「学び」は一方的に得られる物ではなかった
『はみだしの人類学 ともに生きる方法』を読んだ。読む前は、そもそも人類学が何なのかよくわからないまま読み始めたけれど、とてもやさしい言葉でわかりやすく説明されていて、人類学がどんなものなのか何となく理解することができた。
とても面白かったのだけど、説明するのがとても難しい。どんな本だったか説明することがそのそも苦手なのもあるけれど、まだよく理解できていないと言うことなのかもしれない。
全体についてまとめるのは難しいので、印象的だった部分について書いていこうと思う。一番印象的だったのは、以下の部分だ。
自分たちの知識や枠組みを相手に押しつけず、相手と同じ場に身をおき、相手から学ぼうとする姿勢で「わたし」を開いておく。すると、その「つながり」はおのずと互いを変容させていく。その変容こそが「学び」なのだとインコルドは言います。
学びは一方的に得られる物ではなく、相手とのつながりの中でのお互いの変容こそが学びなのだと言う。私はこの一文を読んだ時、心臓を掴まれたような感覚がした。
「学び」とは少しずれるけど、私は今まで、人間関係を円滑にしたいと思いながらも、それに、ネットで調べた情報を見ては、学んだつもりになっていた。相手とのつながりを拒み、自分だけが変わらなければと思っていた。
でも、それは違った。相手と共に考えながら、お互いに変容することが、学びだった。パソコンとにらめっこするんじゃなくて、相手と同じ場に赴き、自分を開いていかなければならなかったのだ。
今までは、相手と同じ場に身を置くことも、相手から学ぼうとする姿勢で「わたし」を開いておくことも、一切していなかった。それどころか、自分の殻に閉じこもって、完全に心を閉ざしていた。
人間関係がうまくいかないのは私のせいだから、変わるべきなのは自分だけと思っていたけれど、よく考えてみれば、それはコミュニケーションとは呼ばない。お互いに変容しないと言うことは、コミュニケーションがうまくいっていないと言うことになると思う。
コミュニケーションは、お互いに変容していくことによって成り立つはず。ということはつまり、コミュニケーション自体が「学び」になるということにもなるのかな。
この「学び」は人類学の参与観察をする場合の考え方だから、全てのことに当てはまるわけではないと思うけど、「コミュニケーション自体が学び」って言うのは間違っていない気がする。
自分の殻を飛び出して、学びの場へと出ていきたい。ブランクがあるからかなり勇気がいるけど、身近なところから少しずつ。
この本、まだちょっと読み込みが足りない部分もあるから、もう一度読み返してみようと思う。しっかり読み込んだらたくさん学びがありそう。
大切なお時間を使って読んでくださり、本当にありがとうございます! 気に入っていただけましたら、サポートをいただけるととても嬉しいです。これまでにいただいたサポートが、私のモチベーションとなっています。