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あなたたちのようでありたい

「お姉さん」たちと、私。

どうやら年上のお姉さんたちと一緒にいる時が一番自分らしくいられる、とほんとうの意味で気がついたのは二十歳を超えた後だと思う。長女気質が作用するので後輩たちと過ごすことも楽しかったけれど、誰かに「お姉さん」をしてもらえるときの方が私は明るくも暗くもなれた。

可愛がってくれるお姉さんたちとの出会いは、一向に尽きないから不思議だ。(さっきから”お姉さん”とばかり口にしているけれど、上とか下とか序列のできる関係性にはならない。対等に扱ってくれるお姉さんたちだからこそ好きなのだけれど。)
たとえば。入社してすぐの頃に面倒を見てくれた職場のお姉さん、お互いの家を行き来したり、夜中に電話で話したりする間柄になった。22歳から担当してくださっている美容師のお姉さん、”ひとの育ち”について思いを乗せた言葉を交わす時がとても楽しい。習い事の先生、爆笑と相談を持ち掛けることを互いに繰り返すようになった。

私が自覚している以上に、気遣いを向けてくださっているのだとも思っている。ビジネスを介在している関係性もあるわけで、社交辞令のない関係性と表するのは失礼だとわかっている。そこは前提としてありつつ、同じ波長を発していることも間違いないのだと思う。似ているばかりではなくとも、共鳴できるなにかがあった。お姉さんたちと繋がることができて、わたしはいつだって、ずっと嬉しい。

敬愛するお姉さんたちの共通点として、早いうちから私のことを名前で呼んでくれていたということがある。ご本人のスタンスもあるのだと思うが、やっぱり、人と人を結ぶには「名前と名前でつながる」ことが大事な気がしている。相手を、個を見つめている気持ちになる。呼びかける声で居心地の良い距離感を保つということを私も大切にしていたい。そしてもうひとつ、間違いなく自分の人生を自分で生きている人たちなのだ。さらに、自信を無くした瞬間のことも口に出せる人たちなのだ。「翳るときもある、だけど好きなことやっているよ!」と笑顔で私に教えてくれる。なんて頼もしいんだろう、なんてきれいなんだろう。

ロールモデルという言葉はあまり好きではないので使わないが、先を歩いてくれている彼女たちのおかげで私も自分の選択ができる。心が濡れた和紙のようになってしまった先週だったのだけれど、お姉さんたちとの会話が栄養となり、ハリを取り戻しかけている。やりたいことをやろう、そしてお姉さんたちに報告しよう。おいしいご飯とお酒を嗜みながら。

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