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卒業までに殺して 四章 言葉と選択

【あらすじ】
 金髪教師、工藤悠希は屋上にて自身のクラスの女生徒の飛び降り自殺を食い止める。しかし、理不尽に怒られ、限界を迎えた悠希は「だったら殺してやる」と返す。少女はその言葉に目を煌めかせた。悠希が発砲した弾は外れ、腰が抜けた悠希が「一年分の勇気を使った」と語ると、少女は「来年殺して」と願う。
 そんな少女に悠希は「卒業までに殺す」と約束して見せる。
 また、女装男子やラッパー志望の少女らと共に『ナイトクラ部』を設立する。
 そこで、「社会の普通」からあぶれてしまった少年少女が、夢や人との関わりを通して、普通を強要する社会でどう生きるのか模索し、成長していく物語。

【本文】
 幕間

 夏休み、私はママから逃げるように部室に通い続けた。二人も夏休みほとんどの日を部室で過ごしていた。
 だからこそ、夏休みが終わり、いつもの教室に戻ると部室との乖離に辛くなった。
 そこから更に、ママが新聞の切り抜きで「私みたいな子の特集の記事がある」って読ませて来ようとして、耐えられなくなって、逃げ出してしまう。
 逃げて、行く充ても無く彷徨っていると、警察に補導される。けれど、ママとは会いたくなくて、かといって他に上げられる人もいない。
 けれど、ふと、思いついたのはセンセの名前だった。

 程なくして、センセは思った通り、私を迎えに来てくれた。
 頭の先に、センセの手のぬくもりが伝わり、心地良い。
「ラーメンでも行くわよ」
 そう言ってセンセは私を家に帰すわけでもなく、連れまわしてくれた。車の時も思ったけれど、こういう所がセンセが結婚できない理由で、私がセンセを好きな理由なのだろう。
 中華屋でセンセといっぱい話した。あんなに人と話したのは生れてはじめてだったかもしれない。
 出てきた料理を食べて、お腹も話題もいっぱいになったところで、センセは私を家まで送ってくれた。

 最悪な三者面談があり、センセは悟ったように背中を撫でてくれた。
 流行り病で学校が休校になり、センセはクラスの前で大人が言っちゃいけないような事を言う。クラスは沸き立った。やっぱりセンセは凄い。
 私が擬態している先のグループの人達から、休みの二日目に「カラオケ行こう!」と誘われた。普通を演じるべく同じくらいのテンションで「良いよ!」と返す。
 皆は盛り上がった後、帰って行った。
 残った私が、擬態で疲れ切って俯いていると、センセは私の肩に手を置いて、
「一緒に出かけるぞ」
って。
センセに何処か連れてってもらえる事になった。
 でも、私が行きたい所ってなんだろう? 思い浮かばなくて頭を悩ます。
 聞かれている以上、何か答えるべきなのだろう。
「……彼岸花」
 正直それほど興味がないけれど、部室に飾られた花を思い出して答える。

 それから約束の日になり、ママには「友達の家で遊んでくるから遅くなる」と言うと、満足気に許可してくれた。多分、普通の子みたいに友達と遊ぶ娘が気に入ったのだろう。幾つかお菓子を持たせてきた。
家の前で待っていると、センセは黒くてカッコいい車でやってくる。ママ的に言うと「女の子らしくない」だと思うけど、私はセンセのこういう所は好きだ。
 途中でお寿司を食べた。お寿司は血の味がする。回転寿司で食べても、高い所でも、同じ。お医者さん曰く、私は感覚過敏らしい。けど、センセと食べると、少しだけマシだった。
 食事後、高速道路に乗り、ひた走る。ドライブ中のセンセは凄く楽しそうだった。「彼氏ができても、ハンドルは渡さない」だって。やっぱりセンセは変な人。
そうして話をしていたら直ぐに時間は経って、目的地に着く。
 センセはどんなところを選んだのだろうと、疑問に思っていたけれど、普通に営業時間を終了した公園に不法侵入すると言った。聖職者がそんなのでいいんだろうか。本当にセンセは面白い。
 暫く歩くと、辺り一面にレッドカーペットが引かれたみたいに、紅の毒花が咲き誇っていた。
 思わず目を見開いて、その中に飛び込んだ。
 ブワッと舞う深紅の花弁が、私の中のモノみたいで、胸がざわざわする。
 願わくば「この毒花達の中で死ねたら」と思ったけれど、やっぱりそんな勇気は無くて、センセにお願いする。
 センセはちょっと困ったみたいに、
「銃も弾も、持って来てないの」
 って、おどけて見せた。
……だったら仕方ない。
 センセの手に引かれ、カッコイイ車に乗り、私の我儘で暫くドライブした後、家まで送ってもらう。
 家の前で、センセは紅茶を放り投げて来て、カッコつけた。そんなセンセに手を振る。
「またね」


四章 言葉と選択

 学校閉鎖の期間が終わり、探り探り授業が始まる。学校側は、配慮だの警戒だの忙しそうにしているが、アタシには知ったこっちゃない。
 そんな事よりも、今週の土日は待ちに待った……のは叶本人だろうが、高校生ラップ選手権大会だ。
 この時の為に、彼女が努力してきたことを知っている。アタシ達、ナイトクラ部も彼女の力になれるように尽力した。使われやすい音源、韻律の良い言葉の採集、まぁ、出来得ることはやっただろう。
 放課後、部室に顔を出す。
 流石に一週間前という事で集中しているのか、叶は画面から流れる音源や巧いライムを研究してはブツブツと呟いている。冬場の受験生ばりの集中力に気圧された。
 余りに集中しているので、他の二人も声を掛けられないのか、まぁ、椎名は空気を読む美波の真似をしているだけだろうが、とにかく異様な雰囲気が漂っていた。
「ねぇ、せっかくだから会場見に行くわよ」
 あんまり気が入り過ぎても、疲れてしまうだろうし、息抜き代わりに会場を下見しに行く事を提案する。下北付近は美味しいパンケーキ屋とか結構あるから好きなんだ。
 バンドマンだらけなのは気にくわないが。「将来ビックになったら返すね」とか笑いながら、アタシから二十万借りてバックレた元カレCは許さない。もしもバッタリ出くわしたりしたら殺す。すれ違いざまに。気取らせない。アタシ、タツジン。
 カルガモの親子みたいに生徒達を引き連れ、電車に乗り、会場であるクラブハウスを目指す。場所は下北沢にあるクラブ251。三百名程が入れる箱らしい。大きい箱なのだろう、知らんけど。
 下見できたライブハウスは使用中で、そこそこ有名な大学生バンドが演奏しているらしかった。音楽性は違えど、丁度良いからライブ感を図るために入場して彼らの演奏を聞く事にする。
 ハイテンポでロックな音が心臓にまで響く。客もそれなりに入っているが、受付のパンクなおねーさんに聞いたところによると、これでもまだ半分らしい。つまり本番はこの倍以上の人間が来るという事。
自分の事じゃないのに吐きそうになるわ。
隣にお行儀よく並ぶ生徒達を見やると、様々な反応をしている。美波は純粋に音楽を楽しみ、椎名は大きな音にビックリしていた。
そして叶本人は、下唇を嚙みながら、ジッと舞台を見据えていた。
 大学生達のライブもアンコールに入り、次にライブする予約をしていたと思しき、地下アイドル達が舞台脇に見える。最近話題の地下アイドルらしい。
その客が押し寄せる前に出るとしよう。
「うっし、下見も済んだし出るわよ。いいわよね? 叶?」
「うん、何処に立つか明確になった。ありがと先生」
 叶はやけに素直に礼を言ってはライブハウスを後にした。

 ネオンに照らされたライブハウスを出た後、お目当ての(アタシにとって)喫茶店に寄り、人数分のパンケーキを頼んだ。
 数分待って出てきたのは、辞書くらいの厚みのあるスフレパンケーキだった。
 アタシは内心大喜びしながらも、先生としての威信を守るべく平静を保つ。そういう反応は現役のJK達にお任せするとしよう。
 しかし、当の現役JKはというと、
「工藤先生、そもそも、なんでパンケーキなんですか?」
 喫茶店でお茶をすること自体、少し不満そうな叶。
「当分補給は大事よ~。脳の動きが格段に変わってくるからね。なんだったら本番前も来る?」
「アハハ、流石に……本番前はいいかな」
 やはり緊張していたのだろう、アタシの冗談に叶はホッと一息つき、笑ってくれる。
 因みに、もう片割れのJKはというと、不思議そうにパンケーキを眺め、観察した後、勝手にパクつき始めた。文明に初めて触れた宇宙人か、お前は。
 叶は、本番が近づいていて緊張しているだろうから、まぁ仕方ないにしても、アンタ達に期待したアタシが馬鹿だった!
「わー、ふわっふわだね~。映えだ~」
 スマホを取り出し写真を撮りながら、アタシが期待した女子高生みたいな反応をしたのは、美波だった。わかっちゃいたけど他二人頑張れよ!

 本戦までの五日、特に大過なく進み、直ぐに本番の日がやって来た。
 自身の事では無いのに、胸が高鳴り、手が震える。
「やれることはやったわ、叶、アンタならきっとできる! ファイト!」
「オー!」「お~」
 美波が景気よく呼応し、椎名が情けない声で続いた。
「先生たちが緊張してどうするの?」
 叶はクスクス笑いながら指摘してくる。
「だっでぇ~! アンタが頑張ってるの見てきたが゛ら~」
 思わず泣きそうになる。あれナニコレ? もう歳なのか涙腺が……。
 いや、違う。自分でも「努力を見てきたから」って言ってるじゃないか。それに、アタシは部活モノに弱いのだ。あと、アタシはまだ二十五だ。
 先日来た道をたどり、会場に到着する。先日とは違い、取材陣や、選手? ヒッピーな髪型、髪色、墨、グラサンをした連中がうようよいた。怖いわ~。族の集会かよ。
 因みにアタシ達は「出場者の学校関係者」という事で入れることになっている。
 大学生バンド達が演奏していたのと同じ場所のはずなのに、めっちゃディープでドープな会場に感じる。なにより人が多い。三百人どころの騒ぎではない。暫く見て回っていると、スタッフが出場者は控室に来るように促す。叶も緊張しているらしく、キョロキョロと辺りを見回している。
「行って来い!」
 アタシが活を入れるべく彼女の背を軽く叩くと、彼女はこぶしを握り締め頷いた。
 会場が暗くなり、不健康なネオンとどよめきに包まれる。いよいよ、叶の挑戦が始まる。

 結果から言ってしまうと、一回戦二回戦は、叶の圧勝だった。流石アタシ達をレぺゼンしてるだけはあるぜ。全会一致で一、二回戦を勝ち上がったJKラッパーとして確実に会場に印象は残ったのだろう。
 しかし、問題は三回戦。前回準優勝の相手だった。しかも、素行不良で二年も留年しているらしく、今年で二十歳だ。流石に実践経験の差が出ている。っていうか、留年してる奴も出れるのかよ!
 それでも、叶は、ビート選択権を得て、何とか食らいつき、審判からは「もういっかい」の札が掲げられた。首の皮一枚繋がった……ものの、今までにない位の強敵相手に消耗していた。どう見ても今の彼女に、八の二とは言え続けられる体力は無い。
 非情にも次のビートが選択される。
 結局、延長戦の叶は、韻もフローもないただ内心を吐露するようなおしゃべりラップだった。当然勝敗は叶の負け。今大会、女子唯一の本戦出場者対前回準優勝者というカードだっただけに、注目度も高く会場は沸き立ち、彼女に「よくやった」「次がある」と称賛する声も多かった。
 けれど、彼女の家族の事を、心の内を、積み上げてきた事を知っている身としては、軽々に「残念だった」とか、「また次がある」などと言うことは出来ない。
 急いで楽屋まで走ると机に突っ伏している叶の姿があった。
 監視員の制止を振り切って来たので物々しくなり、叶が額を上げる。
 悔しいはずなのに、何もかも投げ売ってきたのに、泣きたいはずなのに、彼女は切れるくらい唇を嚙み締め、こぶしを握り締めていた。

 アタシは、思わず彼女を抱き寄せる。

 そしたら、叶は嗚咽を漏らし、徐々にむせび泣き始めた。
「そうだよ、泣きたいときは泣けばいいんだ。子供なんだから。大丈夫だよ」
 アタシの胸で泣く少女を見て、思わずアタシまで涙ぐむ。歳なんかじゃないんだから。
 しばらく楽屋で泣き続けた後、彼女は気付いた様にアタシに言った。
「なんで工藤先生が泣いてんの」
 鼻声で語る彼女は、もう泣いてはいなかった。

 けれど、しばらくたった後、彼女は出席しなくなった。

 察する事も出来ないではない。実際、ついにキャバ嬢からバーの店長へとジョブチェンジした友人から、「夜中、アンタん所の生徒がうろついている」と連絡があったし。
とはいえ、こちらも忙しく、叶の不登校の理由も確認できないまま、期末テストの制作、採点に取り掛からなければならず、辟易とする。
 多いんだよ。テスト。三学期制で中間期末と、学期に一回でいいだろ。生徒も教師も迷惑してんだよ。
 「面倒事は即終わらす」のモットーに乗っ取り、ほぼ一日でクラス全員分のテストの採点が終わり、やっと職務から解放されたアタシはバーに寄って未来の旦那様候補を探しにきた。が、結局坊主に終わった。
 チッ、今日もナンパ師しかいなかったじゃねぇか。いつになったら高収入高身長高学歴優男イケメンが現れるんだ。このままだと『睦月美波限界夢女子界隈』に入信してしまうぞ。
 路傍の石を蹴り飛ばし、この世の無情さにキレ散らかしながら、帰路を行く。
 すると、途中のコンビニの灰皿の前で見知った顔の少女を見かける。
(まったく、どいつもコイツも深夜徘徊ばっかしやがって不良どもが)
 呆れながら彼女に声を掛けようとして、ふと、我に返る。
 何故声をかけるのだろう?
 放っておいても過失にはならない。少なくとも、アタシ一人のせいではない。所詮、学校が、教師が、いくら取り締まったとて、素行不良する生徒はする。それでもアタシが彼女に声をかけようとしたのは酔っていたからか、はたまた先日の彼女の声に震えたからか。
「おい、叶!」
 こんな夜中に名前を呼ばれたからか、彼女は驚き肩を跳ねさせた。
 振り向き、アタシを確認して、咄嗟に手に持っていた何かを地面に捨て、踏み隠す。
「工藤先生?」
「さっきまで吞んでてね、アンタの姿が見えたから声かけたの」
「……」
 後ろめたいのか彼女は俯き押し黙ったままだった。
「それ、タバコ?」
「っ!」
 アタシが彼女の足元を指して言うと、彼女は顔をこわばらせる。
「そんな警戒しなくて良いわよ。アタシは別に生徒がタバコ吸ってた位でキレたりないわ」
 まぁ、それはそれで問題なのだろうが。
 戸惑う叶を前に、アタシは胸ポケットからピースを取り出しニヤリと笑う。
「吸う?」
「先生がそんなこと言っていいの?」
「アタシも中坊の頃から吸ってたからね」
「チョー不良じゃん」
 アタシの自虐に、叶は少し疲れたように笑い、アタシから一本タバコを受け取る。

 それから彼女は、タバコの煙を吐き出すように、起こった事を語った。
 それは、彼女が高校生ラップ選手権の本戦で負けた相手が、犯罪をして逮捕された事。それが学校や周りの大人に伝わり、「ヒップホップに関わるな」「ラップを辞めろ」と言われている事だった。
 確かに周りから見れば薬中や犯罪者のような奴もいる界隈で、その犯罪者本人にも勝てなかった奴がまだラップを続けるだなんて馬鹿げていると思うのだろう。
 まったく勝手な大人達だ。
 彼女が、どれだけ悩んで、苦しんで、絞り出した言葉だったかも知らないくせに。大人達はきっと彼女のラップを聞いてすらいないだろう。
 普通とは違う道を選んだ子達に対して、あまりに厳し過ぎる社会に対して歯嚙みする。
「アタシもね、ホントは教師なんて向いてないの。お昼はずーっと眠たくて、けど、夜になったら眼が冴えて眠れなくなる。それで、アンタや椎名みたいに深夜徘徊しては、何度も補導されてた」
「フフ、工藤先生が先生に向いてないのは見ればわかるよ」
「うっさいわねぇ、今いい事言おうとしてるんだから、茶化さないでよ」
 相変わらず叶は疲れたように笑う。
 きっと、高校生の胸の内、精一杯頑張って、届かなくて。更に届かなかった相手がクソ野郎で、それを理由に大人からボロクソに言われて、自分でも肯定できる理由が見つからなくて、本当に疲れ切ってしまったんだろう。
「ねぇ、叶。アタシはね、夜の街が好き。みんなが寝静まった頃に、ポツンと光る自販機。夜中でも仕事してる舗装屋さん、犬の散歩をしているおばあちゃん、酔い潰れたキャバ嬢、駅前で始発待機しているタクシーの列。音も、匂いも、景色も、全部好き。それは誰が否定したって変わらない。たとえ教師らしくないって言われても。ねぇ、アンタはどうなの?」
 アタシの言葉に、叶は、瞳孔を広げる。徐々に唇を震わせ、その振動は肩まで伝わる。彼女はあふれ出すように涙を流し始めた。
「あたしは、ヒップホップが好き。ラップが好き。初めは、母さんが笑ってくれるから始めたけれど。今は、音の心地よさも、言葉の奥深さも、ネオンに照らされた空間も、何もかも好き」
「だよな」
「好きなの。大した事無い奴に負けたって、誰がダメって言ったって、好きなものは好きなの!」
「あぁ、わかるよ」
 きっとアタシは教師失格だ。生徒が真っ当に、普通に生きていくのに困難な道を選択をさせようとしているのだから。
でも、アタシは彼女の心に寄り添いたい。もしダメでも、戻って来れる様な社会にしてあげたい。

 彼女の手元のタバコの火が消える。汚い水の溜まった灰皿の底に、吸い殻が落ちていく。

 わかっている。これが彼女の選択だ。そして、その背中を押したのはアタシだ。けど、お互い、後悔は無いだろう。
「先生、ありがとう。美波と椎名によろしく!」
 彼女は礼を述べた後、一歩、また一歩と自分の道を駆け出し始めた。
「戻ってきたくなったら言いなさい」
「……うん!」
 ほんの少しだけ立ち止まり、振り向きざまに頷いた叶は、初めて見る、飛び切りの笑顔だった。
(もしも、本当に彼女が戻ってきたくなったのなら、靴でも床でも舐めてやる)
そう心に誓って、アタシはもう一本タバコを取り出した。

 晩秋だか、立冬だか、とにかく十一月に入り、肌寒くなってきている……というか、今年は云十年に一度の大寒波らしく、この時期から気温は一桁代だった。更に電力不足らしく、お上からは「なるべく暖房を使うな」とのお達しだった。
 が、アタシのクラスの教室は暖房をガンガンに付けることにした。電力不足など知った事か。寒いもんは寒いんじゃ。
 教室中に暖房の音が響き渡る。それでも寒いのか、女子の幾人かは、ひざ掛けを持参し暖を取っていた。
 アタシも学生時代はひざ掛け使ってたなぁ。あれ、授業中寝る時すっごい落ち着くんだよなぁ。自分の匂いっていうか? 
 流石に教師になった今でも学生に交じってひざ掛け持参するのは恥ずかしいだろうか。
 今日も今日とて、授業が終わり放課後になる。
 アタシは寒さに腕をさすりながら、あらかじめ暖房を効かせておいた部室にお邪魔する。
 叶が自主退学し、部の条件である三人に満たないものの、ナイトクラ部はしれっと続けているわけだが。設部さえしてしまえばこちらのモノという感じである。
 それに、もしも叶が帰って来た時の為にこの部はなければならないのだ。一応、夜職系の知り合いに「目をかけてやってくれ」と頼んだが。
 ともかく、アタシは光村先生や新任ちゃん達を囲って、出来るだけ教頭や運営陣に気づかれない様に取り計らってもらった。当直とかもあんまりやりたくないし。
 そういえば、叶の事は美波と椎名には詳しく伝えてなかったな。
「アンタ達、着席」
 戸を開け腰に手を当て二人に事実を告げるべく着席を促す。
「アハハ、元から座ってるよ、椎名ちゃんも俺も」
 呆れた様な美波のツッコミに思わず焦る。
「そっ、そうね! アタシったら」
 叶は叶の道を行ったというのに、それを言葉にして二人に言うのが何だか怖くて、冗談めかす。
「センセ、なんか変」
 動物的勘なのか何なのかは知らないが、アタシの不自然さに気づいたのは椎名だった。人の気持ちに鈍感なのではなかったのか。
「はぁ、なんでこんな時に限って気づいちゃうのよ」
「まぁ、でも、いつもの悠希ちゃんならもっと面白い事言ってたかもね」
 おおぅ……。それは、褒められてるのか……? いや、ネタ枠扱いじゃね? でも漫画でも「おもしれー女」とかあるし。
 ふと、目に入ったパソコンの前の空席で、全部思い出し、しょうもない雑念を振り払う。
 少し静かになった部室、ただ事実を告げる。
「叶は、自主退学したわ。もっとラップを研究したいんだって」
 暫く静寂になった後、美波がアタシと同じくらい下手くそな明るい演技で、頷いた。
「うん! 叶自身が決めたんなら、いい事だよ、きっと」
 対して殆ど表情を変えていない椎名に念押しする。
「椎名? わかった?」
「うん、わかっ……た。叶の決めた事……」
 彼女の左目からはほんの少し滴がこぼれた。
 驚きだった、彼女自身、驚いているのだろう。目を見開いて頬に伝う滴を指で拭い確認する。
 椎名が泣いたのだ。悲しんでいるのだ。それも人の為に。
 あの、「人の心がわからない」という理由で、「普通がわからない」という理由で、死のうとしていた彼女がだ。
 何より、彼女はいつもの張り付いた笑みを含んでいなかった。ただ純粋に、友人が学校から去った事を悲しんでいた。
「今日は、病院に、行かなきゃ」
 寂しそうな顔をした椎名は、逃げるように言葉を残して走り去っていった。
 少しずつ、彼女の事がわかってきた気がする。
 椎名の様子に呆気にとられ、感慨深くなっている間に、部室にはアタシと美波二人きりになっていた。
「悠希ちゃん」
 二人っきりになった部屋にこだまする声で美波が口を開いた。
「なに?」
「あのさ、俺、叶の事……好きだったんだ」
「そっか」
 薄々気づいてはいたが、何故、今、私にその事を言うのだろうか。そもそも、このビジュアルに告白されて断る人間なんているのか。
「叶は、自分の好きに正直で、何にも縛られなくて、思い悩む俺に『好きな格好すればいいじゃん』って言ってくれたのは叶なんだ。ずっと、憧れだった……」
 アタシの疑問とは裏腹に、彼は自信なさげに語る。
「うん」
 レコードやパーカー、叶がいた残滓の残る部室で、彼は後悔するように続ける。
「叶が負けたあの時、悠希ちゃんみたいに、叶の事を抱きしめられたら、選んでもらえたのかな?」
「フフ、どうかしら? 多分、あの娘はラップを選ぶと思うわよ」
 もしもの話をする美波に、少し無慈悲な言葉を投げかける。何より、叶なら、きっと迷いなくラップを選んだだろう。
 あまりに寄り添おうとしない、アタシの物言いに美波は少し驚き、笑った。
「そうだね。そうだ。叶は、ブレないから叶なんだ」
 立ち直ったように自身に言い聞かす美波は、いつもみたいに周りに元気を与えてくれる笑顔になった。
「元気出た?」
「うん、悠希ちゃんのおかげでね。ありがと」
 そう言って、彼はアタシの手を包み込む。
 あ゛ぁぁぁぁぁぁ、やめてください! 条例違反! アタシセイジンシテル。ミナミマダセイジンシテナイ。ソウイウコトシチャダメ!
「ま、教師だからな」
 聖職者の意地を見せつけ、鼻高々に強がる。
 全く、軽々にこう言うことをするから学内でファンクラブが設立され、勘違い夢女子(一部男子含む)を量産するんですぅ~。
 アタシは、美波の魔性っぷりに呆れつつ、彼の肩に手を乗せた。

 叶が自主退学し、一か月が経った。
 変わった事と言えば、美波が顔を出す頻度が少し減ったこと位か。まったく来ないという訳ではないが、好きだった叶がいなくなった故、足が伸びないのだろう。
 アタシ的には、目の保養として来て欲しいものだが、無理強いする事でもない。それに、彼は習い事か何かを始めたようだった。週に二回ほど放課後直ぐに帰宅している。
 二人には少し広過ぎる教室で、椎名と他愛のない会話をする。本当に、差しさわりの無い、他愛のない会話。
 そんなこんなで、二人ソファの上で寝っ転がっていると、教室のドアがノックされる。何事かと扉の近くまで行き、来客が誰なのかを確認する。他の先生方じゃありませんよーに。
「やっ! 悠希ちゃん、椎名ちゃん」
 手を上げ、爽やかな笑顔でアタシ達の名を呼んだのは美波だった。
「美波ちゃん、今日は、来たんだ」
「うん、今日は暇だから」
 椎名の問いかけに、彼は伸びをしながら、アタシ達が座るソファの前に鎮座する長机に腰かける。
 ずっと思ってたけど、距離が近い! まっじで勘違いしちゃうからそういうのやめようね(もっと下さい)。
「美波、アンタ、最近忙しそうにしてるけど、何かしてるの?」
 純粋に生徒が何をしているか気になり、聞く。
「あぁ、ダンス、始めたんだ」
 美波はあっけらかんと答える。
(ダンス?)
「ダンス?」
 アタシが疑問に思った事まんま、椎名が聞いてくれた。この半年で椎名も随分と素で話せるようになったものだ。
「うん、前からやりたかったんだー。ライブとかで踊れたら、カッコいいでしょ?」
 そう言って彼は、その場でタップし軽く踊り、顔の前で横ピースして決める。
いや、ファンサじゃん。
「美波ちゃんはどうしてダンスしようと思ったの?」
 椎名的に、美波のファンサには特に興味がなかったらしく、淡々と聞き返す。
「……」
 少しばかりの静寂の後、彼は語り始める。
「俺は、叶みたいに本気で何かに打ち込める人間じゃない。正直、ダンスを始めるのも『楽しそうだから』ってだけ。でも、何か、本物を掴みたいんだ」
 彼は真剣な事を、怯えるような顔で話した。
 きっと、怖いのだろう。本気で挑んで、敵わないものがあった時の事を考え、立ちすくむのだ。そして自身に問うのだろう、「自身は、叶と同じ選択を出来るのか?」と。
「そっか、なら頑張りなさい」
「ありがと、これからあんまり来れなくなることはごめんね。でも、流石に学校は辞めないから、見かけたら話しかけて!」
「大丈夫よ。アンタは目の保養だし、定期的に呼び出すわ」
 アタシがおどけて見せては、彼の背を押し、椎名も頷き肯定する。
 彼は再度礼を言うと、思い出したように求めてきた。
「そうだ、悠希ちゃん、俺の髪切ってよ。結構伸びて来てウィッグと変わんない位まで来てるんだよね」
「え? は? いやいや、髪って……綺麗なのに」
 間違いない。彼の髪は艶やかで、シルクのカーテンみたいに透き通っている、
 折角ここまで伸ばしてきたのに勿体ない。
 美容用のハサミと櫛、それから鏡を取り出す美波に驚愕する。
「……フフ」
 彼は何も言わず、ほんの少しだけ笑う。
「言いたくないなら良いわ」
 なんとなく察することもできるが、辞めておこう。多分、アタシが何もかも知ってる大人になってしまったら、彼はどこへも行けなくなってしまう。
それに、美容についてはかなりの自信がある。人生の内、二か月くらいは美容師になるという夢を持っていたことだし。
 アタシの言葉にニッコリ頷き、美波は首を振り、手櫛で髪を整え、何処からか取り出したのかマント型のケープを着た。準備万端じゃん。
 霧吹きが無かったので、持ち合わせの香水を使って、髪を潤す。手渡された櫛を使って彼女の髪をとかし、ショートボブ位まで切りそろえた。
「はーい、お客さーん。こんな感じですけど大丈夫ですかー?」
 椎名に鏡を持たせて、美波に完成形を見せてやる。
「すっごい! 悠希ちゃん、美容師にもなれるんじゃないの? こんなに出来るなんて知らなかった!」
「アンタ、アタシが美容師志望だったって知らないのに頼んできたの?」
 まぁ、本当に人生の内二か月くらいしか考えていなかったし、知らないのは当然なのだが。
(アタシはこう見えて手先が器用なの、美波、もっと褒めて良いわよ)
「もっと、バツバツになるかと思ってたのに」
 いたずらっぽく笑って、失礼なことを言ってくる美波は、後、決心した様な顔になった。
 そんなこんなで、帰宅のチャイムが鳴り響く。
 アタシは切り取ったきめ細やかでサラサラな髪を手に乗せ、二人に帰るように促した。
 キューティクルが違うぜ……。ビバ、マイナスイオン。

 それから職員室に戻り、多少仕事をこなし、アタシが帰宅しようとすると、校門前で椎名が待っていた。
「どったの?」
「センセ、さっきのどういう意味?」
 もう陽も短くなり、ずいぶん暗くなった校門前で、椎名は息苦しそうな表情だった。
「本物って何……?」
「そりゃ、叶のラップみたいに、何もかもかなぐり捨てて、熱中できる事よ」
「私には、無い」
 胸を押さえながら彼女は呟く。
「そりゃ、誰にでもそんなものがあったら……」
 おどけて擁護してやろうとするも、遮られる。
「趣味も、夢も、本物なんてなにもない」
 ずっと、抱いていた疑念。
 アタシは苦しむ子供を、ただ苦しいまま無理に生き長らえさせているだけなのではないかと不安になる。
 でも、彼女は生きなければならない。少なくとも死んでいいような人間じゃない。その事を伝えるべく、
「あー、えっと、期末も終われば冬休みよ。また、何処か行きましょう」
 あぁ、アタシが現国の教師だったら、ちゃんと言葉に出来たのだろうか。


幕間

 かねてよりこの部の目標だった、叶ちゃんのラップの大会が近づいていた。私と美波ちゃんは、叶ちゃんの練習のお手伝いをした。同じ語感の言葉とかを集めて来ては、「違う」「これは使える」と言葉集めに夢中になっていた。教室ではヒッピー? なBGMがずっと流れていた。
 叶ちゃんは日に日に研ぎ澄まされていく。
 ある日、集中しすぎて怖い事になっている叶ちゃんを見て、センセは「下見に行くぞ」と言った。
 皆で下北沢の街を歩き、会場で行なわれていた大学生のライブを見る。正直、大きな音が鳴っていて、あんまり好きじゃなかった。
 ライブを見終わって、センセは張り切った顔で喫茶店に入り、人数分、パンケーキを頼んでくれる。
 出てきたパンケーキは凄く甘くて柔らかかった。

 叶ちゃんのラップバトルの日が訪れた。
 あんまりわかんないけど、叶ちゃんは二回戦まで勝って、三回戦で負けたって事はわかった。でも、最後の叶ちゃんのラップは、なんだか私が言いたい事を言ってくれてるみたいで、心地よかった。
 楽屋でセンセが叶ちゃんを抱きしめると、あの叶ちゃんが大泣きする。
いつか私も泣けるときが来るのだろうか。

 叶ちゃんのラップの大会から数日、叶ちゃんは学校には来なくなった。
私が授業をサボるべく、部室に向かうとそこには当の叶ちゃんがいた。
 でも、叶ちゃんはちょっとだけ寂しそうだった。人の心がわからない私でも気づいてしまうくらいに。
「ねぇ、椎名? アナタは好きなものってある?」
 唐突に聞いてきた質問に、思い悩む。
 私には、好きなものなんてない。食べ物も、音楽も。そりゃあ、蟻を潰している時は心安らぐ……とかあるけれど、多分、それとは違うんだろう。
 否定の意を示すべく首を横に振った。
「そっか、見つけられると良いね」
 以前より明るい表情で、叶ちゃんは肩をすくめた。
 憑き物が落ちた様な顔の叶ちゃんに思わず聞き返してしまう。
「ねぇ、叶ちゃんが大事にしてる事って何?」
 叶ちゃんは、しばらく上を向いて考えた後、照れくさそうに言った。
「あたしは、ラッパーだから、韻を大事にする。そんで、運も縁も、大事にする。そしたら、いつか恩が返って来るってね」
 待っていたら、凄いダサい言葉が返ってきて思わず笑ってしまう。
「フフ、なにそれ? そんなだから負けちゃうんだよ」
「なっ、いい言葉でしょ!」
 目を見開いて抗議する叶ちゃんは、今まで見た事ない表情だった。
 それからしばらく他愛のない話をした。話してる内容はクラスの子達と同じなのに、不思議と気疲れはしなかった。
 そんな中、叶ちゃんは壁に掛けられたパーカーを指差して言った。
「あぁ、そうだ。椎名。そのパーカー、アナタにあげるね」
 なんでそんな託すみたいなこと言うのかわからなかった。
「叶ちゃん、ラップ、辞めちゃだめだよ?」
 なんでこんな言葉が出たのか、自分でもわからなかった。気づいたら口に出ていた。
 そんな言葉に叶ちゃんは、
「ありがと」
 あぁ、叶ちゃんは、こんな風に笑うんだなぁ……。

 それからしばらくして、叶ちゃんは正式に学校を辞めた。
 私には何も関係ないことのはずなのに、呆然とした。
 胸が痛んで、左の頬に何か暖かい筋が通った気がした。
(もう、叶ちゃんには会えないんだな)
 そう思った。

 叶ちゃんが学校を辞めて、一か月。
 久々に顔を出した美波ちゃんは、何だかちょっとだけ迷いがあるみたいな顔で現れた。
 曰くダンスを始めたらしい。
「本物を掴みたい」
 って語って、センセに髪を切って貰っていた。
 髪を切って貰い終わると、いつも綺麗で可愛い美波ちゃんの表情は、何故だか強くてカッコいい顔になっていた。
 それから完全下校時刻を告げるチャイムが鳴り響き、センセに帰るように言われる。
 私は美波ちゃんと共に歩きながら語った。
「そういえば、ずっと言おうと思ってたんだけど、椎名ちゃんって結構お洒落だよね? そういうのどこで買ってるの?」
 美波ちゃんは思い出したように、私のバッグやヘアゴムを指す。
「流行り? かな?」
 特に理由なんてない。私の身なりは、趣味でも嗜好でもなく、ただの擬態。
 たまたま見つけた雑誌で「流行りの」って謳い文句で紹介されてたコーディネートを、そのまま当てはめただけ。
「アハハ、自分でもわかってないの?」
「うん、なんとなく……かな?」
「ま、そういうもんだよね。俺も結局そうだし。だから本物が欲しくなったんだ」
 ちょっと寂しそうな声で語る美波ちゃん。
(美波ちゃんは今何を考えているのだろうか?)
 珍しく、人が何を考えているのか気になった。
 それと同時に、分かれ道まで来る。
「じゃ、俺、こっちだから、またね」
「うん、バイバイ……」
 お互い手を振り、別れる。美波ちゃんの背中が遠くなっていき、見えなくなったのを確認して、また校門まで走って戻る。
 苦しい。叶ちゃんみたいに生きられたらいいのに。
 苦しい。美波ちゃんが言っていることがわからない。
 校門まで戻ってセンセを待つ。
 センセに尋ねる。センセは「本物」の事を「何もかもかなぐり捨てて熱中できるもの」って言っていたけれど、美波ちゃんはそうは考えていないと思う。
 何が正しいのだろう。
 何を目指して生きればいいのだろう。


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