愛は綺麗事じゃないと思う
自分がいずれ必ず向き合わなければならない問題がずっと昔から見えてる、わかっている、絶対にそれからは逃げられないのだ、ということはありませんか?
私にはそう言った類のものがあります。
逃げられるなら逃げたい、
でも絶対に逃げられない。
だって私が逃げたら他に対応する人がいないから。
見捨てることなんか出来ないし、
するわけないし、
でも何であの人はびっくりするほど無関心で
なんでそんなに他人事なんだろうかと
問いただしたくなってしまうことはあります。
でも、仕方ない。
これが私の業というか、
生まれる前から背負ってきた宿命みたいなものなんだろうなと思い「なんでだよ」を飲み込んで愛で丸め込み、良い人間になってみたりする。
愛って多分、優しさとか強さとか、好きとか、大切とか、なんかそう言うキレイなものだけでは出来てないと思う。
逃げたいけど逃げられない、
憎らしいけど自分がどうにかするしかない、
それまで背負ってきたこと、
自分がやってきたこと選んできた道、
人生を生きていくなかで
逃げられなかった、
捨て切ることができなかった、
そうするしかなかった出来事のなか
ほんの少しの理性とか道徳心で自分を守って、
情が紛れ込んでいるから捨てられない汚物みたいなものが最後に残るんだけど、それが愛だと思う。
人によっては美しく見えるだろう。
他人との関係性は軽く見ようと思えば
驚くほど軽くなる。
面倒くさくても、逃げたくても、目を塞ぎたくても、それでも見ようとすることが愛だ。
切ることのできる縁と
決して切ることのできない縁がある。
愛は綺麗事じゃないと思う。
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