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【児童精神科コラム】もう大丈夫だ パニック症だった私


私は、厳格なしつけを受けて育った。両親は、ちょっとしたミスでも私を許さず、厳しく叱責した。そのため、私は失敗をすることを恐れ、間違っていないか、何度も確認をし、いつも不安を感じている子どもであったと思う。
 やがて高校生になり、学校生活を楽しんでいたのだが、高校2年の終わり、受験モードになった頃から、異変を感じるようになった。夜寝る前、登校前や登校中に、突然理由もなしに動悸、呼吸困難や手足の震えといった症状が出始めたのだ。誰にもそのことは告げず、隠していたが、高校3年生の夏休み前には、たった二駅の電車通学をすることも苦しくなってしまい、タクシーで通学する日もあった。お金が尽きてしまってからは、一駅乗って、下りて、体を休め、また乗るという方法で電車通学をした。
電車を下りてからのバスは、同じ高校の生徒が乗っていたので、症状が出ることはなかった。どうやら、知っている人がいない電車だと、発作が出現するようだった。
夏休みになって、小学校からの友達に来てもらい、連日家でゲームをしていたら、発作がなくなった。しかし、勉強をしていないことで、父に私と友達は厳しく叱責をされ、以降、友達は来なくなり、また発作が起きるようになった。
その後は寝て過ごす毎日で、父が部屋に来る気配がした時だけ勉強している振りをしていたが、勉強は手につかず、発作が出ていた。
9月1日、いつもより2時間早く家を出て,電車に乗ったのだが、気がついたら駅員室で横にされていた。どうやら意識を消失したようだ。その日は時間ギリギリに登校したものの、次の日もふらふらで登校していたら、声をかけられた。
「君、大丈夫か?。」
それは、私の高校の校医で,総合病院の小児科医だった。大丈夫と答え、なんとかその日も登校したが、昼休み,私は職員室に呼び出された。何だろうと不安いっぱいで行くと、その校医がいた。心配して来てくれたのだった。
病院に行き、いろいろ検査をしてもらった。家庭に知られたくないというと、内緒にしてくれた。異常はなかった。「不安や緊張による症状じゃないかな。安心していいよ。」とその医者は言った。
でも、翌日も登校中に調子が悪くなり、一駅で降りたら、なぜかその医者が側にいた。
「大丈夫だよ。」
その時、急に世界が明るくなった気がした。まさに救われたのだ。
その日から、その医者に話を聞いた総合病院の看護師たちが、「先生から聞いているよ。辛かったら言いなよ。」と通学中に声をかけてくれるようになった。自分は一人きりだという不安が発作を起こしていたのだ。だから、一人じゃないと言う安心感が、私を元気にしたのだ。その時の感謝の気持ちは今も忘れない。
私はその医者のように困っている人を助ける医者になりたいと思った。必死で勉強を始め、医学部に合格し、今は子どもの心に寄り添う児童精神科として診療をしている。

  

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