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叶とわ子・外伝/第一話;改心

#創作大賞2024 #ファンタジー小説部門

あらすじ

 pekomoguさんの作品、【心の雛】の第19話と最終話の間を描いた物語です。
 現代日本に似ているけど、妖精のいる世界。妖精たちの血や涙が薬になるので、一部の人間たちによって妖精たちは狩られています。

 叶とわ子は人の「心」に触れることができる性質たちを持つ医師で、多くの人の心を治したいと強く思う余り、妖精狩りを肯定的に受け入れていました。
    しかし、叶と同じで「心」に触れることができる医師・奥野心。そして彼が保護していた妖精・雛との出会いを通じて、彼女の心境は変化して…。

  

【心の雛】の原作マガジン
https://note.com/pekomogu/m/me0868ad877bd


「一歩間違えたら、取り返しのつかないことになってたわね…」
 あの日、奥野心の医院を後にした叶とわ子は、帰路の途中で今日の自分の行動を振り返り、秘書の運転する車の中で、溜め息を吐くように呟いた。
 その言葉を拾った秘書は、信号待ちの際にルームミラーで後部座席の叶の表情を確認し、鏡越しに心配そうな視線を向けた。

「心配させてごめんなさい。私は大丈夫だから」
 運転席の秘書と同じく鏡越しに相手の表情を確認した叶は、自分より少し若い彼女を落ち着けようとした。しかし、一言で心配は拭えない。

「先生、もう何年もずっと働き詰めですから。少し休まれた方が…」
 しかし秘書は、喋っている途中で言葉を止めた。そして、眼鏡の奥の目を思わず見開いた。
「先生、なんか顔が優しくなってませんか? 奥野先生という方、本当に腕利きなんですね!」
 秘書は声を上ずらせた。

 彼女の記憶から引き出される叶の顔は、基本的にいつも眉間に皺を寄せていた。それだけに留まらず、寸暇を惜しんで歯軋りをしていて、苛々していることを、いつも全身で強調していた。
 しかし今は全く違い、憑き物が取れたかのように、落ち着いた表情をしている。

「あら? まるで、いつもは怖いみたいじゃない」
 と冗談交じりに叶は返す。そして言いながら気付いた。冗談を言える程度に、心が平穏になっていることに。

 今まで叶の心の中には、重責とそれを果たせない無力感、更には怒りや罪悪感など、負の感情が複雑に渦巻いていた。
   しかし今は、不思議とそれらが全て消えている。叶は秘書に言われて、そのことに気付いた。

 そんな会話をしている間に信号は変わり、秘書は右足をブレーキからアクセルに踏み変えた。

*  *  *

 奥野心は妖精シルフを飼っている。

 叶はそう睨んで、患者として彼の医院に潜入した。
 予想通り、奥野は妖精を飼っていた。
     羽が一枚しかない雌の妖精だった。身に纏っていたものは襤褸ぼろきれにしか見えず、それが羽の欠損との相乗効果でみすぼらしさを際立たせていた。
   こんな惨めな存在なら、いっそ薬になった方が幸せだろう。本気でそう思ってしまうくらい、その風貌はみすぼらしかった。

 昼間は、あの貧相な雌の妖精を狩りたい一心で、他のことは何も考えられなかった。
 誤って奥野を負傷させてしまっても、その気持ちは全く変わらなかった。

 しかし何故だろう?
 己の中で奥野と激しい問答を繰り広げた結果、無様に泣き崩れた。その後、奥野にカモミールというハーブで淹れたお茶を振る舞われたのだが…。
     ハーブティーを飲んでいるうちに、頭の中の透明度が増していくような、濁った水が浄化されるような。気分が晴れ晴れとしていくような、独特な感覚に見舞われた。

 そして、自分の行動を振り返る余裕ができた。




 一人でも多くの人の、擦り切れそうに傷ついた精神こころを治したかった。だから数えきれない程の患者の心に触れ続けた。

 忙しい。そんな安っぽい言葉では済まないくらい、忙しかった。
 患者の心に触れ、荒んだ部分を覗き、時には針と化した患者の心を自分の手に突き刺し…。

 己の血を流し、心をも擦り減らし。そうまでしてでも治療を続けた。

 それが、人の「心」に触れることができる性質たちを持つ自分の役割。
    そう強く信じていたから。


 しかし…。



 今日の昼間、自分が放った妖精狩りの刃は羽を欠損した雌の妖精の首ではなく、あろうことか奥野心の首を切り裂いてしまった。

 直後に傷が消えていたので、奥野は妖精の血で傷を治したのだろうと察しがついた。あの時は、妖精の血の薬用効果の高さにしか考えが回らなかったが…。


 刃の当たり所が悪かったら、奥野はあの場で即死していても可笑しくはなかった。

 いや、それ以前の問題ではないか?

 そもそも羽を欠損した雌の妖精は、奥野に保護されていた。
 目的通りあの妖精を狩れていたら、奥野の精神こころはどうなってしまっていただろう?

 保護していた存在が目の前で殺されるのだ。首を切り落とされるのだ。

 想像すら躊躇われる状態になっていた可能性は、充分に考えられた。


 一人でも多くの人の精神こころを救いたいと思っていた自分がだ。
 真剣に、この国の医療を憂いていた自分がだ。

 誤って人を殺しかけたのだ。
 誤らずに当初の目的を果たせていたら、人の精神こころを破壊していたのだ。


「笑えないジョークもいいところね」

 しかしどういう訳か、昼間の自分の暴走を笑い飛ばせる程度に、今の叶の精神こころは落ち着いていた。

*  *  *

 叶は夜遅くに帰宅した。
 彼女の自宅はタワーマンションの55階だ。彼女はここに一人で住んでいた。同居人はいない。一人だ。

 窓からは都会の夜景を臨むことができるが、今まで景色を堪能したことなど無い。しようとすら思わなかった。そして、今日もしなかった。

 景色の代わりに、叶は手にした「捕獲ちゃん」を凝視していた。
 奥野が保護していた雌の妖精ではなく、奥野自身を切ってしまった捕獲ちゃんを。

「自首しようかしら? あれだけの怪我を負わせたんだから」
 手にした捕獲ちゃんをぼんやりと眺めながら、叶は呟いた。
 この捕獲ちゃんを少し調べれば、奥野の血液や組織片が検出されるだろう。それが動かぬ証拠となり、自分にはそれ相応の刑が処される。

 いっそ、そうなった方が楽な気もした。この際、犯罪者になってしまえば、全ての重圧から解放される。
    昨日までの自分なら、むしろ喜んでその楽な道へと突き進んでいたかもしれない。

 しかし何故か今は落ち着いて、いろんな事態を考えることができた。

「私が自首したら、警察は奥野先生の医院を調べるでしょうから、あの雌の妖精の存在も警察に知られるわね。それは奥野先生の望んでいない展開よね」

 少し考えれば、この程度のことは簡単に想像できた。雌の妖精の存在を知った警察が、次にどんな動きをするのかも。

 数時間前までの自分なら、「それで薬が得られるなら充分」と本気で思っていただろうが、今はそんな風には思えない。

「安易な方法じゃなく、ちゃんと自力で罪を償えってことね…」
 叶は懐からガラスの小瓶を取り出し、それを呆然と眺めた。妖精たちの頭部が何個も詰め込まれた、小瓶を。奥野を震撼させ、雌の妖精を震え上がらせた、あの小瓶だ。

 叶はこんな小瓶を何個も持っている。中に詰め込まれた妖精の頭の数は、三桁に至っていても驚かない。数えきれない程の生首を、叶は自宅に溜め込んでいた。

 小瓶に詰めた妖精たちの顔は、壮絶な表情で固定されていた。ずっと見ていると、狩られた時の絶叫が聞こえて来るような気がしてしまう。
    決して、見ていて気分の良い代物ではなかった。

 叶は小瓶を眺めるのを数秒間でやめ、そっとサイドテーブルの上に置いた。

「仲間の死に涙を流すんなら、それは妖精が俺たちと同じような感情を持ってるっていう証拠だろう? そんな奴らを泣かせたり狩ったりするなんて、医療の為だろうが許される訳がねえ! 俺は断固として反対する」

  

 叶の脳裏に、ある男性の言葉が甦る。
 浅黒い肌をした、恰幅の良い男性だった。普通にしていれば、陽気に大声で笑っていそうな、人の良さそうな男性だった。
 そんな彼が怒号を上げて憤慨していた。

 あの言葉を思い出すと、自ずと叶の目には涙が浮かんできた。

「貴方の言ってることは正しい。本当は理解してた」
 だけど国の医療の為だ。多くの人々が救いを求めている。そんな状況で、薄っぺらい正義感を振り翳したところで、何の意味がある?

 国の医療という大義が最も優先すべきこと。
 妖精を狩るのは、薬草をすり潰して薬にするのと同じ。
 妖精は虫。私たちのような知性は持ち合わせていない。

 叶は今日まで、自分にそう言い聞かせ続けてきた。その結果、どんどん自分の心が荒んでいき、修羅と化しているのも実感していた。だけど、そうしてでも、一人でも多くの人を救わなければならないと思っていた。

「私が間違っていたみたいね」
 その結論に辿り着いた叶は、一人の部屋で決意した。

「貴方の思想は私が継ぐ。もう妖精は殺さない」
 その道が困難であることは重々承知だ。
 だけど、これ以上の犠牲を出してはいけない。これ以上、自分の精神を壊してもいけない。

 何より、涙で人を救うなどという方法を、心の医師が選んではいけない。

    もう間違えない。
 この日、叶は考えを改めた。
 決意を固めた叶は、この日「捕獲ちゃん」を手放した。


第二話

https://note.com/clever_zinnia927/n/n15781ceab931


第三話

https://note.com/clever_zinnia927/n/nd8b4b4d564eb


第四話

https://note.com/clever_zinnia927/n/n54d214a38e6a


第五話

https://note.com/clever_zinnia927/n/n173df1466f8c


第六話

https://note.com/clever_zinnia927/n/n6df391823096


第七話

https://note.com/clever_zinnia927/n/n40a06187262d


あとがき

https://note.com/clever_zinnia927/n/n2cb08c15e099

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