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花が花でいるように。

そんなことに何の意味があるんだろう?
そんなことを始めた僕。

心のままに感じたことを
朝日の写真とともに
Instagramに投稿する。

ただそれだけ。

妻と4人の子どもがいる僕は、
生活の不安を感じながらも
何とか生きている。

これまでの生き方とまったく違う生活に
朝は朝日を浴びて幸福を感じるものの、
夕方には不安や憂鬱や罪悪感を感じる
という毎日で、

どこにも行けず
どこにも向かっていない
鬱屈した気分の時期を過ごした。

ところが不思議なことに
生活に困ることがない。

どういうわけか
経済的にもなぜか困らない。
さすがに今月はやばい、という時も
なぜかどこからともなく入ってきたりする。
(どこからともなくなわけないが、そんなことは考えもしなかったところから入ってきたり、という意味だ)

妻にも責められそうなものだけど、
特に何も聞かず見守ってくれている。

こうなってくると、
サバイバルを生きていた僕は
(つまり自分で何とかしないといけないという考え方で生きてきた僕は)

あれ?
どうやら人生というのは
そういうふうになってないのでは?

ということを考え始めた。

ということは、
この人生のこの期間
何かを経て、
何かを経験する必要があるのではないか?
ということを信じ始めていた。

それで、その指針というのが
心が言っていること。

この頃、
花壇に花を植えた。

今まで花にまったく関心のなかった僕だけど、
花を綺麗だな、と思うようになった。
そして、この花はただただ美しく、
1人で生きてない。
太陽や土や水やりをする僕や、
その恩恵の元、ただただ花として美しく咲いている。

僕もまた1人で生きてない。
こんな当たり前のことに
ぼんやり気づくようになった。

じゃあ、花が花としているように
僕が僕としていることでいいのかも。

Instagramに、
感じたことを詩のように綴り始めた後、
ここまでの僕の体験を
エッセイとして投稿し始めた。

ある日、突然
全ての投稿にいいね、
コメントしてくれる人が現れる。

反響を求めたものではなかったけれど、
それでもリアクションは嬉しくて、
丁寧に返事をしたところ

「一度、お話しませんか?」
というお誘いがあった。

とはいえ、
その人はオーストラリア在住の日本人の方だったので、zoomで会うことになる。

そんなこと意味があるのかな?
ということが次の展開を用意してくれていた。


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