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 小学3年生から塾で食べる用の夕食のお弁当を、中学生になると昼と夕食用に2つのお弁当を持って学校へ行っていました。胃腸が弱い私のために、鍋で軟らかく炊かれたご飯がメインのお弁当です。
 「特別なお弁当だからおいしかった!!」というわけではありませんが、飽きのこないように工夫されたお弁当は、満腹感も満足感がありました。
 そんなお弁当を作っている母の背中を、今でも思い出します。共働きだった母親が家にいる時間はとても短く、キッチンに立っている時ぐらいしか、話しかけることができません。それでも私は、「ねーねー。〇〇くんがねー」とか「ねーねー。ホタルって卵のころから光っているんだってさ」というような話を投げかけていました。私が成長するにつれ、返事の必要がない話をしていたように思います。そして私は思春期を迎え、母親から離れていきました。
 そんな私も、今では子どもがいる一家の父親です。ふと、なぜ母親は忙しい中でも私にお弁当を毎日作っていたのだろう? と考えることがあります。ですがそれはきっと、私を愛してくれていたから。
 この歳になるまで、母親とも色々ありましたし、社会に出てからも色々とありました。けれど、忙しい合間を縫って毎日作ってくれたお弁当は、嘘をつきません。
 人は結局、自分で見つけた答えでしか納得はしないものです。逆を言えば、自分で見つけた答えなら納得できるということ。それでも答えだと思って見つけたはずのものを、見失うことも人生には、つきものですが。
 母親と過ごした日々は嘘ではありません。母親の背中が、年齢とともに小さくなっていきましたが、あの頃の思い出が私の糧となっています。そしてあの時の思い出が、私に前を向かせて、人生を走り続けさせてくれるのです。

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