見出し画像

4年間前に小池ゆりこを選んだのは多数の都民なのに、自省の声を見た事がない。投票行動に責任を。

この記事を書いてる間に、次の4年間の東京の首長が決まり、選挙戦が終わるだろう。

今回の私の決断はこうで、もし当選するなら、4年間、私が選んだのだ、と見張り続けるし、その結果も私の責任だ、と感じ続ける。

現職の小池ゆりこを選んだのは、4年前の東京都民の多数なのに、現小池ゆりこを批判する声は多数見ても「私が選んだからこうなってしまった、私の投票行動の責任だ、申し訳ない」という声を一度も見た事がない。
なんで?

私は、子供の親権争いの問題を長らく抱えていて、元の住所から住民票を移す事ができなかった。だから投票券を受け取る事ができず、投票するという、選挙権が長らくなかった。
だから、この8年位、投票権を行使することができなかった。

子供の監護権の調停を終え、やっと現住所に住民票が移せて、初めての東京都知事選だ。

首長を直接選挙で選ぶという事がどういう事なのかから、この記事をはじめたい。

まず、日本のトップの総理大臣を直接選挙で選ぶ事は出来ない。国会議員を選挙で選び、その国会議員の投票でトップを決める。
議員内閣制だ。
これは憲法で決まっている。

なぜか?
色々理由はあると思うけど、私が思ってる理由はこれだ。
日本は第二次世界大戦を敗戦し、アメリカの統治下に入った。その中で憲法が制定され、議員内閣制が採用された。
アメリカの統治下で、日本の天皇制度をどうするか?問題になった。
天皇制度をなくしてしまおう、という、考えも当然あった。しかし、アメリカは日本人の「天皇への思い」「国への思い」「人としての尊厳を守る思い」を、戦闘そのものを相手にし、知った。
全ての戦闘を想像以上に苦戦して、なんとか日本人にポツダム宣言を受諾させ、戦争に勝利した。

パラオにしたって、硫黄島にしたって、アメリカの読みでは、直ぐに勝て占有できると思っていたのに、相当の傷を負い、期間を要し、徹底抗戦されている。
土地全部を焼き付くし、もう全員死んだと上陸したら、計画的に張り巡らさた地下道から次々と日本兵が出てきて、最後の一人まで闘い続ける。
もう劣勢だからと、勝てる見込みがないと、投降してくるわけじゃない。
どうしてそこまでするのか、日本人以外には理解できない。日本人の価値観を理解できる人にしかわからない。戦中を知ってる台湾の人や、パラオの人がいう、誇り高き日本人としての教養、価値観、精神。
自分の大事にするものを守る為なら、自らの生命を賭すことさえ厭わない。
自分より、祖国の家族。自分の生命よりも、自分の大事にしている尊厳を守るために闘ってくれた人達がいた。

それを目の当たりにしていた、アメリカは、
もう日本人を怒らせたくない。
日本人は怒ったら怖い。
日本人を相手に戦争したくない。
これはアメリカ人の評価だけではない。
過去日本と戦闘した多くの国の軍人が明言している事だ。
日本人だけは相手にしたくない。と。

アメリカの統治下には入ったけど、天皇制を廃止したら、日本人はまたきっと激怒する。国としてではなく、今度は日本人個人全員とゲリラ戦を展開しなければならない事態になるかもしれない。
日本人は、空襲を受けたって、原爆落とされたって、自分たちの尊厳を守る為に闘う。民間人を殺す空襲をしたって、立ち向かってくる。女だろうが子どもだろが老人だろうが、本当に怒ったら、最後の一人さえ、生命を掛けた抵抗をするだろう。
空襲も原爆も、民間人を虐殺する、国際法違反の行為だ。それをしてさえも、日本人は抵抗してくる。きっと不思議で、不気味でならなかったろう。日本人という存在が。

国に負けを認めさせ、統治下にしたものの、ゲリラ戦を恐れたアメリカは、天皇を政治から切り離し、「象徴」とすることで、残す選択をした。
そして、戦争は怖いことだ、いけないことだ、生命より大切なものなんてない、って教育を施すことで、日本精神を少しづつでも変えようとしてる。今もされている。
台湾で、パラオで、硫黄島で、アジア各地で、徹底抗戦して人間の尊厳の為に、生命を賭して闘った人のことを隠して、そして実際めちゃくちゃ手強かった、という事実もなんとか隠して、戦争は怖いって事だけ教え続けて、尊厳の為に生命を捨てるなんておかしなことだと教えて続けて、精神構造を変えようとしてきてる。

でも、誇り高き日本人は、今も何故か残ってる。なんかそういう行動はダサいって感覚だったり、自分個人より、社会の為を優先することとか、モラルやマナーを当たり前に守ること。
少しは変わったかもしれないけど、一貫性のない人を見ると、なんとなく支持するのをやめていったり。大声でそれは違うって言わなくても、空気で察する能力が異常に高かったり。
扇動されても、それに無闇に乗っからず、自分の信じるものを優先する。
災害が起こっても、略奪も、疫病も流行らない。金融機関だって普通に成り立つ。
感謝することや、恩を感じたり、返したりするのがかっこいいと根強く支持されたり。
戦後、アメリカは必死で教育をして、変えようとしたけど、全ての人が思った通りの思考になる訳じゃなかった。

「天皇陛下万歳!」って死んで行った人がおかしいって、子どもの頃からずっと教育されてきて、私もおかしい事なんだってずっと思ってきたけど、今はわかる気がする。
言葉として、スローガンとして、「天皇陛下万歳!」って表面だったかもしれないけど、そういう風に亡くなった人が守ろうとしたものは「天皇」って個人じゃなくて、日本人が日本人としてあるための、人間の尊厳を守る為だったんだって。確かに表面だけみたら変だけど、その裏側というか中身は違ってた。尊厳に生命を賭してくれたんだって。決して気が狂ってやったことじゃなかった。自分の生命をかけても守りたいものがあったんだって。

なんでわかるか?
私もまた、自分の生命を終わらせてでも守ろうとしたものがあったから。今自分が死んで、それで自分の産んだ子を守れる。自分が一番大事な自分が産んだ子の為に、今自分の生命をここで終わらせようとした事が実際にあったから。
そして、実際かなりギリギリの線まで行って生還した。その話は別の記事でしてます。

日本の天皇制のスタートは紀元前に遡る。初代神武天皇はBC660年だ。そこから現在まで、日本の天皇制は続いている。
西暦のスタート、キリストの誕生は2024年前。それよりも660年も歴史が古い。
世界の地位をランキングすれば、1番とされる皇帝に位置するEmperorは、日本の天皇である。これは世界が支持する歴史的正統性が証明している。
Emperorの次が、Pope、つまりローマ法王。
EmperorとPopeを同じ位に考える考え方もあるので、まあ、同じとしても、とにかく世界で一番歴史的正統性があり、偉いとされる人は、日本の天皇か、ローマ法王の2人である。

そしてKing(エリザベス女王)→president(各国大統領)→primeminister(各国首相)となる。

アメリカは歴史的正統性の浅い国だ。歴史的正統性を持つEmperorは存在しない。
いくら戦争で勝ったって、エンペラーの持つ歴史的正統性を手にすることは出来ない。お金で買うこともできない。

このエンペラーの地位を、政治から離し、象徴としてでも、この国に残すとしたら、政治でpresidentと同じ位を日本に与えることは出来ない。今後ずっと日本に政治の面で上位に立ちたいという地位を確立する為に、日本の政治のトップをpresidentではなく、primeministerにする事にした。
presidentとは直接選挙で選ばれた人だ。
民主主義という価値観の元、直接選挙で選ばれるから、どんな時勢になっても任期を満了できる。
一方日本の政治のトップであるprimeministerは、国民から選挙で委託を受けた、国会議員の投票で選ばれる間接選挙である。
だから、presidentより下の地位になるし、国会議員からの委託を受け続けなければその地位に留まることは出来ない。時勢により支持を失えば「内閣不信任案の決議」により地位を剥奪されるか、自分から「内閣総辞職」するか、もしくはその国会議員を選び直す為に「衆議院の解散」をする。
衆議院の任期が4年なので、その間接選挙で選ばれる総理大臣もまた最長の任期は4年といえる。
現行の日本国憲法の元、この任期を満了出来たのは三木武夫たった1人である。
その他の全員は任期を満了せずに、変わるか、また選ばれるか、している。

つまりアメリカは、presidentより偉いEmperorを残す変わりに、政治的立場で日本の上に立ち続けるために、日本のトップを間接選挙で選ぶprimeministerにしたのだ。

日本の現行憲法は1946年で、それからたったの1文字も変わっていない。同じ敗戦国のドイツは63回も時勢に合わせマイナーチェンジをしているのに。だ。
憲法改正の手続きが容易ではないもの、になっているのも要因だが、既にあるもの(決められたもの)を尊重する、という、日本人独自の価値観だと思う。
憲法改正の論議は長いこと言われていても、結局の所未だ変わらないし、明日明後日にすぐ変わるという事もないだろう。
実際に日本国憲法を読んだ事のある人はどのくらい居ますか?
日本憲法は「朕(ちん)は」から始まる前文から成り立つ。「朕」とは、つまり、天皇が自分自身を指す言葉である。「朕は」というのは「わたくし、日本の天皇は」という意味だ。
憲法前文の内容は「わたくし、天皇は、今後、政治(主権)を離れ、主権在民(主権は国民一人一人)にします。」という内容だ。
日本の主権を、天皇から、国民一人一人にするね。
という前文から始まっている。

私は法律家ではないので、憲法は読んだことあるけど、暗記してる訳でもないし、その意味について、深く理解できているわけでもない。
ただ、主権在民なのだから、政治の責任は、投票権のある、成人した、国民一人一人に委ねられているのだ、という事はわかる。

主権在民の他に、頭に入れて置いて欲しいのは、日本という国は法律による明文法で管理しますよ。という事だ。なんとなくの空気とか、私罪とかの根拠による、他人への権利侵害は許しませんよ。主権在民による選挙で選ばれた人が作る法律を根拠にしか、他人の権利侵害は許しません。
どんなに所得が大きかろうが、小さかろうが、一人一人の価値は同じだし、同じ法律で行動の制限をします。といっている。

この主権在民について、政治の責任を、政治家を選んだ自分の責任をちゃんと認識できているだろうか?
選挙でその人に投票する、というのは、自分の持っているこの国の主権をあなたに委ねますね。という行動だと認識できているだろうか?

政治家の不祥事を報道して、ダメなことをしたら、次の選挙で選ばないようにする。これも抑止力だけど、そもそもその政治家を当選させた、投票行動を取った人一人一人に責任がある事を認識できているだろうか?
あなたが選ばなければ(多数が選ばなければ)その人はそもそも政治家になれない。
どんな小さな村の村議会議員も、その地区の被選挙権を行使して、選挙に立候補し、その土地の主権を持つ住民一人一人に選ばれて、選択されたから、議員という立場にあるのだ。

選ばれた、主権の委託を受けた政治家が、その行動に責任を持つのと同等に、選挙でその人を選んだ人にも、当然、投票した、選挙で選んだ人に責任がある事をちゃんと認識できているだろうか?

選挙に投票行動をしない、というのは、この国の主権を放棄します。という行動だということも理解できているだろうか?

公職選挙法があり、その法律に則って、主権を行使することを、国から(その地方自治体から)担保されているわけだ。
公職選挙法に違反する、という事は、主権在民に違反するという事だ。
普通郵便で一人一人に届く、その人の投票権を奪い、勝手に使えば、公職選挙法に違反し、明文法を害した罪で、身体の自由を拘束され、裁判によって裁きを受ける。
選挙の投票投票結果の改ざん等、不法な行為で、不正選挙が行われれば、その選挙を無効としてやり直したり、公平に違法行為なく選挙が行われる。

今の日本の平和の元に、この公平な選挙も成立していることも忘れないで欲しい。
これは決して当たり前のことじゃない。
選挙しまーす!
としても、日本以外の土地で、選挙結果を不正に権力者の意向にそうように改ざんする例は推挙にいとまがない。

選挙権(投票に行けないように)を妨害する行動を取られたり、選挙結果そのものを改ざんしたり。
今の日本の公職選挙法が、全地球で、同じく通用するものではない。
日本の平和があって、公職選挙法を守る公正な行政があって、一人一人が穏やかに投票行動を取る。
それが、成り立っているのは、とても稀有だ、あることが難しいことなんだ、という事をしっかり認識するべきだ。

日本に国籍がない人にも投票権を与えろ!与えないのはおかしい!差別だ!と主張する人がいるが、???と思ってしまう。
投票権があるのは、日本の主権を持つことである。日本の主権を、なぜ日本に国籍がない人に与える必要があるのか?
投票権は、主権そのものなのだ。
日本の主権を、日本に国籍がない人にも与えてしまったら、もはや日本は日本ではなくなる。外国人に主権を与えるの?主権って意味わかる?
日本人が日本の事を決める。そんな当たり前の事を守る事が差別なんだとした、もう主権在民の制度すら考え直さないとやばいよね?
もう大政奉還する?
その方がいいんじゃね?

例えば私は精神科の隔離病棟に入院してた事があるのだけど、その間に行われた選挙への投票行動が、隔離病棟に身体を拘束されていたとしても、自由意志で行えるように、ちゃんと掲示があったし、その方法も示され、できるようになっていた。
精神科の隔離病棟に身体を拘束される根拠も、明文法の精神保健福祉法により定められた、任意入院、医療保護入院、措置入院、応急入院のいずれかに該当する。
強制力のある医療保護、措置入院などとなっても、主権在民は担保されているのだ。
これがどれだけ凄いことかわかります?

自分自身に危害を加えたり、他人の権利を侵害する恐れがある、精神錯乱状態だと精神保健福祉法の指定医に判断されて、身体の拘束が行われても、思考の自由は奪われない。何を考える事も自由、主権を行使するためにする投票行動を自由にすることも担保されている。

この国の平和が、どのくらい凄いことだか分かって貰えます?
まじでやべーくらい平和なんすよ。

民主主義、主権在民を一番最初に考えた人は日本人じゃないけど、その制度を採用します、とした日本が一番忠実に社会の仕組みとして、成り立たせてんじゃないか?と思うくらいすげー。

でもそれは決して当たり前の物じゃない。
だから、法律を守る義務があるし、公職選挙法も守られる必要がある。
例えばお隣の韓国では、大統領から退任した人、職権濫用とかで、時勢で変わる法律で、処罰されたりしてる。
日本は、罪を犯した時点での法律で、一律に裁かれるように担保されてる。後からそれおかしいね、変えようね、って法律が変わっても、遡って罪問われることはないでしょ?

私は夫婦間レイプされました。でも、された当時それを取り締まる法律はありませんでした。あったとしたら強制性行罪とか、不同意性行罪とかだけど、やられた時点での法律の時効は15年。今だと20年だけど、今からその行為を遡って罰することは出来ないんですよ。罪かどうか警察→検察→裁判所のルートにのせて、罪だったか問うこともできないんです。
この間、警察に相談に行ったんですが、とにかくその違法かどうか疑わしい行為が、いつ?どこで?行われたのか?という事を確認され、いつ?の部分で、ちょうど15年が経過したばかりで、既に時効が成立してるから、もしかしたら私の権利侵害をした違法行為だったかもしれないけど、いまから、それを罪なのかどうか問うことはできない。って言われました。
それが日本の採用する、明文法による社会の仕組みだからです。

後になって、やっぱりそれおかしいから、法律で規制した方がいいね、って法律が変わっても、その時に決まってる法律では違法行為にならなければ違法行為じゃないんです。
それが成り立ってるってめちゃくちゃ凄いことなんですよ?
確かに私は時効で権利侵害を問うことを阻害されてる。でも私もまた、その時効で等しく守られた存在でもあるんです。加害者にも被害者にも明文法は変わらずに効力を発揮する。

おかしいと思うなら、主権在民なんだから、選挙権を行使して、法律を作る人に自分がなるか、法律を作る人を自分で選ぶしかないし、それが出来るのも、法律で決まってて、それを実行する社会が担保されてるからなんですよ。

私の祖父は、市議会議員を3期やった人でした。幼稚園の頃が一番最後の選挙戦で、曖昧な記憶しかないですが、幼稚園児の私からとっても、ドブ板選挙でした。
なんだかよくわからない、初めて見る人達がわらわらとウチの別の土地にある、選挙事務所になってた集会所集まってきて、ばーちゃんはひたすら頭を下げているし、その人達にとんでもない量のトンカツが提供されてたの覚えてます。
お肉屋さんから、大量のトンカツが届いてるのを見て、今日の夕飯トンカツなんだ!って嬉しくなっていたのに、自分の家の食卓に実際に並んだのは、同じ肉屋のコロッケだった。私は泣いた。大好きなお肉屋さんのトンカツが久しぶりに食べれると思ってたのに、あんなにいっぱいのトンカツがあったのに、トンカツじゃないの?って。ばーちゃんはお肉屋さんに連絡してくれて、すぐに自転車走らせて、私の為にトンカツ買ってきてくれましたよ。私は今、コレを泣きながら書いてます。号泣してます。
活動員と呼ばれる人達が、色んな選挙事務所を回って、一番美味しいご飯を食べさせてくれた所に投票するって行動があったんです。古いと言われるかもしれないけどらそれが現実です。当時選挙とはそういうものだった。
でも、とてつもなく大変なドブ板選挙のさなかにいても、ばーちゃんは私を大事にしてくれたと、私はしっかり覚えてます。
そしてじーちゃんはとんでもない負債を抱えて死にました。私は父親のDVから逃れる為に高校の2年半の間じーちゃんばーちゃんの住む母屋で暮らしていて、どのくらい銀行に負債があるか、勝手にその書類みて知ってました。数字になってない親戚からの借り入れがあることも知ってました。自営業の借り入れとして、選挙資金に銀行から、都内で一軒家買えるくらいの負債を作って、それ払う為に、定期保険のお金がおりる年齢で、自ら死を選ぶみたいに、若くして老衰で亡くなりました。
お見舞いに行ったら、満面の笑顔で私を迎えてくれて「自分の人生は幸せなものだった、ハワイに2回も行けたし、好きな事をした、家族にも恵まれた」って。
私は父親のDVから、自分の身を守るために、実家を出て、高校卒業と同時に、自活を始めました。しばらくしてじーちゃんから「家族がバラバラになってる気がする」って手紙貰ったけど、両親と対峙する精神的余裕もなくて、じーちゃんにその時なんの反応もできなかった。
でも最期にも病室で「自分の人生は幸せだった」って私を笑顔で愛してくれた。
伸びていた爪を切ってあげて、「また伸びる頃会いに来るね、また爪切りにくるね」と言ったけど、それは叶わずその後すぐに亡くなりました。75歳。定期保険が降りる最後の年。たった75歳で人は老衰になりますか?

葬儀の日、和室に寝かさてれて、清拭を受ける裸のじーちゃんは、私の知ってる大きな背中のじーちゃんではなく、とんでもなくやせ細って、ガリガリだった。私は見ていられなくて、母屋の2階に1人で籠って泣き続けました。
じーちゃんはお金に殺されたと思ってる。
政治に殺された、社会に殺された。
大した資本がないのに、政治家になろうとしたから、75歳で死ぬしかなかった。
お通夜。葬儀で、私は親族として、前に並んだけど、なきつづけた。みっともない位泣き続けた。現職の市長さんも、議員さんも何人も来た、めちゃくちゃいっぱいの花輪が並んで、葬儀場に収まりきらない花輪を出してくれる人が居たけど、じーちゃんは支持されてても、お金に殺された。自分の作った負債を自分の命で返す為に死んだ。実の娘の母親より、叔母より泣いた。火葬場に行けなくて、火葬場で焼かれる所を見ていられないと思って、私は葬儀が終わったら、1人で家に帰った。
家の隣りの土地は、ずっと田んぼだったけど、今は中古車販売店になってて、営業時間中ずっと大音量で音楽が掛かってる。私は辛すぎて、家の中に居ても音楽が煩くて、その中古車販売店に行って、祖父が亡くなって辛いので、今日だけでも、音楽を掛けないでくださいって言いに行った。そして火葬場からみんなが引き上げてくる前に実家をでて、東京のアパートに帰った。
私が祖父の葬儀であんまりにも泣いたものだから、祖母の葬儀には参加さえさせて貰えなかった。私を全力で愛してくれたのは、守ってくれたのは祖父と祖母だった。両親じゃない。
高校卒業式の次の日に、夜逃げみたいに出ていく私に「ここはあなたの家なんだから、いつでも帰ってきなさい」って、私が一番言って欲しい言葉を掛けてくれたはのは、祖母だった。
祖父が亡くなって、国から「叙勲旭日単行章」って賞勲受けたけど、なんで、1日でも生きてる間にくれなかったんだって、生きてる間にくれたらじいちゃん凄く喜んだだろうって、少しでも報われただろうって、悔しかった。国からの勲章は生きてる間に出すと、詐欺に使う人が居るから、なかなか貰えない。私ももう大人だから、分かるけど、なんで生きてる間にくれなかったんだってやっぱり思った。

政治はお金がある人がやることだ、経営はお金がある人がやることだ。ない人は手を出しちゃ行けない。
そう学んだ。

じーちゃんが、文字通り命を掛けて最期に作ったお金で、新車を買った父親を許さない。それなのに、じーちゃんが借金残したから、っていつまでも実家の借金の事文句を言う父親を許さない。自分で母親を選んで、実家に婿養子に入るって決めたのは自分なのに、じーちゃんもばーちゃんも粗末に扱った父親を許さない。そういう他責思考の人間にはならない。
じーちゃんみたいにちゃんと自分の人生の責任を取る人になろうと思ってる。
じーちゃん死んでから、ばーちゃんは母屋にずっと1人で、年末になると誰も来ないのにいっぱい天ぷらを揚げる。彼岸にはおはぎをつくる。ばーちゃんの実家から毎年付いたお餅で作ったおかきを乾燥させて、せんべいを揚げたり、焼いたりして、一年掛けて食べる。
なんで、年末位実家に顔だして、ばーちゃんの天ぷら蕎麦食べなかったんだろう。何回かしか行かなくて、でも毎回天ぷらが揚げられていた。
私が帰ろうが帰るまいが、毎年天ぷらを揚げて待っててくれる人が居るのに、なんでそれを私は大事にできなかったんだろう。
自分の精神を両親から守るために、離れるって事しかできなかった。
物理的に離れて、逃げるしか方法を思いつかなかった。
年末に何回かだけ行っけど、天ぷらみても、私は食べなかった。
私の為に帰る場所を作ってくれてたばーちゃんの気持ち、大事にする事ができなかった。
1人でどれだけ寂しい時間を過ごしたんだろう。実の娘の私の母親が、別棟に一緒にいるのに、父親が嫌がるから、お正月さえも一緒に過ごすこともせず、私が幼稚園の位の時には、みんなでお正月してたのに、父親がダメだ、埼玉の具だくさんのお雑煮じゃなくて、おすましの大阪のお雑煮作れって、昔は朝も昼も夜も、じーちゃんとばーちゃんと、自営業手伝ってくれてた親戚と、みんなで楽しくご飯食べてたのに、父親がダメだって、別にすることにいつの間になって、それから、私へのDVももっと酷くなって。私は自分を守る為に逃げるって方法しか取れなかった。

私はお正月が苦手で、帰るところがないから、ずっと何年も1人で過ごしていてる。同棲してた元夫は当たり前に私を置いて1人自分の実家に帰って。毎年精神的に酷く落ち込む。はっぴいえんどの「春よ来い」だけが心の支えで。毎年繰り返し聞いて、歌って、なんとか自分を慰めて、精神状態を保って。

私に加害する父親が居なければ、私にだって帰る場所があったのに。
小さい頃は、毎年ばーちゃんと、家の墓がある、通った幼稚園のお寺にかねつきに行ってたのに。

お正月といえば
炬燵(こたつ)を囲んで
お雑煮を食べながら
かるたをしてたものです
今年は1人ぼっちで
年を迎えたんです
除夜の鐘がさびしすぎ
耳を抑えてました
家さえ飛び出なければ
今頃みんな揃って
おめでとうがいえたのに
どこで間違えたのか
だけど全てを賭けた
今はただやってみよう
春が訪れるまで
今は遠くないはず
家さえ飛び出なければ
今頃みんな揃って
おめでとうがいえたのに
どこで間違えたのか
だけど全てを賭けた
今はただやってみよう
春が訪れるまで今遠くないはず
春よ来い
春よ来い
春よ来い
春よ来い

はっぴいえんど「春よ来い」

この歌に何年も救われて、これからもきっとずっと支えられる。
結婚して義母に「娘だと思ってる」って言われて、私にも春がやっときたんだ、帰る場所がやっと出来たんだ、って思ったけど、お正月一緒に過ごしたのはたった2回で。
「おせち料理は、魅せる為のものだから、家の人や嫁は、減ってもわからないものを食べるものなんだよ」ってばーちゃんに言われてたから、義母の並べた買ってきたおせち料理の数が減って見栄えが悪くなるものには一切手をつけず、義母が別に作った好きでもないし、むしろ嫌いな「なます」だけを食べ続けて、そしたら翌年私が好きだと勘違いされて、ボウルいっぱいになますがあって、でも嫌いだって言えず、ひたすらそれ食べて。
何もかも本音を言えなかったな。
やっと手にしたと思った春も、義理の実家も、私の帰る場所じゃなかった。

ばーちゃん死んで、2階の寝室のベッドの後ろから、年ごとに分けられた、何年分もの食べられなかった大量の乾燥したおかきが出てきて、あー何かあるごとに、ばーちゃん私に揚げたり焼いたりしたおかき持たせてくれたなって、でも何度もいらないって受け取らなかった。
自分より、周りを、家族を、私を、大事にしてくれたばーちゃんなのに、私大事に出来なかったなって。残った大量のおかきにばーちゃんがくれた愛の大きさを知って。
ばーちゃんも若くしてボケて、でも徘徊始める前にちゃんと迷惑かけずに死んでくれて。
どれだけ寂しい思いをさせてしまったんだろ、何年も1人でお正月迎えて、私が1人で辛いと思ったお正月、でも、私は自分で帰らないって、寂しいけど、1人で過ごすって自分の意思で決めたけど、待ってる立場のばーちゃん、どれだけ辛かったろうって。ごめんなさい。帰れなくてごめんなさい。ばーちゃんごめんなさい。
そりゃボケるよ。そんだけ辛い思いさせたよ。ごめんなさい。私が悪かった。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。きっともう既に許してくれてると思うし、2人とも私を恨んだりしてないと確信してるけど、本当にごめんなさい。

選挙とか、政治の事考えると、じーちゃんとばーちゃんの事思う。
じーちゃんとばーちゃんがくれた愛を思う。

私が知ってるのはじーちゃんは自民党の議員だったってことだけ。
じーちゃんと直接政治の事話した事ないから、本当に思ってた事はわからないけど、きっと結論としては、今の私の思想と変わらないと思う。
社会を、まともな、社会制度を肯定してたんだろうって思う。

私は絶対に何があっても、政治家になろうとは思わないけど、投じる1票に責任を持とう。感じよう。考え続けようと思う。

じーちゃんが命がけでしたのと同じ、私の支持する立候補してくれた人は、私のじーちゃん。私のじーちゃんの意思を継ぐ人。私を愛してくれたじーちゃんが作った平和を、今後も守ってくれるって人に投票する。

小池ゆりこいくら批判してもいいけど、4年前に選んで自省する人見たことない。
でも、それが4年前多数派だったはずなのに。
自分が投票したことに責任を感じよう。
今回の選挙で田母神俊雄が、もし選ばれることになったら、私は4年間その責任を負い続ける。
主権は在民。つまり選択した私。
田母神さん、立候補してくれてありがとう。当選できなかったけど、信じられる候補者が居るってことだけで大きな希望だよ。

ちょうど1万字。
誰に投じようと別にどうでもいいけど、4年後もその責任を感じ続けてください。投票行動に責任を持ち続ける人であってください。
直接選挙で、首長を選ぶってそういうこと。
大統領と同じ。
直接選挙で選ばれた人は強いから。どんなに時勢が動こうが任期満了できるんだから。

世田谷区とか、杉並区の事例の話しよと思ってたんだけど、note書き始めて半年。75記事以上公開してるけど、1番感情的になって、脱線してしまった。普段なら脱線しても、そろそろ本筋に戻らなきゃって、自制心働くけど、今回は無理だった。

私のじーちゃんを殺すこともできるのが政治。
私の帰る場所を奪ったのも政治。
私の今の生活を担保してくれてるのも政治。
私を今生かしてくれてるのも政治。

畏怖、畏敬の念を持って、主権が私にもあることを理解して、政治に参加しようと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?