残陽 22 完

「赤い、、、」
紫乃はただ、それだけを感じていた。

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兄•慎之介はきっと信幸が好きではなかった。

だが!
武家に生まれた事を宿命と思っていた。

だから!
武士である事を諦め無かった。
嘆かなかった。

妹の身を案じていた。
武士である以上、その命は果てしも無く軽い。
残された妹がせめて幸せに暮らせる事を望んだ。

紫乃はそんな兄•慎之介を好いている。
潔く男として、武士であろうとした兄を
今も理想としてきた。

武士を捨てる?
私との暮らしを望む?
ふざけているのか?

紫乃はそう思った。
されどそれは、兄の願いでもあったのだ。

武士を捨て商売を始める?
正気かとも思った。
だが、武に掛けた想いを新たな形で継ぐのは
間違いでは無い。
そう思い堪えた。

地味だが店は軌道に乗った。
うどんの味も変えてみせた。
ゆっくりだが形は変わったのかもしれない。
ならば、これで良いかと落ち着かせた。

問題だったのは、あの仇討ち騒動だった。
信幸は刀を抜いたのだ。
あれはけじめとなる筈だった。

「何故、斬らなかった!?」

紫乃はがっかりしたのだ!
信幸は武士にも町の者にもなりきれぬ。
兄様、貴方は分かっていたのですね。

「信幸は弱い。
 武士としてでは無く、、、
 人として弱い。」

兄様は言い淀んだ。
人として弱い者が
武士として強い訳が無い!
兄様なら、そう考えていた筈なんだ!

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赤い赤い夕陽。
沈みゆくその熱が残した赤が
紫乃にかかる赤を生き生きとさせた。

「紫乃、、、?」

「兄様の仇。
 兄様を私に返せ、痴れ者。」

「紫乃?」

「私は兄様と生きたかった。
 武家の誇りを
 運命に背を向けぬ男の姿と
 生きていきたかった。」

「、、そうか。
 俺は、、何処で間違えたんだろうなあ。」

「身の程を知らぬが己の誤ち。

 男としての器も無く
 家の豊かにに胡座を掻き
 それを己の力と見誤った。

 己なぞ兄様の足元にも及ばない。
 我が家が田原家であれば
 兄様にその身分さえあれば
 良き夜明けが来たのにぃ、、、」

信幸は薄れゆく意識の中で
もう一度だけ思った。

「俺は何処で間違えたんだろう?」

紫乃の体温が冷えていく自分の身体に伝わる。
暖かい、、

「暖かい?
 そうやってぬるま湯に浸かっていた。
 自分の力では無く与えられたぬるま湯。

 勇也さんが刀を預けていた事を知って
 男ならどうする?
 武士ならばどうした?

 何もしなかった。
 何もせず当たり前と受け取った。
 恥を知るがいい。」

信幸にはもはや暗闇が見えていた。
そうか、と感じた気がした。

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紫乃が庭でゆったりと赤い空を見ていた。
赤い。赤いなあ。
この赤が私の好きなものだった。
兄様と隠す事なく語り合ったこの赤の時間。
私は兄様が好き。
もう居ない兄様を忘れた事なぞ無い。

この赤が私を呼び覚ましてしまった。
それは本当の私。
何ものにも押し潰されない私自身の心。

「残陽、、、」

地上にまだ残る
もう暮れてしまった夕陽の名残りを見た。
ただ、それ故に。

紫乃は本当に
心からの笑顔を見せた。


残陽 終劇。

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