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やっぱりお金がないと出来ない仕組み

こんにちは。子育て30年目突入の海風のれんです。

さて、4番目のお子は、4月から進学校に進学しました。

母子家庭にはとても家計に痛い私学です。

私学進学は1番目の子も公立高校1本で、受験をして、落ちて、進学した学校が4番目の子も、1番目の子と同じ高校に進学しました。

14年前の事でした……

1番目の子は、中学3年間、県下の強豪サッカーチームで頑張っていました。
チームはサッカーもフットサルも県リーグの上の地域リーグまで受験1ヶ月前まで試合に勝ち続けていたので、高校でも志望校のサッカー部に入るのをとても楽しみにしていた所の受験落ちしてしまいました。

1番目の子が悲しみに暮れる中、1本の電話があり、のちに進学する学校を勧めてくれました。

そこで言われた一言

「勉強とるかサッカーをとるか時間がないので、5分で決めて下さい」

といわれて、5分間の家族会議が始まりました。

あの時の5分間今でも忘れてません。

1番目の子が、泣きながら

「家族に迷惑かけるから勉強をとる」

と言った事です。

小学生の時のサッカーチームは同じ学年のお友達が2人しかいない、まともに試合が出来ないサッカーチームでした。

でもコーチ達がとても優しく、自由な環境があっていてのびのび楽しくサッカーをしていました。

チームは無名で試合をしても学年の下の子達を寄せ集めて参加するのが精一杯でした。
なので、地域の某○リーグのセレクションは全く縁は、ありませんでしたが、
海外のチームは、子供がどこのチームにいようが、分からないから、海外のサッカーチームのセレクションは受けていました。
お陰様で、
 
*(アルゼンチン)ボカ・ジュニアーズ(有名選手デイエゴ・マラドーナ)の特待生Bランク
2年連続、2回合格。

*(イギリス)アーセナル (歴史有名選手アンリ)の国内合宿で、最優秀選手賞頂きました。
当時のアーセナルの監督さんのアーセン・ベンゲルさんのサインももらいました。

*(イタリア)A・Cミラン 全国で行われた国内セレクションで、日本代表に選ばれイタリアで行われるACミランジュニアの世界大会に出場(しかし、残念ながら、現地に着いた当日、ヨハネパウロ2世がお亡くなりになった為、イタリアの公共施設が全てストップしてしまい、全てのスケジュール中止になりました。
一番の楽しみが、サン・シーロスタジアムでのA・Cミラン選手と手を繋いで登場するエスコートキッズが試合が中止になり出来なかった事が一番の悔しかったそうです。
この年は、私でも知ってる選手がいっぱいいました。

ジーダ カフー マルディーニ ネスタ ガットゥーゾ ルイコスタ 
セードルフ クレスポ

どの選手と手をつないでも、一生の宝物だったのに、残念でしたが、
でも、A・Cミランの選手が集まる所に連れていってもらい、私服姿の選手と写真を沢山取らせていただいて、帰国したら、A・Cミランの熱烈な大ファンのコーチに、何もイタリアで買って来れなかったので、お土産代わりに写真をあげました。

某J1でのイベントではジュニアリフティング大会で優勝して、ハーフタイムでグランドで表彰されたり、個人では、頑張っていました。

そこから中学生活で、やっとチームとしてサッカーを出来た矢先の高校進学でした。
「サッカーが出来ない」選択をしてスタートした高校生活で、なんとか外部でサッカーは出来る事になり、高校3年間を頑張ってくれました。

当時は家庭に対する私学の補助金は、今ほどない時代でしたが、

2年生からは、学校の特待生となり、授業料が卒業まで免除になりました。
あと、中学校の先生が市町村の就学生に推薦して頂いたお陰で、就学支援金を頂きまして、この2つの支援のお陰で、

1番目の子の大学受験と合格した後の入学金、授業料の資金を集める事が出来ました。

そして、入学してから、やっと奨学金の手続きが出来ました。

1番目の子はこの後、就学金で大学に行き、45歳くらいまで返済が続く思いをしてもらっています。

この頃は、夫はいたのですが、毎晩朝まで飲み、遊びに夢中で、夫が家のお金を握りしめていたので、家庭はともかく、頑張って入ってくれた大学のお金を月々でも1円も渡してくれなく、なのにその大学の名前だけはよそで自慢していて、挙句の果て、4人の子供達がまだ在学中に、不貞で出ていったという………

こういう親を持った子供達でも学校は関係ない。
待った無しです。

就学金制度があっても、高校進学も、大学進学もですが、入学金と、半年分の授業料を払ったあとに、やっと就学金などの手続きが出来る仕組みは、泣かされます。

この話を今まで私が転々と職場をかえていった場所で話すると、

「こういう時、親を使わなきゃ」

と言われますが、私は一人っ子の、両親は、小学5年で離婚してそれぞれ出て行ってしまったので、「そうですね」で話は終わり、
結局は、誰にもお金を集める大変さは、本人しかわからないオチになります。

でも、子供が頑張っているのに、

「お金がないから出来ない」

という理由で1番目の子は、サッカーで選ばれてもお金がないから海外に行かせてあげられなく、そして、勉強だって両立して頑張っているのに、

「お金がないから進学出来ない」

は、全て稼ぎの無い私のせいであって、これ以上子供の夢を潰す事は出来ないと思いで、まだ当時は私も無理をして働いても若かったので頑張って働きました。

14年前に1番目と2番目の子がダブル受験でダブルで落ちて14年が経ち、
あの頃若くて、子供達には

「お金がないから進学出来ない」
「お金がないから出来ない」

と一生懸命働けた身体が、今では、数年前に、前がん病変(現在も経過観察中です)と、頚椎症(加齢が原因と、長年にわたり重たいものを持ち続けて首の骨が潰れてしまった原因)を持った身体になってしまいました。

それからは、身体に負担かけない仕事を転々とし、前職のアイスクリーム屋さんは辞めたくなかったのですが、4番目の子が私学に行く事で、時給がもうちょっとあるアルバイトにまたまた転職しました。

取り敢えず頑張ろうと思います。

最後まで読んで頂きありがとうございました。




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