#1毒親と社会
毒親に育てられた子供は救えても、毒親自身は救えない。毒親も、毒親に育てられたから毒親なんだ。なのに、毒親は非難されその子供は助かる。それで良いのか?
どうして毒親は生まれたのだろうか。
毒親の解決本は、あまり当てになら無い。というのも、精神的に楽にはなっても、根本的な解決にならないからだ。救われるわけではないからだ。
私は毒親に育てられ、これまで沢山の毒親本を読んできたが、解決しなかった。
むしろ焦燥感の方が強く、「解決しなきゃ」という気持ちに駆られて焦らされているだけのようになってしまった。
毒親に対するテーマでテレビドラマや小説が生まれないのはこのためだ。毒親からの解放は今だかつて誰も成し遂げていないのだ。解決方法が分からないのだ。だから、誰もテーマに挙げたがらない。
この世界は、表と裏で出来ている。陰と陽。表舞台で活躍する人と、それを支える日の目を見ない人。精神が安定して優越感を感じながら働く人と、暗い感情や妬みや恨みを抱えながら働く人。二つにひとつである。
そして毒親は後者の方。社会的に上手く行っていないか、何処かに恨みを抱えている。もしくは、それが当たり前だと教育され育ってきた。それが毒親の正体であり、時代背景にこそ毒親の産みの親は隠れていると思う。
それは産業発展と共に生まれたごみの山であり、コンビニ弁当が配達されるまでの工場やトラック運転手の労働力である。産業社会の発展によって生まれた「負」「苦」こそがそのまま毒親とリンクしている。
この世界が華やかに彩られ、経済が発展し、豊かになるにつれ、毒親もまた生まれていった。いや、毒親だけではない、独身の人もそうであり、社会負適合者の烙印を押された人もまたそうである。
『年収90万円で東京ハッピーライフ』という本を最近読む機会があり、大変参考になった。筆者が言うには、この世界の働き方に合わない人間もいるということなのだ。この今の社会にはストレスが多すぎる。週休5日でちょうど良いじゃないかと。
考えてみればそうだ。ご年配の方を見れば分かる通り、なんと穏やかな人が多いことか。古き良き日本の和やかさ、和をもって尊しと成すの文化は何処かへ消えてしまった。
やれ「コスト」や「残業」や「体当たり営業」や「偏差値」やら。そんなものが一般化し、世間体を作り、働くのが向いていない人にまで労働を強制しているように見える。働きすぎが、その人を壊すようになる。
そんな背景があったからか、恐らく毒親は生まれた。「お前友達おらんやろ」と小学生だった私に話しかけた父親は、間違いなく仕事でストレスがたまっていた。「お前には贅沢だ」と私の口座からお金を抜き取った父親は、間違いなくあの時経済的に困窮していた。
そう、毒親の正体は、この社会のゴミである。たまりにたまったゴミの固まりこそが『毒親』として子供を腐敗させている。年金問題と同じように、ツケが子供に回っているのだ。
これが毒親の正体です。
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