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「銀河鉄道の父」(映画と本)

私は、去年の5月の連休が過ぎた頃に、映画「銀河鉄道の父」を近所のシネコンに見に行った。
まだアニメ映画「すずめの戸締まり」もロングランしていたが、
迷った末に、決めた。

158回直木賞を受賞した、門井慶喜さんの原作は、単行本をすぐに買った。が、しばらく読まなかった。私は、短編小説や短編連作は、すぐに読み始めるが、実は、長編小説が苦手である。なので、映画制作❗のニュースを聞いて、
映画公開日までには、必ず読破しようと、決心した。

原作は、宮沢賢治のお父さんからの、目線で描かれた「宮沢賢治」と、その家族の物語だ。

映画では、宮沢賢治を菅田将暉さん、お父さん(政次郎)が役所広司さん、お母さん(イチ)を坂井真紀さん、妹・トシが森七菜さんだった。 菅田将暉さんは丸坊主にして、大正時代の、東北の青年の、素朴で純粋であり、真っ直ぐな賢治にピッタリだった。父役の役所さんは、最初は、少し若作りをして、賢治の誕生したときの、若い父親の親馬鹿ぶりが、すごかった。

賢治は、父が23才の時の、最初のこどもで、明治29年に生まれた。 賢治が、6才の頃、赤痢に感染した時は、なんと❗お父さんが自ら病院に泊まり込み、連日看病したのである。そのせいで、後日、お父さんも感染した。
2人とも、無事に治癒して退院した。 

今では、宮沢賢治を知らない人は、日本にはいないと思うが、
賢治は、作家として無名のまま、
亡くなった。賢治の作品が、高く評価されたのは、賢治の亡くなった後のことだ。本人の死後、わずか1年で、地元岩手(新聞社など)、中央文壇からも、賞賛が増えて、宮沢賢治全集が刊行された。
その全集の校訂者に、弟さんの清六さんも入っている。

賢治は、亡くなる前に、自分の書いた原稿を全て、弟の清六さんに
託した。
「おまえにやる」
「ちいさな出版社でも、出したいところ(出版)があったら、出してけで。」
「どこも、相手にしてくれなかったら、処分して下さい、お父さん。」と、お父さんに伝えた。

賢治は、自分の作品の行く末を、弟さんとお父さんに託したのだ。

賢治、清六さん、妹のトシさんも、全員学業が優秀だった。
賢治は、中学を卒業して、盛岡高等農林学校に進学した。
お父さんは、質屋を手広く営業していたので、農業を学ぶことは、
反対だった。だが、賢治には、
商才がまるでなかった。
後に、お父さんは、質屋を廃業する。 妹のトシさんは。地元の女学校を卒業後、東京の日本女子大学(家政学部)へ進学された。

トシさんは、当時は不治の病だった、結核で亡くなる。後に、
賢治も同じ病で、亡くなるのだ。

2人とも、最後は、自宅でご家族に看病されて、最期を迎えた。
賢治の有名な詩「永訣の朝」は、その妹さんの、死を描いた内容だ。


「永訣の朝」
けふのうちに とほくへいってしまう わたくしのいもうとよ
みぞれがふって おもては へんに
あかるいのだ

あめゆじゅ とてちてけんじゃ
(雨雪を とってきてください)
(1部抜粋)


映画の中で、病床の賢治を、
お父さんは、励まし続ける。
農学校の先生をした後、農学校を退職して、「羅須地人協会」を立ち上げて、農業を始め、地元の農民への、農薬指導などをしていたが、賢治は、結核に倒れる。

何をしてもうまくいかない。
文学の作品も、認められない。
賢治は、絶望する。その賢治に、
お父さんは、言う。
「わしが、宮沢賢治の一番の読者になる❗」と。すると、賢治は、
病床で弱々しく笑いながら、答える。「お父さんは、親バカだな。」

私は、この映画で1番泣けたシーンだった。普通は、他人が誰かの親御さんさんに、呆れて?いう言葉だと、思う。それを、言われた当の子供が、自分の親に、言うのだ。 賢治のお父さんは、
「父で、ありすぎる」(愛情が深すぎる)人だった。戦前の父とは、思えない、子供に愛情を直接に
伝える人だったらしい。

宮沢賢治は、昭和8年、37才で亡くなった。弟の清六さんの、
ご子孫が、今もご健在で、
宮沢賢治記念館の館長をされている。

映画のラストシーンで、賢治と、妹のトシさんと、お父さんの政次郎さんは、三人で銀河鉄道に乗って、夜空へ旅立っていく。


トシさん役の、森七菜さんも、
大正時代の可憐な女学生が、
とても自然で、良かったと思う。
賢治は、たくさんの物語を、トシさんに、語って聞かせた。
だから、賢治の作品の、最初の読者で、ファンだったのは、トシさんだ。そして、1番に賢治を応援したのが、お父さん。
大好きな兄を理解して、支えた弟の清六さん、そして、家族のみんなを愛して、世話をした、お母さん。 お母さん役の、坂井真紀さんも、控えめでありながら、
ただ夫に従うだけでない、優しく豊かな、昔の日本の女性を演じていて、ステキだった。

賢治役の菅田将暉さんは、童話
「セロ弾きのゴーシュ」と同じように、映画で、チェロを弾いて、音楽会をする。菅田さんは、実際にチェロを練習したとのこと。楽しそうな演奏シーンの笑顔が、とても良かった。賢治は、科学と文学、そして音楽を愛した人だった。

そして、お父さん役の役所広司さんは、豊かな表情で、賢治に振り回されながら、父親の愛情を表現していた。とても、現代的な、
お父さんだと、私は思った。

家族の愛を、描いた映画だった。

賢治の作品が温かく、今も、多くの人をなぐさめ、励ますのは、
賢治が、自分の家族を愛し、愛された人だったからだと、強く感じた。

いつか、岩手県の宮沢賢治記念館に行きたいと思う。



最後に、命の大切さが伝わる歌(詩)を。


生きていけない 無気力な私を
「無価値」だと思っても
立ち止まってみれば 
風をまた 感じられるから

左胸の鼓動が 止まるまで
ちゃんと この世界を 愛したい
両の腕で 誰かが 
抱きしめてくれるまで
今日も生きてる


さあ 次は 何処へ 行こうか

ここに記す   貴方へ
(Mrs. GREEN APPLE 🎵 Dear)

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