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「縄文時代に学ぶ生き残り方」#0 

何故、現代は生きづらいのか?

近年、「働くこと」「生きること」に意味と幸福を感じられず、精神を病んでしまう人が増えています。とりあえず大学を出て就職活動をしようにも、「やりたいことがない」とか「やりたいことが分からない」という若者を多く見てきました。

また、周りの風潮に流されるまま“何となく”就職して働き始めたものの、
会社での仕事からやりがいや幸福感を得られず、人間関係ないしは組織のなかで息苦しさを感じて“疲弊”する。

そして、一日の多くの時間を仕事に費やさなければならない現代において、「働くこと」で不幸になることは、その日一日ないしは人生をも「不幸」なものにしてしまいます。


今こそ縄文時代に学ぶべき理由

本シリーズ「縄文時代に学ぶ生き残り方」を執筆しようと思ったきっかけは、私自身も上述のような悩みを抱えるなかで、「この現代をどのように生き残れば良いか」という問題意識を持ったことです。

そのうえで、今から約1万5千年前に始まり、その後1万年以上も続いた縄文時代を生き抜いた「縄文人」から、何か「生き残る知恵」を得られないかと考えました。
縄文人にとっては、「生きること」と「働くこと」は同義でした。

それは、「自分や家族の衣食住を、自分たちで作り獲得する(自給自足)」という意味です。したがって、「やりたいこと」を見つける必要も、「働く意味」に問うことも、「就活先」を探す必要もありません。この点は、現代と大きく異なります。

縄文人は、我々と同じ「日本人」で同じDNAを持つ「祖先」です。時代や文明のレベルは大きく隔たりがあるとはいえ、共通する点も多いと思います。一方で、現代より食糧事情が悪く、寿命も短く、不便な時代を1万年もの間生き延びた縄文人は、我々「現代人」よりも心身ともに“過酷な環境下”にあったといえます。

では、そのような過酷な環境のなかで、いかに生き残ってきたのでしょうか。この問いを解くうえでキーワードとなるのが、「格差のない共生社会」、「創造性と知恵」、「幸福の共有」だと考えます。

これらのキーワードの対義語は「格差・競争社会」、「模倣・無知」、「幸福の奪い合い」とでもいえましょうか。皮肉なことに、どれも現代社会でよく目にするキーワードであり、大きな課題となっているテーマでもあるといえます。


おわりに

今回は少々、“硬い文章”になってしまい、すいません… 
次回以降は、自作のイラスト付きで縄文ライフを描写しつつ、縄文時代から現代社会を生き抜くヒントを紐解いていきたいと思います。

僕は“歴史好き”ではあるものの、“考古学者”でも“歴史学者”でもありません。よって、厳密な歴史学的考証に基づく記事ではないことを予めご了承ください。むしろ、“定説”とされるものも、あくまで“一説”に過ぎず、未だ論争・諸説が絶えないのが実際のところであり、それが歴史を学ぶ面白さでもあり、「創造性」が発揮される分野ともいえます。

(次回に続く)

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