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「美」が世界を変える

きたるシンギュラリティやsociety5.0など、機械が人間を超える時代がもうすぐくると言われている。
おそらく「人間とは何か」「生きる意味は」などの哲学的な問題とも真剣に向き合わなければならなくなるのではないか?

そこで、私は一つの答えとして「美」をあげたいと思う。

人間を人間たらしめるもの「美」

「美」という感覚は、機械にはないのではないか。
AIによって、人間が「美」と思うものに限りなく近いものを作ることはできるだろう。
しかし、ルネサンスの画家が人間を発見したように、ピカソが遠近法を破壊したように、新たな「美」を創り出すことは人間にしかできないことだろう。

「美」≒「無意味なもの」

芸術や音楽など「美」と考えられているもの。
それは、社会にとって、生活にとって、無意味なもののように思える。
絵や音楽が得意であっても、プロでもない限り、それが仕事に活きることはないからである。

しかし、これからの時代はその「無意味なもの」に価値を見出し、それを楽しんだり、創り出したりすることが、人間らしく生きること、幸せにいることに必要だと思う。

スポーツの「美」への昇華

手段としての使われるスポーツ

人間らしく生きるために、その一つとしてスポーツも重要になってくると私は思う。
しかし現状は、身体は使われるものに留まっている。
絵でいうところの筆やキャンバス。

というのも、体力をつけるためのスポーツ、健康に100歳まで生きるためのスポーツなどという、手段としてのスポーツ観が強いからである。

一方で、芸術や音楽はそれ自体を楽しんでいる。
例えば、絵を描くこと、見ること、歌を歌うこと、聴くことが、これらに目的を持って行なっている人は少ないのではないか。
絵自体を楽しむ、歌自体を楽しむ、そう言った考えは受け入れられやすいように思う。

しかし、スポーツではそれ自体を目的として楽しむという考えはあまり定着していない。

まとめ

これからの社会、感性を磨き、文化に触れ、楽しむということが、豊かな人生を送るうえで大切となってくる。
私は、スポーツがその一つとなることを願っている。

そのためには、手段としてのスポーツからの脱却、スポーツそれ自体を楽しむことが不可欠である。

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