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友達に言われて涙が出そうになったこと

心療内科に通い始め、薬を処方してもらうようになってから、私はとても辛いと感じていても、それこそ泣きたいほどしんどくても涙が出てくることが極端に少なくなった。

もともとあまり辛い時に泣くタイプではないからか、薬の効果なのかは分からないけれど、「泣きたいほど辛い」のに「泣けない」ことにモヤモヤしていた。

それと同時に、今月頭くらいの時期の私はだいたい治療をしながら仕事を辞めて休み始めてから4ヶ月ほどが経過しており、そろそろ仕事を探す準備をしたい、という気持ちと、しなければならない、という焦りとが同居していた。「自分でお金を稼げたほうがより精神的に安心できる気がする」というのも、「こんなに長い間休むのはダメだ」と自分に厳しくしてしまうのも、どちらも本心であったため、私は先に進みたいのか、休みたいのか分からなくなって気持ちがぐちゃぐちゃになってしまい、少しずつ快方に向かいかけていた心が昨年末に大きく落ち込み、治療段階も戻ることになってしまった。

そんな時、私が上記したような気持ちを長年の親友とも呼べる友達に電話で話して、正直に「辛い」と伝えたら、「もうそろそろ休んで半年も経ってしまうから…」と言う私に対して友達は「言うて"まだ"半年じゃん!」と、もっとゆっくり休めば良い、と言ってくれた。

その言葉には確かに私への思いやりがあったし、かつ無責任な「休め」ではなく、ちゃんと傷病手当金が最長いつまで貰えるのかまで確認した上で、「だったらその期間中ギリギリまでずっと休むくらいの気持ちで良いんだよ」「"やらなきゃ"じゃなくて"やってやろうかな~"くらいの気持ちになったらその期限よりも前に仕事探し始めれば良いよ!」とまで言ってくれて、私はその時ようやく泣くことができた。

私は生来のんびりとした気質の人間で、この社会の、高校や大学では常にその先の進路を見据え、最終的には「良い」就職をして終身雇用…みたいなスタイルについて行くので精一杯で、なんとか高校や大学を3年、4年とそれぞれストレートで卒業できたものの、とても息苦しい思いをしていた。
その息苦しさに限界がきたのが就活の時で、私はことごとく就活に失敗し、ならば…と正社員登用制度のある職場でパートとして働いていたが、そこで数年働いた末にパワハラを受けて本当の意味で限界がきて今に至っている。

社会のスピードの早さは私一人では変えられないけれど、今までもかなり無理をしてそれについて行ってたのに、今こうしてダメージが重なって限界がきてもなお、私は私自身をまだ無理させて早く社会復帰しようとしてしまっていたんだな…とようやく気づいた。
その友達にも「あなたは自分に厳しすぎるよ」と言われた。今までも「自分に厳しい」「周りに対して優しすぎる」と言われてきてもピンとこなかったが、やっと、どうやら私は無理やり自分を社会の歯車に当てはめるために自分に合わないことを無理やり合わせてやろうと厳しくし、更に自分を蔑ろにしているくせに周りの人への気配りを忘れないように…と周りには気をつかいすぎていたのかもしれない…と気づいた。

友達はさらに、高校や大学をストレートで入学・卒業した私のことを「凄い」「誰にでもできることじゃない」と褒めてくれて、今までそれを「当たり前」として捉えるしかなかった私の心を抱きしめてくれた。

こうして文章に書いているとまるで自分を悲劇のヒロインにしているようだが、そうではない。私は自分をそうしたいわけではない。
ただ、友達にそういった言葉をかけてもらい、やっと「辛い」ことで涙を流して「辛さ」を受け入れた自分に対して、友達がそうしてくれたように、私自身ももっと優しくしてあげたいのだ。

「世間」というものから見たら私は社会のレールから外れてしまった存在かもしれないけれど、そんな私にも生きる権利はあるはずだし、もちろん生きていくためにある程度のことは頑張るが、今までのように自分のペースを長時間崩してまで頑張ることをしなくても生きていける場所を探していきたい。

そして、こんな苦しい状況の中でも、私が生きているだけで喜び、私の辛さを受け止めて支えてくれる親友には感謝してもし尽くせない。
いつもありがとう。身も心もボロボロになってしまった私のことですら受け入れて話を聞いてくれた親友への感謝も込めて、「世間」の「普通」に押しつぶされそうだった私がもっと私自身を労ってあげられるように、ここに記す。

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