見出し画像

自己紹介。そして学びに至る。


はじめまして。


Cafe俺 美佳です。
「Cafe俺」は20代の頃、「いつか会社やるんだったら屋号はこれがいい」とバカ話していた名前です。
でも、まだ会社はやっていません。
40代女性、独身。
日本企業に勤める変則シフト勤務の会社員です。
勤続17年目。
女性の多い職場ではそろそろベテランと言われるお年頃。
ちょっと仕事の注意をすると泣き出す後輩社員に気を使ったかと思えば
お姉さん社員たちのご機嫌も気にしなければならない
絵に描いたような「中間管理職」的立場です。

社会人+大学生、になりたいの?か?

そんなわたしが思い立って大学生になることを決めたのは今年の1月でした。
わたしが学ぼうと決めた分野は美術。
とはいえ、何かを描いたり制作したりするクリエイティブな分野ではなく、
教養としての美術を学びたいと思いました。

22歳で大学を卒業し、その後社会人として働いてきました。
卒業し学位を取ったのは社会学。
若い頃、興味があって学んだ分野なので面白かったし、
今でもあの頃培った「ものの見かた」や「疑問の持ちかた」みたいなものは
とても日々や考え方に影響しているなと感じます。
しかしながら、世の中のたいがいの人がそうであるように、
専門領域であった学問をそのまま活かせるような職業についたわけでもなく
あの頃必死で勉強した何かは、わたしの脳味噌の引き出しの
割と手が届きにくく、開きにくい方に仕舞われたままになっています。
たぶん、わたしだけでなく、世の中の大部分の大人は
「学び」や「知識」を箪笥の肥やしのようにしているんだろうなあ、なんて
ぼんやり考えたりすることは前々からありました。

社会学をもう一度勉強したいなと考えていました。
でも、もうひとつ背中を押すようなきっかけがないまま、
日々の山のようにある仕事に追われ、学びへの欲求は渇望ではなく淡い憧れとして、時間は過ぎて行きました。
ところが、突如世の中はコロナ禍に見舞われることとなりました。

コロナで考える時間ができてしまった

わたしの仕事は、「人の動き」がそのまま業績に反映されるような業界です。
この期間はびっくりするほど仕事がなく、会社自体も減収減益。
社員は一律、給与減額、手当てカット、ボーナスカットなどなど
泣く泣く受け入れざるを得ない状況になりました。
「これはやばいことになった…」
「つぶれないところがうちの会社のいいところだったのに、大丈夫か?」
ぼんやりと、あるのかないのかわからないくらいだった
「未来予想図Ⅱ」(アイシテルのサイン抜き)を真剣に考えざるをえなくなりました。

大学生の頃から東京に住まい、実家を離れている期間の方が長くなったいま、
高齢になりつつある両親のことや、実家の「家」そのものも心配事のひとつです。
幸い、両親とも元気に好きなことを何でもやれているので、今はいいけれど
このあと、両親にもしものことがあったら、どうしたらいいのだろう、と。
わたしの仕事はリモートでできる職種ではないので基本首都圏住まいが必要で、
実家のある中部地方から通うのは結構大変そうだぞ…と。
そしてこの「家」はどうしたらいいのだろう。
父がこだわり抜いて建てた家は伝統的な日本家屋の手法を用い、
材料に至っては、材木がまだ山に植っている状態のところから切り出してもらい
伐採した後に乾燥させ、それらを職人さんに加工、施工していただいた
ガチでマジなこだわり抜いた平家の一軒家。
至る所に職人の技が凝らされている家ではあるのだけれど、
東京にいるわたしがどんなふうに管理したり大切にしていったらいいのだろう。
いつか、だれもこの家をケアできなくなったとき、わたしはどんな気持ちになるのだろう。
そもそもこの建具も、欄間も、差物もメンテナンスは誰に頼んでるんだろう?
…コロナをきっかけにして、意外なことにわたしは実家のことが気になり出しました。

失くすには惜しいものが世の中にはありすぎて。

全然大学のことなんて出てこないじゃないか!?とお思いですよね。
そろそろ出しますのでもう少しお付き合いを。
実家のことを考えるとき、わたしは
「古いものを新しい時代に残す」
ってどんなことなんだろうと考えるようになりました。
例えばそれは、江戸時代から続く蒔絵の硯箱でもいいし、
狩野派の絵師が残した襖絵でもいい。
宮大工さんの技能や知識の伝承もそうかもしれない。
日本が長い時間かけて、生活の中に取り入れてきた、いわゆる「日本らしさ」の
根幹を成す部分を担っている職人さんが本当にいなくなっているなあと。
言うてわたしも都内のマンション暮らし、茶人が住むような趣たっぷりの
日本家屋に住んでいるわけでもなんでもないのだけれど、
実家のことを思うたびに、「失われることの寂しさ」を感ぜずにいられなかったのです。
そんなとき、わたしは「何も知らない」ことに気づいたのです。
美しいと思うもの、きれいだなあと思うもの、かっこいいな、面白いな、
これこの先もずっと残って欲しいなと思うもの。
それらの背景や周囲を取り巻く環境を何も知らないんだと。
「知ったところで何が変わる?」
何も変わらないかもしれないけれど、新しい視点や視座が加われば
わたしと実家の「家」との在り方も、それを大切にしている両親との関係も
何か変わるのかもしれない。
「知ること」がわたしの生活や、人生を変えることがあるかもしれない。
大きく変わらなかったとしても、美を愛でる視点を得ることで損することなんて何もないんだもんなあ。
よし、やってみるか。
…と、こんな流れでわたしは社会学ではなく芸術を学ぶことにしたのでした。

とは言うものの…

元来、めんどくさがりというか、まあまあ飽きっぽいと言うか、
怠惰な方の人間をやらせていただいているので、放って置いたら挫折してしまいそうなのです。
瞬間最大風速はめっちゃ強いけど、その後、無風みたいなことになりがち。
そんな自分を律するためにも人様の目に見える形で記録を残したいと思い、
このnoteの世界に飛び込んでみました。
完全自己都合の発表(というか晒し)の場。
どうかゆるく生暖かく、そして「大人になってももがいてんな(くすっ)」
くらいのお気持ちでお付き合いいただけると本当に嬉しい限りです。
学問としての「学び」の記録。
そして日々の生活としての「学び」の記憶として進めていきます。
よろしくお付き合いいただければ幸いです。

…と、これを書いている間に学生証が届きました笑

何十年ぶりに出会ってしまったよね、学生証さんよ。



この記事が参加している募集

自己紹介

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?