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叶とわ子・外伝/第四話;いし

#創作大賞2024 #ファンタジー小説部門

    この作品は、pekomoguさん原作の『心の雛』のスピンオフ作品です。

【心の雛】の原作マガジン

https://note.com/pekomogu/m/me0868ad877bd


「私、お父さんに少しは近づけてるかな?」

 心を治す医師になった時から、とわ子はずっとそのことを意識していた。
 そんな彼女を、伯父が支えていた。

「なれてるよ。君は間違いなく、アイツの子だ。アイツも喜んでるだろうよ」
 とわ子の仕事に懸ける情熱と使命感を、伯父は高く評価していた。
 しかし、伯父は同時にこんなことも言っていた。

「だけど、お父さんの全てを見倣っちゃいけない。自分の体を守ることも考えなきゃ駄目だよ」
 釘を刺すように、伯父は何度もそう言っていた。


 そして約十年前、妖精シルフと呼ばれる生物の存在が上層部に知られ、その血液などに優れた薬理効果が認められることが、一部の界隈で知られることになった。

 その時から、とわ子の中に変な気持ちが生じるようになっていた。
「もしかしたら妖精の力を使えば、私は父を超えられるかもしれないわね…」


*  *  *


 叶家は医師の家系だった。

 医療関係者になるのが当然の進路で、それ以外の進路はあり得ない。医療関係者の中でも医師こそがこの世で最も素晴らしい職業で、世の中を支えている聖職である。

 叶家の人間は全員そう思っていたし、とわ子もその例に漏れることなく、幼い頃からその思想に染まっていた。


 現在、とわ子が開いている医院は、伯父から引き継いだものである。

 とわ子の伯父は彼女と同じで、人の「心」に触れることができる性質たちを持つ者だった。

 とわ子は中学生の頃に、自分にも伯父と同じ特性があることに気付いた。その時に、伯父はとわ子に言った。

「俺たちみたいな治し方ができる人は、そうそういない。俺たちには、一人でも多くの人の心を守る使命があるんだ。そのことを忘れるな」

   

 この言葉は、とわ子の精神に強く刻み込まれた。
 とわ子は頭の中で、何度もこの言葉を反復した。とわ子の中で、伯父の言葉を自分の信念に昇華するのに、長い時間は掛からなかった。


 そんな伯父の弟である叶とわ子の父親は、複数の大病院を兼務する勤務医だった。伯父のように特別な力を授かれなかった、普通の医師だった。

 それでも、とわ子の父親が貶されることはなかった。むしろ、彼は高く評価されていた。

 とわ子の父親は絵に描いたような仕事人間で、休みの日でも患者の治療方針しか考えない、急患が入れば無条件で対応、休日返上は日常茶飯事。そんな人だった。

 とわ子が子どもの頃は、企業戦士やモーレツ社員などと言われる人たち、家庭を振り返らずに仕事に没頭する人たちが理想的な社会人とされていた。
 とわ子の父親はまさに模範的な社会人で、その仕事に捧げる熱量や決意は誰もが賞賛するものだった。


 しかし、その働き方の代償は余りにも大きかった。

 無自覚のうちに心身を摩耗していた父親は、唐突に帰らぬ人となった。
 ある日、いつも通り夜遅くに帰宅した父親は気絶するように就寝し、そのまま永久に目覚めなくなってしまったのである。
 現在のとわ子よりも少し年少という、余りにも早い最期だった。


 父親の葬儀の時に、涙ながらに伯父はとわ子に言った。

「君の父さんは最高の医者だった。いつも患者のことしか考えてない、医者の中の医者だった。とわ子ちゃんもアイツの姿勢を見倣って欲しい」

  

 とわ子は素直に、この言葉も胸に刻んだ。

 実は続けて伯父は重要な話をしていたが、そちらの方はとわ子の心に『なんとなく憶えている』程度の印象しか与えなかった。

「だけどな。自分の体を守ることも考えなきゃいけない。無茶すりゃ良いってもんじゃないんだ。だって死んじゃったら、もう誰も助けられないだろ?」

   

 兄としての本心を、伯父が少しだけ見せた瞬間だったのかもしれない。
 しかし、それでも仕事人間が称えられていた時代だ。とわ子の父親は殉教者のように崇められ、その死は英雄伝のように暫く語られていた。


 その後、とわ子は予定通り医学部に進学した。学生時代は父親や伯父を目標に、脇目も振らずに勉学に全てを捧げた。

 そして優秀な成績を修めて大学を卒業し、『人の心に触れる性質を持つ者』として、伯父の医院を引き継ぐに至った。


 伯父には、とわ子よりも五歳上の息子がいたが、お世辞にも真面目とは言えない人物だった。彼はとわ子が大学を入学した時点でまだ受験生を続けており、とわ子と入れ替わる形でようやく医学部に進学したが、成績不振で入学から三年後に放校されるという事態に至ったので、とわ子が医院を継がざるを得なかった。


 無論、とわ子はこの進路に何の疑問も不満も抱いていなかった。
 残念な従兄の存在も気にならなかった。と言うか、気にしている余裕が無かった。


「父のように、患者の為に全力を尽くす医師になる! 一人でも多くの人の心を守る! それが【人の心に触れる性質を持つ者】として生まれた、私の使命だから!」
 心の中で何度も反復した言葉を、とわ子は炎に変えて仕事に打ち込んだ。

 人の感情に触れ、荒れた部分をなだらかに治し、時には棘と化した人の心に血を流し…。

 だけど、これが特別な力を持った自分の使命なんだと。
 自分も父親のように、患者の為に全身全霊を尽くすんだと。

 その気持ちだけで日々を乗り切っていた。


*  *  *


 しかし年齢と共に訪れる変化に抗うことはできなかった。

 若い頃は平気でこなせていた激務を、年月を重ねるごとに辛いと感じるようになっていることに、とわ子は気付きつつあった。

 やがて薬として利用できる生物 = 妖精の存在を知った。

 ある日、とわ子はこんなことを思った。

「妖精の血や分泌物には、自然治癒力を高める効果があるっていう可能性も考えられなくもないわよね。だったら…妖精を食べてみたら、強壮効果でも見込めるかしら?」

 これは論文などで知り得たものではなく、ただの憶測だ。しかし何故だろう?

 上層部が着目した【妖精】という優れた医療資源に、この頃のとわ子は羨望に近い感情を抱くようになっていた。


 医院が休みの日に、とわ子はある人物の元を訪れた。
 その人物は、辺鄙な地域の森の近くに工房兼店舗を構えている、人形作家だった。

「おぅ。いらっしゃい、叶さん。来たからには、買ってくれるんだろうね?」
 人形作家は男性で、年齢はとわ子より少し上。常に目を爛々と輝かせている、少し怖い印象を与える人物だった。

 とわ子が入店すると、彼は奥の作業場からゆっくりと現れた。人によっては「お爺さん」と言いそうな風貌の彼だったが、意外に足腰はしっかりしていて、歩き方は若々しかった。

 とわ子は店内に並べられた人形を一望しつつ、彼に告げた。
「気に入った作品があれば買うかも知れないけど…。それより、今日は譲って貰いたいものがあってね。それに金を出せというなら、出すわ」
 何やら含みを持たせた言い方に、男性は首を傾げた。「何を譲って欲しいんだ?」と男性が問う前に、とわ子はその疑問に答えた。

「妖精の体、幾らか持ってる筈よね? 私に譲ってくれない?」
 そう言われた男性は、初めは驚いたように目を丸くし、暫くしたらニヤニヤ笑い始めた。
「まあ、持ってはいるが。何に使うんだ? 研究医でもないお前さんが、一体何の目的で?」

 とわ子が妖精の体を求めているのも謎だが、この男性もどうして妖精の体を持っているのか?


 この男性は妖精の捕獲要員を副業としていた。
 実は妖精の捕獲を専門とする人物など存在しない。妖精の生息が確認された地域には妖精捕獲支援窓口たるものが存在するが、一部の者にしか知られておらず、圧倒的大多数の人民が想像上の存在と思っている生物の目撃情報など、そう頻繁に寄せられるものではない。

 だから、この窓口から連絡を受けて出動する捕獲隊も滅多に仕事がないので、そんなポストに人件費をつぎ込むことはできない。そのような背景から、いろいろな伝手で妖精の存在を知った者たちが、通報がある度に臨時職員として捕獲に赴いていた。

 そのような事情で、この人形作家は妖精の捕獲を兼任していたのである。


 妖精の血液は、捕獲ちゃんの機能で斬首後に捕獲ちゃんの中に吸引される。
 粉末状の分泌物は、斬り落とした頭部に付着していればそれを採取するが、無ければ付近を捜索して回収する。
 捕獲要員は、このようにして取得した妖精の血液と分泌物を窓口に提出し、報酬をもらう仕組みになっていた。

 なお妖精の頭部や胴体は、これはサンプルとして情報を共有する大学や研究機関に送られることになっていたが、こちらに関しては少しルールが甘くなっていた。


「俺にとっては、妖精あいつらの服は参考資料だからね。体だって同じだ。血よりも値段も低いし、だったら売らずに手元に置いといた方が良いからな」
 人形作家の男性は、そういう理由で殺した妖精の体を保存していた。

 とわ子に言われた後、彼は一度奥の方に引き返し、それから再び店舗に戻ってきた。少々、刺激の強いものを手に持って。

「同じこと訊くけど、研究医でもないアンタが、こんなの何の為に使うんだい?」
 彼が持って来たのは、無数の妖精の頭部を詰めたガラス瓶と、妖精の体が二つ静置したプラスチック製の箱だった。

 頭部の方は狩られた時の表情で固定されているのか、今にも叫び出しそうな壮絶な顔をしていた。体の方は血液を搾り取られたせいか、完全に生気を失って干物のようになっていた。

 とわ子は相手の問に答えず、これらを見比べるように交互に何度も凝視した。

「頭を入れた瓶、何円いくらで譲ってくださる?」
 最終的に、とわ子は妖精の頭部を詰めたガラス瓶を指して、彼にそう訊ねた。

 とわ子の要求に、人形作家の男性は思わず乾いた笑いを口から漏らしてしまった。
「こんなの保存とってる俺も大概だと思ってたが…。こんなのが欲しい? あんた、正気か?」

 ツボにハマって笑う彼に、とわ子は「何円いくらなの?」と問い直した。


*  *  *


 これ以降、とわ子は何度もこの男性から妖精の頭部を入れた瓶を購入した。

 頭部に残っていた僅かな血を飲んでみたり、頭部を何個かミキサーに掛けてジュースにして飲んでみたり…。いろいろと試してみた。

 これで消耗した自分の心身を治し、治療を待つ人々の為に万全の心身を取り戻そうと試みたのだが…。

「効き目が無い! これでは父の二の舞になるだけだわ!!」

 期待した程の効果は確認されなかった。


 そしてとわ子は最後の手段として、自分と同じ特別な医師…と言うか、彼が飼っているらしい妖精を利用しようと考え、凶行に至ってしまったのは、この後の話である。


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