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駆け抜けるならば紐を緩めて

何をするにも体力が必要。そう思うのは、今この瞬間、兎にも角にも眠たいから。

酷暑といわれる夏なのに、我が家はなぜだか涼しくて、クーラーをつけなくても汗もかかずに過ごせている。自分の体温調節機能がおかしくなったのかと何度か不安になったけれど、外出すればものの数分で玉のような汗をかくのでそういう問題はなさそうだ。

夜が更けても起きていなければならない事情があり、数日寝不足だった。勝手に閉じていく瞼をそのままにして昨夜は眠った。Á Table!というドラマを発見し、流し見しながら朝食をとった。ぼんやりと眠たい。でも10時間近い睡眠のおかげで、おおよそ回復できたらしい。昨日買ったばかりの置き時計を、お気に入りのキャンドル越しに眺める。良い買い物をしたようだ。

風に吹かれるレースカーテンにただ目を遣る。白いソファの上で、でろんとする私。疲れていると、何もしなくて良い大義名分があって楽だと思う。風邪の時もおなじ。最近は「何もしない時間の中にいる私」を許せるようになったけれど、動いていなければ気が済まない自分の方が親しみがある。それは全然悪いことじゃなかった。好奇心が強く、葛藤しながらも心が動いた方へ行動に移す。そういう私じゃなければ出会えなかったものに囲まれて生きている。気力で体力を補填していた。疲れていたけれど、フィジカルよりマインドのエンジンの方が強かった。そういう3年間だったのだ。

先々月あたりから、上手く眠れない日が時折現れた。生活に訪れるいろいろなイベントにより、身体のリズムが整わなかったことが原因だと思う。日々のルーティンの見直しと、小さな工夫を凝らすことで最近改善が見えてきた。そのタイミングで突如イレギュラー夜更かしの発生。バランスが乱れた私の身体は、コンディション調整にいつもよりエネルギーを欲しているようだ。

ここ数ヶ月なんかと比べ物にならないハードな日々を何年も超えてきたというのに、回復の時間が必要なのはなにより今だと身体が教えてくれている。だから甘んじてクッションに身を預けている。葉の大きな花のかわいらしさにほっとしている。あたたかい映画を観た。今日2杯目のコーヒーはカフェオレに近い。夕飯の準備をと頭の中では思うのに、手足はぽかぽかしてくる。やれやれと立ち上がってご飯を作って食べた。今はローズの湯の中でこれを書いている。

私にとって「次」はとても大切だ。この先どこに行きたいのか、どんな自分でいたいのか。自分に何ができるのか。考えることはやめられない。だって私の人生だから。同じくらい、「今」も大切だ。取り組む何かに心を注ぐことで癒されてきたけれど、もっとわかりやすく休むことも必要なのだと自分を諭す。長く動き続けたい、だから、細かく休息をとるのだ。なんて今更なことを、と書きながら静かに笑う。怒涛の日常で心が逞しくなったからこそ思えるのだとわかっている。タフネスを得たからこそ、柔らかさを求めて休むのが要になる。


夜更かしを愛していることは、前々回の記事にも書いた。「報復性夜更かし」という名で愛おしい夜の時間を呼ばずにすむように、紐を緩めるように息をしたいと思う。

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