残陽 15

「良くぞ来て下さった。
 感謝する。
 では、宜しいか。」

北方新兵衛は言うと
するりと刀を抜いた。

「北方殿、本当に宜しいのか?
 拙者は戦さに敗れた側とは言え
 剣の腕には自信がある。」
「分かっておる。
 あの戦さ場にて正確に喉を下から斬り裂いた
 其方の剣技、しかと目に残っておる。」
「それでもと申されるか?」
「儂とて武士の端くれよ。
 抜いた刀は引けぬもの。」

堀出葉蔵は溜息を吐いた。

「何と哀れな事よ、、」
「目の前で息子を斬り刻まれた親の
 何が分かると申すか!」

新兵衛がさっと間合いを詰める。
薙いだ刃が風音を生む。
堀出は一旦低く前に出たが
ふと刃の下を潜り、体を入れ替えた。

「やはり遺憾な。
 其方では敵わぬ。」
「分かっておると申しておる!」

堀出は思案している。
この憐れな武士を如何にすれば良いのか?

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信幸は眠れぬ夜を明かした。
紫乃はそんな夫に

「今日は久しぶりのお休みにしてはどうか?」

と言い、信幸は少し思案したが
この様では良いうどんも打てまいと思い至った。

だから二人は久しぶりに夏の匂いのする江戸を歩いた。
小さな神社がある。

江戸という町は不思議なもので
元々は以前に町の体をなしている。
ただそれを世の理の中心とするには
いささか古びれ、荒れていたのだ。

元からある物を使いつつ
新たなる物を作り広げていく。
それが徳川家康の江戸作りの根本であった。

小さなお堂がある。
以前は何者かが手入れをし
中に仏像を納めていたのだろうが
今は少し汚れと雑草が目立っている。

それでも神仏に違いは無かろう。
信幸と紫乃はそっと手を合わせた。
頬を風が撫でていく。
国本でもこうやって拝んでいたなあ。
最後にこう二人で手を合わせたのは、、

「ああ。」

慎之介にだ!
国本を離れる時、慎之介の墓に手を合わせたのだ。
あの時も風が吹いた。
あの時は止まらぬ汗に心地良かった。

「もう気に病むな。」

慎之介の声が聞こえたつもりになっていた。

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「どうかなされましたか?」

気付くと、紫乃が信幸の顔を覗き込んでいた。
信幸はいつの間にか、額に玉の汗を浮かべていた。

「紫乃、昨夜の話な。
 俺は、、全くの他人事とも思えなんだ。」 
「何を仰います。他人事です。」
「何やら重なる気がした。」
「何も重なりはしません。」
「戦さ場には生まれるものがあるのだ。」

紫乃は緊張の面持ちである。

「失う為に打つかり合いながらも生まれ出てしまう。
 人の想いが物の怪の如く沸き立つ場なのだ。」
「貴方様、、お止め下さい。」
「人を斬れば恨みが出ずる。
 皆、俺の様に許されはしないのだ。」

眉間に皺を寄せた信幸を
紫乃はじっと見ていた。
その目も国本の幸せな風景を見、
そして今へと通り過ぎた。

誰かに許すと告げられる事。
それは一体何を許したと言うのだろう。
言葉は魂を宿し何事かを叶えるのか?
ならば恨みと放った言葉は
あの二人の武士を縛る罪に変わるのかもしれない。

紫乃の目は、再び信幸の顔を映した。


つづく
https://note.com/clever_hyssop818/n/nba147985f19d

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