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叶とわ子・外伝/第六話;鎮魂

#創作大賞2024 #ファンタジー小説部門

この作品は、pekomoguさん原作の『心の雛』のスピンオフ作品です。

【心の雛】の原作マガジン

https://note.com/pekomogu/m/me0868ad877bd


 妖精シルフは人間の言葉を理解しているし、話すこともできる。
 妖精シルフは凶暴ではない。人間を無闇に殺そうとはしない。
 妖精シルフは人間と何も変わらない心を持っている。人間と友好関係を結べる。


 奥野心と、彼が保護した雛という妖精に出会い、叶とわ子はこれらのことを知った。


 そして叶とわ子は誓った。


 これ以上、誤解の元に妖精たちが狩られるのを何とか防がなければならないと。


 かくして、叶とわ子は行動を始めた。


*  *  *


 ある日、叶はとある大学を訪れた。
 遺伝子工学が専門の学者に、ある物を渡す為に。

「アポを取る程度の常識すら無いんですか? たまたま時間があったから対応できましたけど」

    叶とわ子は、その学者の個室に招かれた。
    部屋は六畳間程度の広さで、左右の壁にはギッシリと本が詰められた本棚が並んでいた。部屋の奥にはデスクトップPCを置いた事務机が、部屋の中央付近に置いた小さな来客用の椅子が、それぞれ設置されていた。

 叶は当然、部屋の中央の椅子に座るよう促された。目的の学者は、叶と対面する形で座る。

「失礼、園崎そのさきすすむ先生。今日は折り入ってお願いがあって参りました」
 叶は丁寧な挨拶をすると、園崎進というその学者に頭を下げた。

 園崎進。彼は約十年前、妖精に関する有識者会議に同席していた人物だ。あの時から風貌は大きく変わらず、体は細くて眼鏡は分厚い。髪は整えられておらず、半端に長くて好き放題の方向に伸びていた。
 身だしなみは微妙な彼だが、叶よりも年少であんな会議に招かれる人物だ。当然、評価の高い学者であり、叶もそれは認めていた。

「貴方を遺伝子工学の若きエースと見込んで、これを渡したいの」
 叶は早速そう言うと、ジャケットの内ポケットから小さな物を出し、園崎に手渡した。

 何気なくこれを受け取った園崎だが、自分の手にしたそれをよく見たら、堪らず叫び声を上げてしまった。
「何だよ、これ! 気持ちわりぃ!」
 園崎は丁寧語を使うことや声のトーンを落とすことを忘れだけに留まらず、叶から渡されたそれを思わず投げてしまった。園崎が投げたそれは叶の正面に飛んできたので、叶は落ち着いた最小限の動作で、難なくこれを取った。

「投げないでくださる? 貴重なサンプルが失われたら、どうするの?」
 叶は物を投げ付けられた怒りなど全く感じさせず、落ち着いた口調でそう言った。

 ところで園崎が叶に投げ返したそれは小瓶だった。「捕獲ちゃん」で殺された妖精の頭部が幾つも詰め込まれた。
 思わず投げ返した園崎の反応は、然程変なものではないだろう。しかし、叶はそれを「サンプル」と呼んだ。

「最近、妖精の血中に特異なタンパク質が見つかったわよね。五種類くらい。それらの情報をコードした遺伝子を、貴方に同定して欲しいのよ。これは、その為の細胞サンプルよ」
 叶は説明しながら、妖精の首を入れた小瓶を改めて園崎に手渡した。

 園崎は露骨に顔を歪めながらこれを受け取る。
「まあ、見た目はあれですけど、確かに貴重なサンプルではありますね」
 園崎は意外に短時間で落ち着き、愚痴を零す余裕すら見せた。
「妖精から血を採った後の体って、薬学系やタンパク質系の研究室に優先して回されてるみたいで、こっちにはあんまり回って来ませんから。まあ、ゲノム解析よりも、どんなタンパク質を持ってるのかを調べる方が先だから、仕方ないかもしれないんですけど」

 そして愚痴の後、叶に忠告した。
「サンプルありがとうございます。でも、期待はし過ぎないでくださいよ。そもそも、最近見つかった妖精特有の血中タンパク質、あれが薬としての有効成分なのか違うのか、まだ判明してませんから。人為的な有効成分の合成は、まだまだ先ですよ」

 上層部が妖精の狩りを優先している都合、園崎が進言した研究の進捗状況は芳しくなかった。と言うか、およそ十年前から殆ど進歩が無いというのが、実情だった。
 叶もその実態は理解していたので、「ええ」とすぐに返した。

「無茶な要求をする気は無いわ。だけど…。何年先になるか見通しもつかないけど。これで妖精が狩られなくなるなら、それに越したことはないから」
 遠くを見るような目で園崎を見つめながら、叶は言った。一語一語、噛み締めるような喋り方で。

 この発言に、園崎は思わず首を傾げた。
「どうしたんですか? 何でまた、急に気が変わったんですか?」
 園崎が気になったのは、「妖精が狩られなくなるなら、それに越したことはない」という叶の一言だ。かつての彼女だったら絶対に言わなさそうな発言なので、質問せずにはいられなかった。

 そんな園崎の問に、叶は静かな口調で答えた。
「いろいろあってね。解ったのよ。妖精は人語を理解する知能があって、意思疎通ができるということと、私たちと同じような感性があるということに」
 これは雛と出会い、それから観察を続けたことで知り得たことだ。この事実が、叶の方針を大きく転換させたのだ。

 白けたような目つきで話を聞く園崎に、叶は続けて言った。
「あと、貴方に託せば、実験動物の慰霊祭で弔って貰えるでしょう。どっちか言うと、それが主なお願いかしら」
 叶は園崎を真っ直ぐ見ながら、明瞭な声でそう告げた。対する園崎は叶と視線を突き合わせているものの、目に熱意は籠っていなかった。

「要するに、妖精が人間と同じような心を持ってるから弔って欲しいし、これ以上狩られないようにして欲しい。そういうことで良いですか?」
 白けた表情のまま、園崎は叶に訊ねた。叶は静かに頷いた。それに対して、園崎は溜息を吐きながら答えた。
「つまり貴方は、もし妖精に人間と同じような心が無かったら、滅ぶまで狩り尽くしたし、弔おうとも思わなかった。心があるとか無いとか、そんな理由で差別したんですか?」
   園崎は白い顔を紅潮させ、問い詰めるように訊ねてきた。その表情からは、怒りすら感じられた。 
    園崎の言っている意味、更に何に怒っているのか理解できず叶が返答に悩んでいると、先に園崎は言葉を発した。   
「最低ですね」
 この一言は、叶が想定していなかったものだった。叶は驚き、目を見開いた。

 そんな叶を差し置き、園崎は受け取った小瓶を手に立ち上がった。
「俺、貴方のこと見上げてたんですよ。十年くらい前の有識者会議で、心がどうのって薄っぺらな情で騒いでた厳ついオッサンより、『他の動物の肉を食べるのと同じ話』だって言い切った貴方の方が、よっぽど好感持てましたから。俺も、薬に使える生物が狩られるのは、仕方ないと思ってましたし」

     叶は、ようやく理解できた。
     自分たちの生存の為に他の命を奪われるのは仕方ないことだが、哀れなこと。だが、それがこの世の摂理。目を背けてはいけない。
    だから自分たちの罪深さを自覚し、命を奪ってしまった相手を悼む。そこに、心の有無など関係ない。
    それが園崎の考えだった。

 立ち上がった園崎は、部屋の出入り口の方に歩いて行く。叶は彼を目で追えなかった。
 しかし園崎はそのまま退室せず、扉の前で足を止めた。
「妖精の首はありがたく使わせて頂きますけど…。慰霊祭で、妖精をどう言えば良いですか? 依頼するお寺さんには、ラットが何個体、アフリカツメガエルが何個体って、具体的に伝えなきゃ駄目なんですよ」
 園崎が踵を返して叶に質問をしたことは、事務的な話だった。

    叶は園崎の方にゆっくりと顔を向け、囁くような小声で言った。
「献体してくださった、人間という扱いにして欲しいわ」
 叶の声は小さかったが、返答は早かった。この言葉に、園崎は思わず乾いた笑いを漏らしてしまった。

「人間ね。この前まで、虫呼ばわりしてたくせに…」
 顔を歪めながら例の小瓶を眺め、何処か厭味っぽく園崎は言った。
 それから彼はドアノブに手を掛け、叶を部屋に残したまま退室しようとしたのだが、何故か思い出したようにドアノブを握った手を放し、再び叶の方を向いた。

「叶さん。言っときますけど、俺は希少動物を乱獲するのには反対です。心の有無に関係なく。だから、この研究をできるだけ早く実用段階まで進めるつもりですし、狩られたこの妖精たちも供養するつもりです。その手助けをしてくれたこと、本当にありがとうございます」
 園崎は真剣な眼差しを叶に、最敬礼で頭を下げた。

 その姿を見て、叶とわ子は涙が溢れそうになったが、必死に堪えた。


 どんな批判も受ける。それが妖精の命を…心を蔑ろにした自分への罰。
 そして、もう無闇に妖精が狩られず、余計な涙を流さないようにすることが、自分の贖罪。

 叶とわ子は強く、そう決意していた。


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