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平等と特権の狭間

昨日、書いた記事から、個人的に色々と考えている

障害者という言葉は苦手だが、変えて欲しいくらいだが、法律的にも学術的にも日本は、まだ障害者を使用中だ。個人的には、ナンセンスだと思っているのだが。※苦手な障害者という言葉をこの記事では使用せざるをえません。気分を害する方がいらっしゃいましたら、
申し訳ございません。

障害者に関しても、色々な法律がある。ざっと50近くだ。管轄も内閣府から厚生労働省、文科省。様々だ。→まだ学生で、学んで研究している立場で、烏滸がましいので、このくらいで書くのは辞めたい。

心理学、社会福祉学、社会心理学(心理学の中でも幅広く個人的には難しいので入れておく)→これも研究して学んで、それでも現場でも深くて、果てが見えない。
私だけだろうか?

一つだけ思ったこと
本当にお困りの方に手が届いているのだろうか?本当にお辛い方に手は行き届いているのだろうか?
→研究課題として、現場でも叫ばれている。
 関連する事件が起こるたびに、研究課題と
 して、学んでいたりする。

そしてお困りの方へは忘れてはいけない。

血税で支えている。
皆様が納めている血税だ。

決して、忘れては、いけない。

血税だからこそ、本当に困っている方の元に届けていきたい。
困っているも幅広くて、線引きが難しいのだが。

人は皆、平等で幸せになる権利を持っている

平等と特権の狭間にある、明確な線
平等と特権の狭間にある、誰もが幸せになれる線
平等と特権の狭間にある、多くの方が納得出来る線
※本来なら線引きせずに、特権を振りかざさない世の中が理想だと思うのだが。どうも、昨日の光景を見てしまうと、良いように利用する方も悲しいことにいらっしゃる現実もあり。障害を良いように利用する方がいることで、本当にお困りの方への偏見が生まれ、助長するのは許せないことだと思うのです。

果てしないが、これからも学問に真摯に向き合い、研究課題として忘れずにいたい。
また、貢献出来る人材として、現場にも落とし生きていきたい。

苦手な前向きだが、やり甲斐を感じた今だ

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