信と疑
今回はこちらのツイートを膨らませた形の展開です。↓↓↓
ニュースの元ネタはこちら。↓↓↓
「このニュースが真実か。フェイクか。」
「賭博そのものが善か。悪か。」
とかは、
メディアでこれから嫌と言う程議論されるだろうし、そういうことはそもそも自分が考える事ではない。
「この件を自分の人生の教訓としてどう取り込んでいけるか?」
というのが、部外者の考えるべき事ですよね。
「自分がこういったことの当事者とならないために、どう立ち振る舞うのか?」
「自分が巻きこみ事故を食らわないために、どうすべきか?」
ここらへんをメインにお話します。
# 分からない方は、サイトマップも読んでみてくださいね。↓↓↓
イチオシnoteはこちら。↓↓↓
信の話
今回の件、信の心が契機となって起こってしまったと思うんです。
人を信じる心、素直な心、人の意見に耳を傾ける心、etc……
フィクションの世界で美徳とされる心の持ちようが、良くない結果をもたらした。
これを自分に落とし込むと、疑より信の心の比重が大きいので他人事ではない。
少し施しを受けると、すぐに人を信じてしまう所がある。
これまで大切に育てられてきたことの何よりの証ですね。
人に欺かれたり、理不尽に切り捨てられたり、見捨てられたりって経験に乏しいんだと思います。
それが良さでもあって、
成長スピードにブーストをかけやすいという、究極の長所に化けさせたりもできる。
ただね、ホントに長所と短所って表裏一体というか、使い方を間違えると、
諸刃の剣
に化けてしまう。
こちらのnoteコメント欄でも、そういったお話をさせて頂きました。↓↓↓
疑の話
一方で、疑とは何か?
フィクションの世界では、対照的に害悪とされる心の持ちよう。
ただノンフィクションの世界だと、どうだろう。
信を持って接した人が、皆同じように、信を持って人と接しているのだろうか。
光やエネルギーが集まるスポットになった時に、そこにグレーゾーンな人が集まるのは真理。
信だけでは、事が上手く運ばないのが、ノンフィクション。
最後に
信と疑のどちらかしか、心に住まわせられないとしたら、どちらを選びますか。
信と疑はどれくらいのバランスで持ちますか。
人と関わる時に、信と疑のどちらを先に出動させますか。
疑の心を出動させるときの基準は何ですか。
信の心で接してはいけないと感じる人はどんな方ですか。
コメント欄でお待ちしてます。
言うまでもなく、色々な方のご意見伺いたいのですが、
中でも、
皆さんの意見が特に伺いたいな。↓↓↓
(強制招集みたいで、ごめんなさい。笑)
ご迷惑でなかったら、コメント欄などで、皆さんのお考えに触れたいな。
以上、
信と疑
についてでした。
これからの人間関係への考え方の土台を作れると良いな。
人間関係について最近考えていること。↓↓↓