勤務する徳島県立果樹試験場は敏雄の実家からも近く、勝浦川沿いの丘陵地帯に在った。 敏雄と…
昭和26年(1951年)、22歳の敏雄は静岡県の興津に在る農林省園芸試験場に入場した。 果樹園芸…
敏雄は、日本農士学校から戻った。 敏雄は、父丈三郎にみかん作りの修行をしたいと頼んだ。 …
「東洋倫理概論」 敏雄は、その書名に堅苦しい厳めしさを想像したのだったが、言葉の厳密な意…
敏雄の幼なじみのシゲちゃんが亡くなった。 シゲちゃんは、冷たい雨に長時間体を濡らしたこと…
敏雄は、製材所に就職して木炭トラックの運転手の助手になった。 朝早く起きて、トラックのタ…
勝浦川には、棚野と横瀬の間に横瀬橋が架かっている。 敏雄は、その横瀬橋の棚野側の袂に立っ…
敏雄は、「トシオはわるそばっかししよる」と謂われていた。 町でも学校でも力が強く乱暴者だ…
丈三郎もゆきえも、毎日墓参りしてから山の畑に向かう。 喜平を埋葬した墓のネキ(傍ら)にア…
昭和11年(1936年)皇道派の青年将校等による二・二六事件が起こった。内閣は総辞職し政党政治…
節分に産まれた子は敏雄と名づけられたが、敏雄はその名のとおり敏なること際立つ子だった。 …
四国八十八ヶ所巡りの旅に出るからには、お遍路たちは皆それなりの事情を抱えていた。祈願成就…