見出し画像

「勝浦川」その17.日蝕

敏雄は、「トシオはわるそばっかししよる」と謂われていた。
町でも学校でも力が強く乱暴者だと思われていたが、それには訳があった。

尋常小学校に入学したばかりのときだった。
敏雄は小坂のコウちゃんという子と友達になった。或る時、コウちゃんと遊んでいて二人交互に馬跳びをしていたのだったが、敏雄が暫く遊んだので少し疲れて馬をやめた途端に、その馬を跳ぼうとしたコウちゃんが不意を突かれて跳ぶのに失敗し、敏雄におぶさる体勢になった。敏雄も驚いてコウちゃんが敏雄の肩から前に出した両腕を力一杯抱え込んでしまったのだが、その瞬間鈍い音がして光ちゃんの腕を折ってしまったのだった。

以来、「トシオはわるそばっかししよる」と謂われるようになった。
確かに敏雄は友達にわるそばっかししよった。だが悪意はなかった。いたずらのつもりだったが、なんせ人一倍力が強かったし頭の回転がいいので話に尾ひれがついた。

小学二年のときだった。
小学一年・二年の読方と算術の試験成績が評価され首から下げるメダルを教師から授与されたのを自慢して、学校の帰り道メダルを首から吊るして歩いていると、それを見かけた蹄鉄屋の梅はんという老人が「それは何なら?」と問うた。敏雄が威張って「これは校長先生にもろうた金鶏勲章ぢゃわい」と応えると、梅はんに「おまはんなかなかへらこいのー」と言われたので、敏雄は「なんぢゃへらこいことやかしあるか」と食ってかかった。

敏雄は「へらこい」と言われたのを「ずる賢い」と取ったが、梅はんは「なかなか遣り手だな」という意味で言ったのだった。

このように敏雄は生意気な小学生だったが、頭が上がらない人が一人だけいた。父の丈三郎であった。

敏雄が尋常小学校の三年生の十二月三日、日本の広い範囲で日蝕が観られるというので、敏雄たちは前もってガラス板をランプの火で炙って煤をつけ日蝕を観る用意をした。
教師が「日蝕がどうして起こるか知っている者は?」と問うと、敏雄は得意になって手を挙げた。

敏雄が、地球の自転と公転、地球の周りを回る月、その月が地球と太陽の間に入るのだと答えると「いま敏雄が答えたことは高等科の生徒が習うことだ」と言いながら、その教師も驚いた。

だが、実はこの日蝕の話は、敏雄が前の晩に丈三郎から聴いた話の受け売りであった。

丈三郎は、声を荒げることがない人だった。敏雄も父に怒られた記憶がない。その代わり、日蝕に限らず星の光の速さと長さ、宇宙の話などよく話してくれたのだったが、どうしてそんな知識が丈三郎にあったのか、敏雄には不思議だった。

こうして敏雄たちが日蝕を観察していた頃、大陸では盧溝橋事件に端を発した支那事変(日中戦争)が起き、中支那方面軍が南京に向かって進軍している最中だった。

だが、丈三郎の山の畑ではみかんが実っていた。
そして、町のあちらこちらのみかん畑も収穫の季節を迎えていた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?