どうか溺れる前に聞いてほしい

たまには、心の大波の話を。

ブルーな気持ちを持て余し、抱えきることも溢れさせることもできずに落ち込む、そんなことが私はちょっと多いと思う。人と比較するもんではないので、あくまで感覚の表現です。

でも人生で一度だけ行った占いで、「あなた、粘膜ハートちゃんね」と言われたのでやっぱり少々敏感な質ではあると思う。粘膜ハートちゃん…。

"心配性"というより"心配症"の方が似合う。
イライラしている人と居合わせると、
「この場から逃してくれ、無理ならいっそ殺してくれ」と思ってしまう。
どこまでが自分の責任でどこからが誰かに委ねていい範囲なのか判断することが苦手。
丁寧かつ親切すぎる人もちょっと苦しくなる。
好意なのか社交辞令なのかわからず
顔色を伺ってしまうから。
やってしまったミス、解決しても引きずる。

生きづら〜〜〜い!生きづらいわ!

と声に出しつつまぁなんとか生きてきたけれど、鬱積した諸々が少しずつ、音を立てて崩れ始めたのが一昨年の秋。仕事であるゴタゴタに巻き込まれ、気がつくと、入社2年目のぺーぺー=私が、会社史上最大級のトラブルのメイン担当者になってしまっていた。
集中するとトランスモードに入ってしまう私、まさかこのトラブルが半年続くと思わずクライマーズハイを貫いてしまう。

あの頃、ずーーーっと誰かが怒っていた。というか全員常にピリピリしていた。急な出張が2日に1回になった。残業もガンガン増えた。にも関わらず「これお願いできる?厳しかったら誰かに振るけど」という言葉にノーとも言えなかった。ここで上述の私の心の特性を思い出して欲しい。アドレナリン大噴出だったので、しばらくは持ち堪えていたけれど、どう考えても擦り減っていた。

帰り道、まだ電車なのに瞼がひたひたになってしまう。花金はじまったタイミングからもう週明けが怖い。ほら崩壊の音が…

そしてついに2019/4/2がくる。
行かなきゃ行かなきゃと思っているのにベッドから身体が起こせない。40分くらい心と格闘して布団から這い出したけれど、涙が溢れて顔が洗えず出社断念。誰かに許してもらいたくてよく相談していた友だちに「休んでいいよって言ってくれないかな」ってLINEした。

その日の事はとてもよく覚えている。
空っぽの気持ちで外を歩いていたら、満開の桜並木に出会った。綺麗なものって、人の心を包むんだなと思った。全部全部わかってくれるのは、当時の私にとってはあの景色だけだった。

夕方にはまたブルーになってしまったけれど、あと1日でも休んでしまうと2度といけなくなる気がして、次の日は根性で会社に行った。人間関係で悩んでいたわけではなかったから、行ってしまえばなんとかなった。この時期に初めて、「人に恵まれていればなんとかなる」という価値観が覆されたなと思う。どうにもならないことというのはどんな環境でも起こり得る、切ないけれど。

自覚していた以上に、おかしな状態だったと今ならわかる。原因不明の胃腸炎でお花見中に倒れたり、なんてことのない打ち合わせ中に動悸で座っていられなくなったり、朝が来るのが辛くて4:00まで眠れなかったり。泣いてばっかりの毎日を過ごすうちに、泣かないと次の日を迎えられなくなっていた。

トラブルが鎮火すると、私の心もバーンアウトした。消耗したものはすぐには元に戻らない。土日も疲れ果てていたし、心の問題だとわかっていながら、腹痛を理由に内科にちょこちょこ通っていた。目眩は一向に治らなかったけれど、救いは熱心に私の心を救おうとしてくれる人たちがいたことだと思う。彼・彼女たちとの時間をガソリンにして、少しずつ走れる距離を延ばした感覚がある。有休の取りやすい職場ではあったから月2回くらいお休みしていたけれど、丸一ヶ月休まず出社できたとき、ひと山越えた実感があった。

自分が戻ってきたと本当に感じられたのは、トラブル発生から1年が経った頃。付随するもやもやは消えないけれど、背負える体力がついていた。私はおかげさまで無事です。会社も仕事も嫌いになったりはしません。落ち込むこともあるけれど、私、この町が好きです。キキの気持ちわかるよ。

結果として成長できたと言えるけれど、「いい勉強になったね」と他人が言うのは乱暴な美化だと思う。資格を持たない者が診断を下すのはご法度なのであくまで推測に過ぎないけれど、病院にかかれば私の状態にはきちんと名前がついたと思う。

でもね、自分の心の癖を理解していたから、異常の判断ができなかった。心理や精神疾患をずっと勉強してきているのに、自分のこととなるとアラームの正しい鳴らし方がわからなかった。だって私、もともと生きづらいと思ってたから。きっとみんななら上手くやれているんだろう、こんなのちょっぴり大きな波に揉まれてるだけだから…と騙し騙し過ごすうちに溺れかけていたと気づく。
気づく頃にはギリギリだ、
水の中では、人は呼吸ができない。


久しぶりにそっと落ち込んでいたので、あの頃の苦しみをかたちにしようと思って書いた。
ぴったりと縁取るようには言葉にできなかった、思い出すという作業は少し、心を深く掘りすぎるから。
傷ついた経験を綺麗な思い出にすることも、痛んだままにしておくことも、私はどちらも正しくないと思っている。事実を客観的に捉えて、次を見据えなければいけない。私、もう同じ苦しさは嫌だから。

私は今とても元気で、それは乗り越えられたからではなく「異動したから」ということも一つの理由なのだと理解している。当時のトラブルとはなんの関係もなく、この春私は似て異なる部門に移った。大変なことは尽きないけれど、心が軋むことはなくなった。他人が与えてくれた変化によって、こんなにも健やかになれるのかとびっくりした。

誰かを救おうと思って言葉にしたわけではない。これはきっと、私への言い聞かせなのだと思う。
でも鳩尾が狭まるようなあの頃の息苦しさを、抱えて歩き続ける人を見ることはとても悲しい。悲しいと思う人を悲しいままにしておくことが、また悲しい。

ブルーを秤にかけたりせずに、誰もが自分の感受性を素直に愛せますように。


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