眠い冬、次へと私を運ぶのは
眠気の只中にいながら走り続けている。1つのタスクをこなしたら、すぐ次に取り掛からねば明日がきてしまう。明日を越えられなければ明後日を迎えられない。それは困る、だからがむしゃらにやる。でも眠たい、ああ眠たい。そんな日々。
冬の布団はなぜあんなに魅力的なのだろう。凍った足を織り込むように身体を折り、膝下にゆたんぽを忍ばせる。湯上がりの熱は一瞬で引いて、私の末端は他人のもののように冷たい。シーツの表面は一向に温まらず、何枚も重ねた毛布は重くて息苦しい。それでも次第に暗い幕が降りてきて、私はあっという間に眠ってしまう。朝が来れば数時間前とは異なる温度に包まれていることに気がつく。簡単には離してもらえない。放してほしくない。
私はとっても疲れている。やることは山積みで、会いたい人も会わなければならない人もたくさんいて、部屋は雑然とし、録画は溜まり、締め切りが近づく。眠くて眠くてたまらない。しかし私は「私自身」を次のところへと運ぶ必要がある。そうすることが、眠ることと同じくらい、私にとっての喜びだと本能で知ってしまっているから。
『逆さに数えて』という歌を愛している。(何度も書いているが。) 最期の時を迎えるまで、なにひとつ諦められない。いのちを使い果たして生きていく。大袈裟に聞こえるかもしれないけれど大袈裟ではない。
そうありたいと思って、走り続けている。「今年の目標は引き算だ」と宣っておいて、なんとも無責任な自分を笑ってしまう。どちらも本心だ。足しすぎることも引きたいと願うことも、もっと眠りたいと呟く私のほんとうだ。
橙色のお湯から上がったら、白く嵩張る布団に身を潜める前に済ませなければならないことがある。右目を擦って取り掛かろう。私は明日も眠気を友にして戦う。
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