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『いじめ』を受けたからこそわかった「本当に書きたいものを書くこと」の大切さ。

こんにちは、作家志望のアベヒサノジョウです。
本日は「いじめを受けていたこと」を振り返り「改めてなぜ書くのかを考えたこと」を紹介していきます。

ここで「なーんか、暗そうな話…」と、記事を閉じてしまうの人もいそうなので、二点だけ紹介させてください。

一つは私の記事。作家になる夢を「もう一度、頑張ろう」と思うきっかけになった話。

もう一つは、この記事を書こうと思った本。正直、これが大切です。




小学生の頃から中学3年生くらいまで、いじめを受けていたことがあった。
そのことを長々と語ると、せっかく読んでくれている読者の皆さんを悲しい思いにさせてしまうので、詳しくは語らない。
もし、一つ語るのであれば、あれは中学2年生の「キャンプ学習」の時。
(読み飛ばしていただいて構わない。むしろ、皆様には明るい気持ちでいてほしい)

キャンプ地に到着し、班のみんなで協力してテントを建てた頃「旅のしおり」が無くなっている事に気がついた。カバンの中身をひっくり返してみても、どこにもない。ものはよく盗まれるので、仕方ないかと鞄をテントに置きに戻った時、テントの床面に私のしおりがあることに気がついた。しかもそれはテントの下。つまり、私のしおりの上にテントが立っている状態。取り出すには、解体しなければいけない。教師には相談したが「今回は貸してあげるから」と、予備のしおりを渡されるだけだった。結局、二晩テントの下敷きとなった私のしおりは、雨と泥と虫でカピカピにくっついて出てきたのだ。

note史上、一番嫌な引用の使い方

明確に、学校という名の「社会」を見限ったのはこの時だったと思う。自分の住む世界に「期待」するのはやめることにした。

自分の心を「社会」に置くことに、疲れてしまったのだと思う。

だから私は自分の心を「創作の世界」に置くことにした。自分の作る世界には、絶大の期待ができる。どんな世界だって作り出すことができるし、「自分が楽しい、面白い、最高だと思える世界」がいつだって、そこに待っている。振り返れば、小説を書く理由なんて、そんな単純なことだったと思うし、誰しもが「架空の世界」に憧れるようになるのは同じなんだと思う。

自分は、作る方が好きだったというだけだった。

それから月日は経ち、社会人となって、もう一度小説家を目指そうと再燃した時、1年と半年をかけて書き上げた小説「銀雪の伝承師」は21万字を超える大作となった。私が初めて書き上げた長編の作品であった。

しかし、これだけの長編になると何処にも出すところがない。
世の中の公募は「10万字」を超えると、一気に出せる場所が限られてくる。20万字になると、出せるところなんて「文字数不問」の場所のみだ。

仕方なく上巻下巻にしてライトノベルのコンテストに出したものの結果は「不正」。(応募要項を確認しておらず、申し訳ありませんでした)

「どうしてこんなの書いてしまったのか…」

作品を持て余しながらも思い入れが強い作品だけに無下にもできない。
仕方なく、作品を一度放置して、別なものも書き上げるが、やはり最初ほどの熱意は生まれなかった。


出会いは偶然だった。たまたま見ていたYouTubeで、その本が紹介され、読んでみようと言う気になった。それが、先ほど紹介した本だ。

タイトル:読みたいことを、書けばいい。
著:田中 泰延

本書のことは以前から知っていたが(恥ずかしながら)「ライターさんのための本」と認識していたために、読むことを避けていた。しかし、この土日に読んでみようと金曜日に電子書籍で購入し、読み始めたら止まらなくなり、徹夜で読んでしまっていった。

それに恥ずかしい話だが、最後の方は泣きながら読んでいたと思う。

決して、大作で、感動作で、泣けるような話があったわけではない。(むしろその逆であると、声を大にして言いたい)

ただただ、作者(田中 泰延さん)のユーモアとセンスのある文体で「物書き(ライター)とはどのようなものか」を語ってくれる本だ。

Q:なら、なぜ泣いたのか。
A:それは21万字の大作を書いた理由がわかったからだ。


私が書いたこの物語の登場人物は、やたらと「良いこと」を言いたがる。

「良いこと」というのは、名台詞のようにキャッチーで作者(私)自身の胸を打つような優しい言葉のことだ。それに、なぜだかこの作品は心優しい主人公が登場し、やたらとキザなセリフで長々と説教したりする。(作者にはない要素だ)

「そんなもんだから21万字も超えるのだ」と思いながらも、私はそれらの言葉や行動を削りたくないと思っていた。省かず、載せたいと思っていた。

それは、過去の自分のためだったのだろう


名のあるインフルエンサーから「大丈夫、僕もいじめられていた過去があって、そこを乗り越えてきたから!君だけじゃない、きっと明るい未来が待ってるよ!」と言われたところで(捻くれていた)当時の私は「それは、あなたの場合じゃないですか。僕の何を知っていて、そう言うんですか」と思うのかもしれない。優しい言葉をかけてくれた大人に対してだって「何も知らないくせに!」と、言い切ったのかもしれない。

結局は、当事者にしかわからない心の内があるのだろうと、今の私は思う。だからといって、イジメの被害者に干渉しない理由にはならないかもしれないが、「自分なら傷ついている子をどうにかできる」と思ってしまうことも危険なのだろう。(もちろん、救われる時もある)

でも、だからこそ私はこの小説を夢中で書いたのだ。

それは誰かの為ではなく、間違いなく自分のためだったからだ。
自分がかつて言ってもらいたかったことをこの中に、入れたのだ。

そうか「昔の自分が読みたかった(言われたかった)小説」を、10年以上たって書くことができたのだ。

誰かに声をかけてもらうことも必要なことではあるだろうが、未来の自分から「案外この先の未来も悪くないよ。まぁ、色々大変なこともあったけど、いい人生だったと思えるから大丈夫。肩の力を抜けよ」と、言ってもらった方が安心できるものだ。

「何のために小説を書くのか」


間違いなく書き上げた作品は「過去の自分のため」であろう。

自分の心が救われ、かつての自分に思いが届く日を願って。




「銀雪の伝承師」は一話だけ公開しています・・・

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