残陽 19

薄っすらと雲を突き抜け
世を照らしていた月が
ゆっくりと顔を出した。

信幸の頬に初夏にしては冷たい風が当たる。

「お前の剣を使うのは、今だ。」

常世に眠る慎之介の声が聞こえた。

「あなた!

 あなたの剣を使うは、今です!」

同じ言葉を兄妹が言う。

「堀出殿、良いか。」
「ふむ。任せる。」

信幸が実に数年ぶりに刀を抜いた。
その刃に月光が跳ねる。

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「同じ無念を持ちながら、前に立たれるか。」

「貴方をこの先に行かせてはならん。」

「引けぬのか?」

「引かぬ!」

「ならば!」

信幸が抜いた刀を正眼に構えた。

「参る!」

その構えを見てぶるっと身体を震わせた
しわがれた新兵衛の声が甲高く響いた。

新兵衛が策も方も無く刀を薙ぎに走りくる。
信幸はその剣の流れをゆっくりと見る。
正眼の己が剣尖を僅かに下げ
その刃を斜めにちらと覗かせる。
そして新兵衛の踏み込みに合わせ一気に引き上げる。

「うわっ、、」

新兵衛の体が崩れた。

「お見事!」

堀出葉蔵が思わず声を上げていた。

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新兵衛の刀が信幸の間合いに。
信幸を殺す間合いまで揺れずに、
震えずに己を御し堪えた。

堪えた末にさらりと手首の角度を変え
再び峰を上にした。
その峰を新兵衛の刀にふわりと纏わりつかせると
さらに捻りを加え振り上げる。

新兵衛の刀が宙に舞う。
口を開けた新兵衛は
ただその刀の行方を見ていた。

無様だろう。
武士が命を賭けたというならまだ終わってはいない。
新兵衛はまだ生きているのだ。
なのにその目は信幸を見ようとしなかった。
どこか己の力量の行方を重ねた様に。

「ああ、こうなるものだ。
 儂の武士としての生き様は、、、」

そして口を閉じ、代わりに目を閉じた。
次の刹那に全て終わるか。
それも、、、我が意地の行く先。
すまぬなあ、仇は取れなんだ。

「ここまで!
 これにて決着と為す。」

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紫乃は信幸の一挙手一投足を目に焼き付けていた。
やはり田原の若殿と呼ばれた男は死んでいなかった。
信幸を見つめていた少し前の頃
あの残陽の中に立つ影を思い出していた。

「はっ!」

信幸の刀が止まり、声を聞いた時
紫乃の息が詰まった。

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「生き恥を晒せと申すか!
 武士の情け!
 せめて斬り捨て下され!」

「俺は武士は捨てました。」

「刀を抜いたではないか!
 刀を抜き振るう者こそ武士なるぞ!」

「なれば
 抜いた刀を失う事は
 もはや武士では無いという事。」

「貴様、、愚弄するか、、」

「いえ!
 俺は刀を売り屋台を得ました。
 貴方は振るった刀を失いました。
 最早ここには武士は居ない。」

「なるほど道理か。
 北方殿、刀を弾かれ死を願った其方は
 武士にあるまじき様。

 武士なればまだ諦めはしない。
 まだ脇差しがある。
 それを失くせば腕が脚がある。
 それを失くせばまだ歯で噛みつく。

 それが戦さ場に行く者。
 武士であろうや。」

北方新兵衛の身体から力が抜け
がくりと地に膝を着いていた。


つづく
https://note.com/clever_hyssop818/n/n96c931aa5864

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