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残陽

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残陽 あとがき

悲劇の刻は訪れました。
何の変哲も無い
ただいつもと同じ夕刻の事でした。
これが残陽という物語です。

この話の主人公は紫乃です。
武家の娘としての謹みを持つが故に
紫乃の表現はこうでありました。

作者も信幸には共感を持っていませんでした。
だから何処か淡々と書いていきました。

紫乃の中にあった思考が
次作の「痛快アクション時代劇」である筈の
「まほろば隠れ人」の裏にあるテーマと重なります。

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残陽 22 完

「赤い、、、」
紫乃はただ、それだけを感じていた。

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兄•慎之介はきっと信幸が好きではなかった。

だが!
武家に生まれた事を宿命と思っていた。

だから!
武士である事を諦め無かった。
嘆かなかった。

妹の身を案じていた。
武士である以上、その命は果てしも無く軽い。
残された妹がせめて幸せに暮らせる事を望んだ。

紫乃はそんな兄•慎之介を好い

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残陽 21

「自分は幸せだ。」

珍しく声に出た。
うどんの仕込みを終え
もう初夏の熱を帯びた空気に肌が焼ける。
井戸の水を目一杯に浴び身体を拭く。
己が内にある熱が外に逃げていく様だ。
その熱が空気を更に揺らがせるのだろう。

夏の夕。
その赤き陽が世を等しく染め上げる。
自分もまだあの赤の中に居たのかもしれない。
武士である事を捨てなければ
慎之介の喉から溢れた赤を
自分は見続けていたに違いない。

信幸

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残陽 20

信幸は刀を鞘に戻した。
その傍に紫乃がふらりと寄り添ってきた。

「紫乃、、この刀は何故?」

「勇也さんから預かりました。」

「勇さんが?
 しかし、この刀は屋台の金に。」

紫乃が薄っすらと笑った。

「屋台のお金は勇也さんが立て替えてくれていたので
 す。お金は少しずつ私が返しておりました。」

「勇也殿、、」

「この刀は何やら思い入れがあるようだ。
 目を見ていれば分かる。

 ただ、

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残陽 19

薄っすらと雲を突き抜け
世を照らしていた月が
ゆっくりと顔を出した。

信幸の頬に初夏にしては冷たい風が当たる。

「お前の剣を使うのは、今だ。」

常世に眠る慎之介の声が聞こえた。

「あなた!

 あなたの剣を使うは、今です!」

同じ言葉を兄妹が言う。

「堀出殿、良いか。」
「ふむ。任せる。」

信幸が実に数年ぶりに刀を抜いた。
その刃に月光が跳ねる。

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残陽 18

「北方殿、引かれよ!
 このうどん屋の気持ちが分からぬか?」

「止められぬのだ、堀出殿。
 この親父も儂と同じ咎を背負うておる。
 守れなかった咎、殺してしもうた咎
 戦さ場にてとは言え
 それは身内の死を近くでこの目で見、
 救えなんだ咎なのだ。」

「馬鹿な!
 それが戦さじゃ!北方殿!
 その御覚悟も持たなかったのか!」

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信幸は頭を木刀

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残陽 17

「この老ぼれに他に何が出来ると言うのか。
 無意味?無意味であろうや。
 されど他に何がある。
 命を賭け、命を捨て、命を狩ろうとせねば、
 儂にはあの世にも居場所が無いわ。
 これを笑わず、何と為すや!」

「無意味は明白!
 されどこれ程までに愚弄され
 茶番に巻き込まれたとあっては
 無意味と済ます謂れもなかろう!」

「御両人!まずは聞かれよ!
 俺もあの関ヶ原の先陣に居た!
 俺はそこで

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残陽 16

「来ぬのか?ならば参る。」

北方新兵衛の剣は堀出葉蔵には緩やかに見えた。
さして武に優れた人生では無かったのだろう。
それなのに自分を仇と求めたのか。
この男の気持ちが分からなくもない。
恵まれなかった想いを息子に託したか。
自分に比べて武の才がある息子に
己の無念を託したのだろうか?

いずれにしても馬鹿げた事だ。
託された方は命のやり取りを定められただけの事。
それは見事に死ねと言われただけ

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残陽 15

「良くぞ来て下さった。
 感謝する。
 では、宜しいか。」

北方新兵衛は言うと
するりと刀を抜いた。

「北方殿、本当に宜しいのか?
 拙者は戦さに敗れた側とは言え
 剣の腕には自信がある。」
「分かっておる。
 あの戦さ場にて正確に喉を下から斬り裂いた
 其方の剣技、しかと目に残っておる。」
「それでもと申されるか?」
「儂とて武士の端くれよ。
 抜いた刀は引けぬもの。」

堀出葉蔵は溜息を吐

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残陽 14

「気になるんですね?」

屋台を終え床に着いたが、一向に眠れずにいた。
そんな信幸を察して紫乃の声がした。

「いや、、俺には関係の無い話だ、、」
「でも、考えてらっしゃる。」
「もう武士では無いのだ。
 武士の有り様の話なぞ、、」
「それで宜しいのですよね?」

信幸は深く息を吐いた。

「気にはなっている。
 が、それは店の常連客としての話だ。」
「そうですね。
 毎夜通って頂きましたもの。」

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残陽 13

堀出葉蔵は冷や酒を一気に煽った。
喉が渇いていたのだろう。
それで一息がつけた面持ちに見えた。

「愚かしい、、」

改めて呟く。

「戦さ場であるなら分かるのだ。
 我らは戦さ場でのみ人を殺める。
 それが武士であるのだ。
 それが務めではないか?
 そこに私怨なぞは無い。」

長く降った雨の季節が終わり
空気はからりとしてきたが
夏を迎える熱の起こりは
堀出の虚しき憤りにも連鎖したかの様だ。

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残陽 12

「そうだ!筋違いだ!」

語る北方新兵衛と信幸、紫乃に
不意に声が掛かる。

「捜したぞ、北方殿。」
「ほう。藩邸に伺われたか。」

藩邸と言っても立派な物ではない。
江戸はまだ埋め立てにより
その姿を広げている途中なのだ。

徳川家康に従う意も込め
この大工事には各藩から人手が送られていた。
中には藩士として、その人足たちをまとめ上げる
者たちがいる。
北方新兵衛はそういう立ち位置であろう。

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残陽 11

屋台のうどん屋が馴染みとなり
常連の客も増えた頃にこの騒動が起きた。

もうすぐ仕舞いにしようかという
夜も更けた時分に来る老武士がいた。
いつの間にか一言二言と交わす様にはなる。
何やら昼は人足を見回り
夜には人を捜しているらしかった。

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「この店の切り麦、いや、うどんでしたか。
 本当に美味い。美味かった。
 だが、これが最後となるやもしれぬ

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残陽 10

あれから随分と時が過ぎた。
信幸と紫乃は切り麦の屋台に追われ
気付いたら時が過ぎたと感じていた。

最初から上手くはゆくまいと懸念していたが
それは杞憂に終わった。
毎夜の様に勇也や仲間たちが客を連れてきていた。
毎日が忙しい中で終わる。
用意する切り麦の量も
日に日に増えた。
信幸には
それはあまりにも幸せだった。

段々と江戸が開けていく。
色々と便利な町に変わっていく。
下り醤油に鰹節が手に

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