春光は私たちの中に
雲ひとつない空の下で電車を待っている。約束のある日もひとりで過ごす日も、私には等しく美しい。いまがいちばんいい気候。長く続けと願っても春はあっという間に終わってしまう。と思えばまたすぐに巡ってくる。やさしくて残酷で、それでも結局胸が躍る季節。
上司と、「与えられる人でいたいよね」という話をした。自分のためだけではない人生を送ることができたら、それはとても豊かなことだよね、と。難しい思考は要らないなとふと思った。私たちの喜びの中に、誰かの幸せが混じるならとても素敵。ただそれだけのことだ。
肌寒さが去り、心の温度も上がったのかもしれない。イヤフォンから新しい曲が流れるたびに目尻が少し下がる。なんて心地よい気分だろう、どうしてこんなにやさしい気持ちになれるんだろう。
ペールピンクの髪色が似合う知人は、「守ってあげたいし寄り添いたいけれど、頼ってくれるその子の話を聞くと胸が重たくなる」と私にこぼした。誰かを想う気持ちと、受け止める準備の有無は比例しない。太陽のように笑う人だから、思わず自分の奥を打ち明けたくなるその子の気持ちはとてもわかる。彼女は確かに、大袈裟にせず気軽に抱きとめてくれるような雰囲気がある。でも、自分のまるごとを外に出している人などほとんどいない。むしろ、自分自身でも知らない面をいくつも持っているものだ。期待される役割を担えなくても、力不足なわけではいい。無理に「求められる姿」を提供しなくていい。頼りにしてくれる人を無碍にするようで嫌な気持ちにもなるけれど、相手と自分を守るためにする判断には思いやりが満ちている。2人がそれぞれに、自身を大切にしてくれることを遠くから願う。
買ったばかりの小説を読み始めたら止まらなくなり、深夜の雨を聞いてしまった。中身も面白かったけれど、読書だけができる時間が嬉しくて最後のページまでめくってしまった。子どもたちと向き合っている時、「血の通った感情」にくらくらする時がある。活字で感受性を弾くのとは違う。こういう時間が必要なのだと、最後まで読んでから思った。目覚ましをかけずに布団に潜り込む。
少しばかりゆとりができた年度末に、私は何を楽しもうか。春の休日がしあわせであることを、ひとまず優しい人に伝えた。ふと浮かぶ嬉しさを共有できる相手がいてよかった。どうか君もしあわせでいてほしい。
ミモザはまだ、咲いているだろうか。
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