「鏡をみてはいけません」感想文〜※ネタバレあります。

美味しいご飯の出てくる小説が好きだ。
田辺聖子さんの小説
「鏡をみてはいけません」は、主人公・中川野百合(のゆり)が朝食を作っているシーンから始まる。
野百合は、小鳥の啼(な)き声の入ったテープをキッチンに流しながら、口笛を吹きつつトマトをむいてる。テレビのニュースはつけているけど、音声をほとんど絞っている。
そこへ十歳の男の子・宵太(しょうた)が降りてきて、まだよく知らない同士の二人は、礼儀正しくニッコリし合って挨拶する。
宵太は、バツイチの小林律(りつ)の息子である。
「小林サン」こと律と、野百合は、仕事先で出会って親しくなり二年の仲だ。
「試供品の期間」と称し、野百合が律の家に移り住んでから二週間も経たない。
家には律の妹・頼子(よりこ)も暮らしており、目の上のたんこぶのような、絶妙な存在感を醸し出してくる。
頼子は朝食を作らない。律も、野百合も朝ごはんをしっかり食べたい人間で、その一点において意気投合しているので、野百合は毎朝ちゃんとご飯を作っている。
宵太が学校へ行き、律が味噌汁をたのしんですすっている時、一本の電話が鳴った。それは宵太の母親であり律の元妻・橘子(きつこ)からだった。…


食べることを慈しみ、作ることを楽しむ野百合が素敵だ。
直径三、四センチある大きな下仁田葱をうどんすきに入れて喜び、
一日かけて塩こんぶを煮き、湯豆腐の中に大根おろしをたっぷり入れて「雪鍋」を作る。
沢山の料理が出てくるが、全てがおいしい物、そして食べる人への愛情に満ちている最高の一品だ。
野百合は、自分の拵えた料理を実に美味しそうに食べてくれる律が大好きなのだ。
だから自分の暮らしていたアパートから糠漬けの琺瑯(ほうろう)の容器を持ってきて、勤めていた会社を辞め、少しずつ彼の生活の中に入っていく。

けれどなしくずしに、中途半端な立場で取り込まれることへの不安もある。
「森ありす」という名前で詩人・絵本作家として活躍する野百合は、自分の好きな仕事、独自の世界を持っている女性でもある。

律の妹・頼子や、親類のおばちゃん達は「ヨソモノ」扱いを隠さない。
元嫁・橘子は律に対して未練があるような素振りを見せてくる。
律は一本芯の通った人間ではあるのだが、細やかな対応をする男ではない。
なかなかにハードな環境で時に宙ぶらりんな立場の野百合がいたたまれなくなるが、彼女のどこか浮世離れした、世間ずれしていない物の見方によって物語が緩やかなユーモアに包まれて深刻になりすぎない。美味しそうなごはんが出来上がるたび、読み手は何気ない日常の幸せに戻される。

画家の青年・井上玲との交友にちょっぴり色めいたり、宵太との親愛が深まっていくのを感じながらドンドン読み進めていくと、いつの間にか足元を掬われるようにくらっと事態が急転し、男女の仲はいつの間にか退きどきの一歩手前まで来ている。
田辺さんの小説は優しい。でも、突然、漂ってくる終わりの気配がとても恐ろしい時があるのだ。
大切な人と喧嘩をした際、相手をひどく傷つける言葉が口からとめどなく出て、あれよあれよという間に二人の仲が暗転する事がある。
あの感じで急に来るのだ。だから怖い。

しかしこの物語は、とっても鮮やかで小気味よい終わり方である。
紛うことなきハッピーエンドだ。
私は野百合、そして宵太の事を考えて心底ほっとする。
野百合が大好きな人と一緒になれてよかった。それから宵太が美味しいご飯、ぶっとい葱の甘さや白菜の漬け物の滋味、それらを味わうことの幸せを教えてくれる家庭に収まることができて本当によかった、と。

大好きな一冊です。
読んだことのない方は、ぜひ手に取ってみてくださいね。

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