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 働くことを考え始めたのは中学生になったばかりの頃だった。欲しいものがあり、それを手に入れるにはお金が必要だったからだ。それに家を離れて自由にクラスにもお金が必要だ。だから私は、新聞の折り込みチラシを見たり、飲食店に貼られた求人募集の張り紙を見たりしていた。求人の言葉を見ながら、自分の将来に想いを馳せ、妄想を膨らませるだけでも楽しい。しかし、そんな風に考えることができたのは、まだ子どもだったからだ。
 医科大学を卒業し社会に出て研修医になった。研修医は、病院で丁稚奉公をするだけの存在だ。しかし一人前の社会人として、患者さんからは見られる。それがたまらなく辛い。
「僕、よくわからないんですよ」
 と言えれば、どれだけ楽だっただろうか。しかし私にはできなかった。だから、歯を食いしばり、分からないことは上司に教えを請い、毎日を過ごした。自分の無知をさらけ出すことが、こんなにも辛いということを、この時に初めて知った。
 それからもう何十年も過ぎた。私は相変わらず医者をしている。しかし仕事を続けていると思うのは、なぜこんなにも「お金」に縛られているのかということだ。正直、お金のことを考えなければ、他にもやりたい仕事があったのではないかと、何度思ったか分からない。しかし、こんなにもしんどい仕事をしているのに、上司や同僚は途中で投げ出したりしなかった。そんな姿を見ていると、人の強さというのは、腕っぷしの強さだけではないのだなということを教えてもらったように思う。
 どんなに辛い仕事でもやりぬく強さ。怒りを何かにぶつけるのではなく、じっと我慢して耐え抜く強さ。幸いなことに、私が丁稚奉公をしていた時に指導してくれた先輩は、仕事もできて、そういった強さも兼ね備えた人だった。だから私は、先輩を見習おうと思ったし、先輩と自分を比べて何が足りていないのかを客観的に見極め努力した。
 しかし。医師として、人に頼られ、人の役に立つ仕事だと思っているはずなのに、私の中で「お金」のことが頭から離れない。
「金だけが人生ではないが、金のない人生もまた人生とは言えない。十分な金がなければ、人生の可能性の半分は閉め出されてしまう」
 イギリスの小説家であり、医師でもあるマサセット・モームの言葉だ。私がこの言葉に出会ったのは、40歳を過ぎた時だった。きっと若い時に聞いていたら、ここまで刺さらなかっただろう。この言葉が理解できるということは、私が人生を必死で生きていることのあかしだと思った。
 私には妻と4人の子どもがいる。家族を支えているので、お金なしでは生きてはいけない。家族が飢え死んでしまうからだ。私は3人兄弟で長男ということもあり、厳しくしつけられた。当時は、どうして自分ばかりがと思ったこともあったが、今思えば長い人生を歩むには必要なことだったとさえ思えるようになっている。親になり、親の気持ちが少しずつ理解できるようになったからだろう。
 これが分かるようになるまで時間はかかったが、わかるようになったことは幸せなことだ。ずっと分からないまま人生を終えてしまったら、きっと私は両親への不満だけを心に抱いていただろう。
 どんなことでも考えて行動する。自立のためには、知識と経験が何よりも必要だ。仕事をしていて、私のことを頼ってくれる人もいる。あんなにはるか遠くに感じた尊敬する先輩から認められるようにもなった。こんなに嬉しいことはない。それに仲間がいることで、もう無理だと思ったことも乗り越えることができた。
 私はこれまで、何だかんだと言いつつ、過去のしがらみから抜け出すことができず、辛いことから目を逸らして逃げてばかりだった。しかし、上司や仲間が私の背中を押してくれた。もう、そこに目を向けなくてもいいんだよと。私は何と人に恵まれた人生を送っているのだろうか。そして最近、もう一人、私の人生を肯定してくれた人物がいる。それは息子だ。息子は「お父さんのようになりたい。お父さんと同じ仕事を目指したい」と言ってくれた。こんなに嬉しいことはない。
 人生にはお金がつきものだ。そして、働くことは「お金」に直結している部分もある。しかし、働くことはそれだけではない。
 人によって「働く」意味は違うだろう。だけど、なぜ自分が「働く」のかは理解しておきたい。私は先輩や同僚、そして息子によって、自分の「働く意味」を見つけることができた。私の「働く」は、私の「人生そのもの」だ。そしてそれを、今の私は肯定することができる。私という人は、本当に幸せだ。

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