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【児童精神科コラム】 神経性やせ症の女の子

■これだけは譲れないもの、自分にとって大事なもの


人が人としているためにはこれだけは譲れない、守るべきものがあると思います。例えば、家族であったり、大事なものであったり。家族のためなら全部を捨ててもいいと思っていても、ぼろぼろになった時、最後まで残るのは「プライド」なんだと思います。

私は医学生のときに大病となり、主治医から、「医師となるのは難しいだろう。少なくとも外科系は自分だけでなく患者さんのためにもダメだ」と言われ、同級生には「医学部なのに医師になれないなんて、俺無理~」と陰口を言われました。その悔しさをバネに、私はここまで頑張ってきたと言っても過言ではありません。

みなさんにも、そういった思いはあると思います。
私の好きなプロ野球では、選手の辞め時が引き際は潔くか、気が済むまでやるかといった考えがあります。まだまだ現役でいられるのにスパッとやめていったプロ野球の巨人の江川卓投手の生き方もあれば、ソフトバンクの内川選手のように、しがみついていてもプロ野球選手を続ける選手もいるということです。私は個人的には、医師としてあるラインを下回ったら辞めたいと考えているので、出来る限りの無理はしてでも太く短くと考えています。

みなさんはいかがでしょうか?
ただ、やりたくてもやめなければならないという状況に追い詰められてしまうことはあります。
今回はそんな話です。

■弱弱しく見えていた中学生の少女


当時、私が上司と担当していた神経性やせ症の中学生のお子さんがいました。全身状態が危機的状況となり、入院加療となったお子さんです。入院が半年を超える頃、行動制限療法により、食事を摂り、体重が増え、順調な兆しが見えてきていましたが、途中から一進一退。体重が増えてきた自分を受け入れることができなかったのでしょう。日によって、危機的状況になった自分の体を、労わるようにすることもあるのですが、反対に自分の身体を痛めつけてしまう時もありました。

そのため食事は全量食べていると看護師の記録にあっても、捨てているもしくは吐いている時もあるのではないかと推測していました。しかし食べさせることが目的ではありません。生きるために食べるという意識が必要です。そういう意識があれば、身体も健康的になっていきますし、自分の人生を歩んでいこうという意識も芽生えます。

そういった意味で、食事をとってほしいという思いはありました。しかし不安定な彼女には、それが難しかったので、家族、医師、看護師や心理士とともに支えていかなければと、考えていたのですが、その思いは届きません。彼女が今現在しか見ていないからです。

■一瞬の気の緩みが招いた結果


ある日、私と上司は病院の構造上、使われる機会が少ない階段を使用していました。
「いやー今日の外来は忙しかったですねー」と、そんな会話をしていたのですが、そこに不審な動きをしている彼女がいました。彼女はそこで、明かりとりの小窓から食事を捨てていたのです。そんな現場を目撃すれば、声をかけるのが当然でしょう。

上司は、「君、ここは立ち入り禁止だよ」と声をかけました。彼女は行動制限療法のため、廊下までは出てよかったのですが、それ以上の移動は禁止されています。私たちはほんの軽い気持ちで声をかけたのですが、彼女にとっては重大な秘密を見られていまったという思いがあったのでしょう。

彼女はどこにそんな力があるのかと言うぐらいに強い力で、私たちを階段から突き飛ばしたのです。彼女は神経性やせ症の中学生女子です。それなのにいとも簡単に私たちは吹き飛ばされ、階段から落ちました。私は幸いにも上司が下敷きになったので難を逃れましたが、上司は利き手を突いて倒れ、手関節を骨折。指の腱まで傷め、後遺症が残りました。

小児科医の手技は血管確保と髄液検査ぐらいだから、小児科医を選んだんだと上司は常日頃言っていましたが、手技が難しくなれば小児科医としてやっていくのは難しいでしょう。医師として診療していれば、危機的状況に陥いることがある。それはアルコールや薬物中毒診療では理解していることではありますが、まさか、小児病棟の階段でそのようなことが起きるとは夢にも思いませんでした。

彼女は自分を守るために必死だったのでしょう。上司は小児科医人生から精神科医人生へと転換しました。患者からのペイハラ(ペイシャントハラスメント)は最近、話題になって来ましたが、過去にはそれすら認識されておらず、もっともっと大変な事案がありました。

「私の見通しが甘かったんだよ」
上司の言葉が、今でも私の胸に刺さるのです。

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