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マザコン地獄から学んだこと〜わたしはこんなふうに生まれた:第4回〜

生まれ落ちた家庭環境が良くなかったことは何度も話題にしたが。
いままで見落としていた事実は、
父や兄とは同じ家庭内にいてもイマイチ疎遠な感じで、まちがっても、わたしのことをムリヤリ家に繋ぎ止めるようなことは絶対にしないだろう、ということ。
単純に、家が居心地悪くて、彼らを家族とは思えないような境遇にいたのなら、時期が来ればわたしは勝手に家を出ていったはずで、彼らが力づくで引き止めることなどありえない。




わたしからすれば、
全身全霊を賭けて、全力で努力して、やっとのことで実家と縁を切り、宗教団体と縁を切ったつもりでいたのだが。




父も兄も
わたしという存在に
とくに関心はなく。




なんでたかだか、
『家を出て自立する』
というだけのことが、
そんなにものすごく難しくなってしまったのかといえば、

ようするに、

母親に束縛されていたから、

なのだ。




実家ではなく宗教団体でもなく
とにかく『母親が』有害だった、
ということを思い出したのが
ごく最近のことなので。



それで、母親について、
母親との関係について、
あれこれ考えて、というか
可能な範囲で思い出してみたんだけど。




一般論的にいって、
男性は論理的で、
女性は共感を求める、
などという話がありますが。



オカルト的観点に置き換えると、
それは、
男性は思考が強く感情が弱い、
女性は思考が弱く感情が強い、
というふうに説明できます。



するとね、
感情というのは
『人を呪う』
『人に呪いをかける』
ことに使えるので、
(※思考にはそんな力は無い)
女が男に呪いをかけると、
それに対して男は無力です。



とくに、
母親が息子に
『感情の力を使って呪いをかけたら』
息子には抵抗する術は無いし、
まぁありていにいえば、
人生を台無しにされます。




いまの
(というか、つい最近までの)
わたしの記憶によれば、
『両親および実家の宗教団体と縁を切るために』全身全霊を賭けて全力で努力して、やっとのことで彼らと縁を切ったつもりでいましたが。




本当の本当は、
『母親と』縁を切ったのです。




全身全霊を賭けて全力を尽くさないと
そんなことは実現不可能なくらいに
『母親に密着・束縛されていた』
ということだったのです。




重度のマザコンは
はっきりと人格が破綻してしまって、
ほとんど母親の操り人形になります。





というか、
母親による支配は幼少期から始まるものなので、
『人格が破綻』ではなく
そもそも『正しく人格が形成されない』
というべきでしょうか。





『母親に呪いをかけられ支配されている』
ということに、
わたしはわりと早い時点で気づいていて、
正確に何歳からとは言えないですが、
幼少の頃より、
意図的に
『内面の人格』と
『外向けの人格』を
別々にして、
使い分けていました。




両親や家族に見せている
自分自身の言動はすべて
彼らのための“演技”であって、
本当のわたしは別にいる、ということですね。
それを人生の早い時期から
自覚していました。




そうして考えてみると、
話が繋がるね!
両親から虐待を受け、
それにもかかわらず、
表向きは
『親に愛されてすくすくと育っている息子』を演じさせられていたわたしは、
心のなかに女の子を登場させて、
この子と毎日いっしょにいたのです。




でね?
象徴的には
この子は『卵巣』です。



まだ、卵巣とは何であり、摘出手術とはどのようなものであるのかさえ全く知らない時分に、
卵巣がとつぜん話しかけてきて、
『絶対に摘出手術しないで!』
と懇願されたとき
(※正確には、自分=卵巣=の存在がバレたら有無を言わさず摘出手術されるから、自分がここにいるのを絶対に知られないようにしてほしい、というような感じだったと思います)



まったく何の躊躇もなく
そのとおりにしようと思ったのは、
彼(=当時男の子だったわたし)のなかでは
心のなかにいる女の子と
イメージが重なったからなのでしょう。




両親と縁を切ることが子どもの頃からの夢(というか悲願)であり、
そのことだけにとにかく専念して。

(※じつは両親ではなく母親こそが諸悪の根源だったのだが)

それが実現した途端に、
こんどは何故か
『性転換をはじめた』
というのがわたしの人生の履歴なのですが。
(※2019年に事実上の絶縁完了)
(※2020年には女性ホルモン投与開始)




これってさぁ??
自分で自覚できる範囲
(つまり顕在意識)
では、
『性同一性障害なんて自覚したことはないし』
『女性になりたいと思ったこともないし』
『性転換なんて考えたこともなかった』
のに、
ある日とつぜん、
何故か性転換に乗り出した、
か の よ う な
つもりでいたけど。




ほんとうのほんとうは、
はじめっから、
性同一性障害はそこにあって、
じつは水面下では自覚もしていて、
言い換えれば、
家庭環境がまともだったら、
まずは両親にカミングアウトして、
そのまま正規の治療プロセスを経て、
女になっていたのではないのか??!?





母親に呪いをかけられた、
というのは、
もうすこし具体的にいうと、
『母が望んだとおりの人物像にしか』
『ならせてもらえない』
ということなのです。




母親がわたしのことを
『この子は男の子だ』
と思っていれば、
有無を言わさずわたしは男の子。
外的現実において
『男の子を演じさせられる』
だけではなく、
それは内面にまで浸蝕してくる。




つまり、
『わたしはほんとうは女の子だから』
『女性として生きてゆきたい』と
【思うことすら許されなくされて】
しまっており、
代わりに、
その時点で願うことのできる
『最高の願い』が
母親と縁を切ること、
だった、というわけですね。




虐待家庭とはいえ、
父や兄は、
わたしにとくに関心を持っておらず、
わたしが何者であるかは、
べつにどぅでもよかったはずだ。




それに対して、
母親だけは、
わたしがどのような人物であるかを
事細かに勝手に決めつけてしまい、
それ以外の何者であることも
絶対に許さなかった。



その場合の、
『どのような人物であるか』
の絶対的基本前提の位置に、
性別というものがあるわけだから、
『男である』という
【母親が定めた事実】を
わたしが勝手に改変しようとすることなど絶対に許されるはずもなく、事実、わたしは自分の性同一性障害を自覚することさえできなかった。




そんな異常な境遇にいたからこそ、
唯一にして最大の望みが
『母親と縁を切ること』
になるのであり。




であればこそ、
『母親と縁を切る』という行為によって
ほんとうは何を望んでいたのかといえば??

そう。

女になること、

女性として生きること、

だったわけですね。




それにしたって、
母親に呪いをかけられ
『人生を台無しにされた』
なんて、
それはそれは
ひどく屈辱的な事実であり、
真っ黒に黒い、黒歴史そのものだ。





そうなると、
母親を忌み嫌うだけではなく、
『どうしても母親と縁を切らなくてはならない境遇にいた』
という事実そのものから
目を背け、
その事実を抑圧する。




そんなわけで、
『母親と』縁を切った、
という部分は
わたしの記憶のなかでは
みごとに改変/捏造され
つい最近まで、
わたしは
『両親および実家の宗教団体と』
縁を切ったのだと、
思い込んでいた。






『両親および実家の宗教団体と縁を切った』



それは外枠の事実としては
全くウソではないのだが。





故意に見落としているのは
父や兄とはもともと縁が薄く、
がんばって絶縁などしなくても、
自然と疎遠になるはずだった、
という事実。

『実家』とか『両親』という言葉に
うまく紛れ込ませることで、
諸悪の根源である母親の存在から、
うまく目を背けていたわけ。





♡♡





♡♡






さて。




母親こそ諸悪の根源、
母親に呪いをかけられ、
わたしは人生を台無しにされた。




そこまで思い出したことで、
明白になる事実は。




引き寄せの法則や、
それ以外の願望実現法が
じゅうぶんな効力を発揮するには、
そもそもの基本前提として
『思考の独立』
『感情の独立』
が必要である、
ということ。




自分の思考を
『母親に乗っ取られている』
状態では、
どれほど強く願っても、
わたしはわたしの願いを叶えることはできない。
母親のわたしに対する自分勝手な願いが、ひどく中途半端な形で実現するだけである。



聖書の言葉に、
『祈るときは扉を閉じて祈りなさい』
というのがあって。

それって物理的な扉じゃなくて
思考と感情の話だからね!

当時のわたし自身の実感として、
『扉を閉めたくても閉められない』
ことが、はっきりと感じられていた。



わたしが体験した
『母親に思考を乗っ取られる』
というのはだいぶ極端な出来事だとは言えますが、
根本的に言って、
『他人の思考に干渉されている』
状態のままでは
引き寄せの法則その他の願望実現法は
うまく機能しないでしょう。




ぶっちゃけ、
『忖度する』という思考の持ち主には
引き寄せの法則は使いこなせない。




思考だけでなく
感情においても。



他人の言動に振り回されて
自分自身の感情が乱高下してしまうようでは、
引き寄せの法則は使えません。




ほんとうに、ほんとうに。
何を差し置いても、
『思考の独立』
『感情の独立』
は大事だってことです。



だからね、
何かを望むときに
『でもお母さんはどぅ思うかな??』
ってすぐに思ってしまうようでは、
引き寄せの法則は使えません。
(※母親にこれからも振り回されつづける境遇が引き寄せられます)




アファメーションは効くのか?
イメージングは効くのか??
という以前に、
『自分の願いを自分で叶える』ために
何よりも
『思考の独立』と
『感情の独立』。
これがほんとうに大切なのです。






♡♡





♡♡





もうひとつ思い知ったのは、
『思考と感情の独立』が
出来ていない人間の内面に介入して
人格を破綻させ、
人生を台無しにすることは、
じつに、まったく、たやすいのだ、
ということ。




あとから振り返れば、
わたしが男として生きたい理由なんてまったくないし、男であることへの適性もまったくなかった。
だいいち、見た目おちんちんが生えていても、その奥の前立腺が通っていなかったら男性器としては全く使い物にならないし、その状態で男として生きろというのは非常に残酷な話。




それにもかかわらず、
母親が母親自身の都合によって
『この子は男の子!』
と決めつけると、
わたしには性自認を自覚する能力さえも無くなってしまう。




じつのところ、
自分で自分を『男だ』と自覚したことは一度も無く、女の子として扱ってもらう資格を持たない被差別民、みたいなセルフイメージだったのだと思う。
2021年4月に書いた原稿では、
たしかに
『生まれた時から性自認は女性』
って書いていますね。





生まれたときから性自認は女性。


それはそうなんだけど。
『だから何とかして女になって、女として生きたい!!!』
なんて思いつく余地もなく。
それはそれ、これはこれ。
二重構造を生きるのが、
あの頃は当たり前になっていた。




でもね、
わたしがもし、
(性自認や身体構造も含めて)
ほんとうに男の子だったら、
母親の魔の手から逃れる術は無く。



そのまま人生を棒に振る以外に、
選択肢は存在しなかったはずです。




自分の人生は自分のもの、
自分の運命は自分で選択できる、
なんて言葉が無意味に聞こえるくらいに
母親というのは息子に対して
絶対的な支配力を持っている。




だからね、
あたしが今こうして生きているのは、
女の子だからだよ💕
女は強い💥💥💥




『女は三界に家無し』
というのは昭和時代の差別用語だけれど
家つまり家系、つまり両親からの愛情になど恵まれなくても、べつにどこに行ったって生きていけちゃうから、いーですよーーだ💥💥💥




【おしまい】





🐤🐥🐤🐥🐤🐥🐤🐥🐤
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