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「穴の空いた人間」

ここ数日の間に観た映画がどれもこれも胸のど真ん中を刺してくるもんだから、どうやって未来を選んでいこうか考えさせられている。

何を観たかは内緒。

常々思っていることがある。
"なにか"によって空いた穴は、"ほかのなにか"では埋められないということ。
恋人を失くして空いた穴。仕事でミスして空いた穴。傷がそのまま穴になることも、あるはずだったものが与えられなかったがために最初から穴になっている場合もある。
がらんどうで、なにやら暗くて悲しい音がする。自分自身がからっぽのような感覚にすらなる。あぁ、私という存在は満たされてはいけないんだ、なんてことまで思う。

他の何をするにも、その穴のことを考えてしまう。関係のない時だって「穴が空いた人間」なのだと自分のことを思う。けれどそればかりだと苦しいから、他の騒がしいなにかで埋めようとしてみる。もしくは、穴となる要因そのものをもう一度欲しがってみる。

酷いことを言いたいわけではないが、そんな風にもがいたって平地に戻せる日は一生来ないような気がしている。残念だけれど。

私たちにできるのは、穴を目立たなくさせることだと思う。空いた穴はもうそのままにしておく、そこにあるのが当たり前ということにしておく。時折視野の端の方でその存在はちらつくけれど、少しでも愛せるものを、少しでも胸の高鳴る日々を抱きしめているうちに穴を目にする回数が減っていった、という風にすることはできる。

がむしゃらに穴を埋めようとすることと何が違うんだと思われるかもしれない。でもきっと違う。「穴はあってはいけないもの」と捉えるのをやめたらいい。そもそもそれは本当に穴なのだろうか、ということも問いたいのだけれど。

癒しきれない過去が蘇るたび、私はこの呪縛から逃れることは生涯できないのだと悟った経験が何度かある。そこからさらに数年経った今も、記憶もかなしみもゼロにはならない。けれど、「穴」は私の人生を構成するひとつなのだと淡々と受け止められるようにはなった。「ほんの一部に過ぎない」とも「大事な一部なのだ」ともいえる。美談にしたいわけでもない、ただそれが事実だからそう思うのだ。

いつかきっと大丈夫になる。気休めかもしれないけれど、いつも口にする言葉。いつか、きっと私たちは大丈夫になるから。奥歯を噛み締める力を少し緩めて、飲み物をマグカップに温めて、優しく撫でてくれるような文章を辿っていよう。

作品の中で生きるあの子たちと、手を伸ばせば触れられる距離にいるあの子たちを思い浮かべて。

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