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私がパーソナルトレーナーを目指した理由!【VOL.1】

こんにちは! 早川 拓也です!
皆さんは何かにチャレンジしていますか?
2022年度は私にとってチャレンジの年と言っても過言でないくらいに変化の多い年になります。(記事を書いているのは2022年10月)

なぜそんなことが言い切れるか?
それは"自分で感じ 考え 行動した"ことで人生が変わろうとしているから。
この経験と気持ちを私の中だけに留めておくことは勿体ない!
そう思い今回の記事投稿に至りました!

兎にも角にも、先ずは早川 拓也がどんな人生を歩んできたのか?を
知って頂きたいです!
【vol.1】はそんな内容になっております。

皆さまにも『とどけ!この思い!』


もくじ

① 学生から社会人へ
② 価値観の変化
③ 引退の年


① 学生から社会人へ

【概要】
・高校は当時、就職率No1を誇る工業高校へ入学。
・在学中はラグビーに没頭し高3の秋に成績不振により危機感を覚える。
・新卒(高卒)で大手自動車メーカーに奇跡的に入社。
・現場作業員として定年まで勤め上げようと決意。
 それと同時に社会人ラグビーでレギュラーになる事を目指す。
※会社を定年までしっかりと勤め上げるのが当たり前だと思っていた。

パーソナルトレーナーを目指すなんて微塵も思ってませんでした(笑)

♦ 会社員とラグビー2足のわらじ生活

 

入社からは 仕事➜ラグビー➜仕事➜ラグビー の無限ループで18歳~30歳まで所属し活動させていただきました。

【 勤務態度 】
♦週一で遅刻。
♦1ヶ月に一回は風邪をひく。
♦仕事中に居眠り(自転車に乗りながら寝ていたことも…)

【 ラグビー経歴 】
♦都道県大会選抜選手に選出。
♦チーム公式戦未出場。
♦引退の年は応援団の団長を務める。👈ここが一番活躍していた  (´゚д゚`)

会社の上司には『2足のわらじは履けないよ、辞めてしまえ』と
言われておりました  (´゚д゚`)
でも辞めなかった、その選択すら浮かんでこなかった。
この頃から自分が『やる』って決めたらやり切る人だったようです。

そんな私も勤続10年を迎えた頃から ”ラグビー引退” を
意識するようになりました。
私自身、チーム内では鳴かず飛ばずで日々物思いにふけていました。

♦ ”いま自分にできることは何か?”

 

物思いの内容は、
【今のチームやチームメイトに対して自分は何ができるだろうか?】
・ラグビーを教える?
・戦術を教える?
・経験を伝える?
・筋トレを教える?
全て違いました、実力社会の中で上記の事は皆の方が上手いし知っている。

・・・私は役立たずなのか? ただ居座っているだけなのか?
当時は全く気づけませんでしたが、この思考がとても大切でした。
それはパーソナルトレーナーを目指した時に実感しました。

ちょっと辛かったけど、
自立して行動するために必要な”思考する”ことを学んでいたんです!

② 価値観の変化

そうこうしている内にラグビーの公式戦が始まりました。
試合会場のスタンドを両チームのサポーターが埋めていきます。
所属リーグは応援文化が乏しく試合中にしーんとすることもしばしば(^_^;)
せっかく貴重な時間を使って応援に来てくれているのにね。。。

 

そのうちにOBから『早川!応援団やれや!』との一声。
(きた~、体育会系特有のやつ~)苦手な人の気持ちがわかり過ぎる。
でも断って怒られるのは嫌だから精一杯声を出して応援しました。
はい、ヘタレですけど何か?(苦笑)

辛い…でもやらされ感を悟られてはいけません怒られるから。
案の定、観客は急に始まった応援に付いて来れず独り相撲状態。
(消えてなくなりたい…ここでも力不足なのか…)
OBはご満悦でしたそれだけが救い・・・・(^_^;)

試合も終わり消えてなくなりたい気持ちを抑えて笑顔でブース対応を
していた時、サポーターから『今日の応援良かったよ!』
『次は一緒に声出せるやつよろしく頼むよ』と思いもよらぬ
嬉しい言葉を頂けたんです!

試合に出れない=価値無しだった私の価値観や考え方がぶっ壊れました。

純粋にうれしかった。

その日を境に私はどうやったら観客と一緒に応援できるか?を考えました。
そして、観客席前方でリード+わかりやすいリズムとフレーズで応援する
スタイルを思いつきメンバー外になる度に試すこととしました。

⇩実行し、失敗し、改善し、実行する⇩

まさに ”トライ&エラー” です!

トライは偶発的に起きたけれどエラーを修正しトライする。
いま思うと本業のラグビーでそれをすれば未来を変えれたかも知れません。

こうして当時の経験を冷静に分析できるのも
パーソナルトレーナーを目指しスクールで学んだからこそです。
講師に恵まれたのも大きいです。(選んだのは私、見る目があった)

③ 引退の年(早川拓也は30歳になった)

私は入社当初から決めていたことが1つあります。
それはラグビーを30歳まで続ける!です。

オフ明けのある日、最後の年だし!
今年こそ!絶対に!試合に出たる!そう意気込んで練習に励みました。
そしてアキレス腱を断裂・・・ (´゚д゚`)オワタ
ここで落ち込むと思いきや、スッとしたんですよ!
(あっ、これで辞めれる、引退の理由が出来た。)そう思いました。
いま思うと辛かったのかな?無理してたのかな?

 

怪我をしてからは仕事も休業しラグビーもリハビリのみ。
自然と考えちゃいますよね、、、

”いま自分にできることは何か?”

今度は時間が有り余っているのでこの葛藤から逃げれませんでした。
その中で節目節目であの言葉が頭をよぎるんです。

『今日の応援良かったよ!』
そうサポーターの声、私から見るとお客様にもあたる存在。
あぁ~チームのためになる自分が出来る最良はここだと。
確信しました。

今までは競争して負けて応援に回る。
少しネガティブなパターンでしたが、今回は純粋に応援して盛り上げよう、それがチームのためにもなり私の存在価値を高めれると気づけたのです。

そこからは1シーズン通して応援団長として精一杯応援させて頂きました。
勿論、サポーターも巻き込み一緒に声を出して (^_-)-☆
シーズンが深まる毎にサポーターも増えいった感動を今でも覚えてます。

 

最後にはありがたい事に”サポート”としてチームに残ってくれないか?と
チーム側から言っていただけました、誰にでも言って頂ける言葉ではない。
それは重々承知しながらもお断りさせて頂きました (^-^)
次は本業でこの経験を活かしてoneチームを作ると決めていたから。

そしてその年に本業で1グループ監督させて頂くことが出来ました。
引き寄せの法則的な (^_^;)?

これが私の成功体験です。
自分にできる最良を考え行動すれば周囲も喜ばせることが出来る。
まさにパーソナルトレーナーに必要なスキルの一つを習得していました。

簡単ですが私の10年間はこれで以上になります。
『ふ~ん、で?』って思われる方も居るかとは思いますが、
皆さんは"背景のわからない人から教わったり" "商品を買ったり"しないですよね?
私はnoteInstagramを通じて沢山の人と繋がりたいです!
だからこそ今!自己開示が必要だと考え行動しました!

次回は《何故パーソナルトレーナーになろうと思ったのか?》を
【パーソナルトレーナーと私 vol.2】として記事にしていきます。
必ず同じ境遇の方や思いを持っている方がいると信じております。

最後まで読んで頂きありがとうございました!


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