父のこと
今年は辰年。
辰年の人は、マイペースで我が道をゆく、活動的でひととの出会いもたくさん経験できる干支らしい。
十二支のなかで架空の動物というのも個人的に気に入っている。
私も父も辰年で、お互いを一番の理解者だと思っている。
父の車で流れるビートルズもレッドツェッペリンもクリームもジミヘンドリックスも、どれもが衝撃的な初対面だった。
私が中学のころ、駅前にある小さな楽器屋さんでエレキベースを一緒に買いに行ってくれた日のことを覚えてる。鍵盤楽器とはちがう、弦楽器の魅力と、何より父の車で聞いていたロックな人たちと同じ楽器を弾いているのだと思うだけで気分はロックスターだった。寝食を忘れて毎日なにかしらの曲をコピーしていた。
社会人になり、はじめて車を購入するとき、就職するとき、何かを選択しなくてはならない場面で、父はいつも先回りをして決めてしまう。
それがとてもイヤだった。
失敗させまいという親心だったと今なら感謝もできるが、との当時は言いなりになっている自分自身にも嫌気がさしていた。
父が経営している会社に入社をやや強制的に決めたのは祖母だった。父の母親である。
創業の祖父も在籍していたので、家族と働くということに抵抗はあったものの、特にやりたいこともない私は軽い気持ちで入社を決めた。
父とはいい関係だったのでうまくやれると思っていた。仕事も教えてもらった。昼食もよく一緒にしていた。仕事のこと、取引先のこと、祖父のこと、社員のこと・・・家族でもあり社長でもある父との会話の幅が大きく広がった。
入社して数年が経ち、だいぶ仕事にも慣れ、社員のみんなとも仲良くなっている中で、大きな悩みができてしまった。社長である父のことだ。責任が大きい立場と問題で誰にも相談できなかったと今なら察することができるが、会社を向いていない気がして許せなかったのだ。
祖父にも、先輩社員にも相談した。でもどうにも解決策がない。
なぜなら父の行動に不信を持ってしまったから。向き合えないのだ。
ある日、我慢が限界に達し、そのことを直接父にぶつけたみた。
なんの戦略も、父の気持ちも考えず。
ただただ、自分の正義を乱暴な言葉で、感情的にぶつける。
会社も家族も壊すつもりはない。でも、この私の行動が会社も家族もバラバラになるきっかけをつくってしまったのだ。父は会社の代表ではいられなくなった。
一度壊れてしまったものは、元通りにはならないが、新しく創りあげることもできた。
それが今現在の形として会社が存続している。
新しい出会いも、時間も流れ続けている。
祖父は数年前に亡くなり、社員もそのころとはだいぶ入れ替わった。
これでよかったんだ。この選択で間違っていないんだ。
過去の選択を正解にするために、今も何かと戦いながら平和を願っている。
そんな父が昨年、すい臓がんがみつかり、先日、体調が悪化しまともに話せなくなってしまった。
年齢的にがんの進行はゆっくりだと思い込んでいたのでショックだった。
悲しかった。
愛する人との別れは必ずあることだが、そんな覚悟をした秋晴れの日。
私はめったにひかない風邪をひいてしまった。
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